弁護士坂和章平の旅行記
2014-09-04T17:38:29+09:00
sakawa-ryokou
旅行も勉強!弁護士坂和による旅行記
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台湾旅行 2014年 [5日目]
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2014-08-29T18:00:00+09:00
2014-09-04T16:46:59+09:00
2014-09-04T16:46:59+09:00
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海外旅行(中国)
(はじめに)
(1日目旅行記)2014(平成26)年8月17日
(2日目旅行記)2014(平成26)年8月18日
(3日目旅行記)2014(平成26)年8月19日
(4日目旅行記)2014(平成26)年8月20日
(5日目旅行記)2014(平成26)年8月21日この記事
[5日目]・・・8月21日
1 起床(4:30)
(1)今日は8:40の飛行機に乗って関空へ帰るだけ。ホテルを5:30に出発だから、早起
きをしなければならない。もちろん朝食もなしだ。
(2)昨日は台北No.1のホテルである圓山大飯店(ザ・グランドホテル)に泊まった仲間が
2組いるが、夜遅くチェックインし、早朝にチェックアウトするだけでは、ちょっともったいな
いのでは・・・。
2 出発(5:30)
(1)5:30に私たちの六福客棧(レオフーホテル)を出発。圓山大飯店で宿泊した2組の客
と合流し、出発(5:45)。
(2)台北桃園空港へ(5:50~6:30)
3 台北桃園空港発(8:40、GE602便)
(1)出国手続まで王さんが付き合ってくれた。飛行機に詰め込むトランクがちゃんとベルト
コンベアを流れているかどうかを初めてチェックした。
(2)朝食なしだったため、機内食の朝食が待ち遠しかった。温かい朝食は美味しかった。
(3)飛行機は予定通り、何のトラブルもなく関空へ到着。
4 関西国際空港着(12:20)
(1)入国手続をスムーズに終え、ただちに執務体制へ気分を切り替え。
(2)4泊5日の台湾1周の旅は快晴に恵まれ、大いに収穫のあるものになった。
非常感謝!
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台湾旅行 2014年 [2日目]
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2014-08-29T11:00:00+09:00
2014-09-04T17:38:29+09:00
2014-09-04T17:31:01+09:00
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海外旅行(中国)
(はじめに)
(1日目旅行記)2014(平成26)年8月17日
(2日目旅行記)2014(平成26)年8月18日この記事
(3日目旅行記)2014(平成26)年8月19日
(4日目旅行記)2014(平成26)年8月20日
(5日目旅行記)2014(平成26)年8月21日
[2日目]・・・8月18日 ⇒ 写真1ー①~41
1 台中兆品酒店(タイチュンメゾンデシンホテル)で起床(6:30)
ホテル内のレストランでバイキング方式で朝食(6:50~7:20)
2 出発(8:00)
(1)ショッピング(8:50~9:10)
・ 今日の午前中のメインは日月潭・文武廟観光だが、その前にツアー旅行恒例のショ
ッピング。バナナをサービスにして、さまざまな木彫りの商品を販売していた。高級品
は論外にして、靴べらと肩たたきを、300元から250元に値切って購入(写真2-①)
。
・ 民芸品のコーナーでは、いくつかの商品を値切ったが、交渉が成立せず、結局購入
せず。
―バス移動(9:10~9:30)―
3 日月潭・文武廟観光(9:30~10:30)
(1)日月潭・文武廟は、05年3月13日~16日の台湾旅行でも見学したが、時間は約4
0分間だけだった。今日は約1時間あるので、文武廟の上まで上がってじっくり見学でき
たが、とにかく暑い暑い(写真2-②~⑫)。
(2)美しい日月潭湖、そして、孔子を祀ってある大成殿と、岳飛と関羽が祀ってある武聖
殿については、どのガイド本にも紹介されているので、ここでは前回の旅行記を下記に
そのまま引用しておく。
記
<美しい日月潭湖>
普段の心がけが良いせい(?)か、バスは予定より早く5時10分頃日月潭湖に到着した。この日月潭湖は、周囲36キロメートルの人口の湖で、湖内には遊覧船もあり、丸1日観光できる台中最大の景勝地。
この日月潭はもともと小さい湖だったが、1915年から1945年の日本統治時代に日本人技師ハタコウスケ氏の設計によって大きくされ、台湾最大の湖になったとのこと。この湖は渇水対策のための水源とされたものだが、後には水力発電所も造られた。そしてこれは揚水型で台湾で最も古い水力発電所とのこと。ここでも呉さんの日本びいきぶりが(?)が存分に発揮されていた。またこの付近は後記の1999年9月21日の集集(チーチー)地震の時に最も被害が大きかった地区で、山頂が15メートルも移動したとのこと。
時間的余裕のない私たちは、日月潭湖の周りをバスで周りながら これを見学しただけ。しかし霧もモヤも出ず、この時間帯で全体をしっかりと見学することができたことは実にラッキー。そして次の見学地である文武廟へ。
(2)文武廟見学(5:25~6:00)
ここ文武廟は孔子を祀っているところ。入り口には左右に巨大な獅子があり、武聖殿には岳飛と関羽が、大成殿には孔子が祀られている。そして武聖殿の前には玉を追う九龍が彫られた巨大な石盤がある(写真2-27)。
呉さんの説明によると、孔子の銅像は世界に2つだけあり、1つがここ、そしてもう1つが北京にあるとのこと。その巨大な規模にビックリ。孔子は今から2550年前、紀元前550年頃の人物で、「先生の先生」として中国で最も尊敬されている人物。したがって、孔子の誕生日である9月28日は先生のお休みとなっているとのこと。他方、関羽は三国志で有名だが、各地に関帝廟があり、そこに関羽が祀られている。それはなぜか?意外にも関羽は算盤を発明した人物であり、商売の神サマとして祀られているとのこと・・・?さらに孔子の隣には孟子が祀られており、「孟母三遷」のお話や「賢い72人」のお話もあったが、細かい話はもう忘れてしまった・・・?
―バスで移動(10:30~11:00)―
4 昼食(田舎料理)(11:00~11:45)
・ 今日の昼食は台湾の田舎料理だったが、十分美味しかった。
5 昼食後、台中から台南へバスで移動(11:45~14:25)
・ バスの中では、昼食でビール1本を飲んだこともあり、ほとんど熟睡。しかし、王さん
のお話だけはしっかりと聞き、メモも。
・ 途中、トイレ休憩あり(13:10~13:30)。
―坂和コラム―
「ホントに良かったガイドさんのお話」 その2
―あなたは八田與一を知ってる?
(1)日本統治時代の台湾にダムを造った人物として有名で、今なお多くの台湾人から
尊敬されている日本人が八田與一。私は彼の名前を前から知っていたが、今日、日
月潭から台南に向かうバスの中で聞いた「ホントに良かったガイドさんの話」その2
が、彼の人物伝だ。
(2)八田與一は石川県金沢市の生まれで、1910年に東京帝国大学工学部土木科
を卒業後、台湾総督府内務局に就職し、嘉義市、台南市、高雄市など各都市の上
下水道の整備などを担当した。そして、1920年から1930年まで10年間をかけて
、常に旱魃の危険にさらされていた台湾南部の嘉南平野に水を供給させるため、
烏山頭ダムを完成させた。
(3)ガイドの王さんの話では、彼は31歳の時に金沢で16歳の女性と結婚し、6人の
子供をもうけたそうだ。また、烏山頭ダムの完成を評価された彼は、フィリピンでの
灌漑調査という次の任務を任され太平洋戦争中の1942年5月にフィリピンに向け
て出発したが、その途中アメリカ軍の潜水艦によって船が撃沈され、56歳で死亡し
たらしい。
(4)彼の知名度や彼を評価する声は日本より台湾の方が高く、特に高齢者を中心に
烏頭山ダムでは命日である5月8日に毎年慰霊祭が行われている。またダムには
彼の銅像が建てられているが、これはダム完成後の1931年に作られたもの。これ
は立像ではなく、右手の肘を右足の膝に乗せて地面上に座っている姿というユニー
クなもので、住民から銅像の建設の申し出を受けた彼が固辞した末、工事現場でひ
とり熟考し苦慮している姿を像にしたものらしい。今回の台湾旅行では残念ながらこ
れを見ることはできなかったが、次回の台湾旅行では、ぜひ烏山頭ダムと彼のこの
銅像を見てみたいものだ。
6 台南観光その1―赤?樓(14:25~14:55)(写真2-⑬~⑮)
(1)台南の観光は①赤?樓と、②延平群王祠の2つが定番だが、前回の台湾旅行でもこ
れは観光済み。要するにここでは、「鄭成功」の物語をきちんと勉強することが肝要だ。
(2)その内容は05年3月14日の旅行記に書いているので、下記にそのまま引用しておく
。
記
これも映画『国姓爺合戦』に登場していたもので、1653年当時台南を占拠していたオランダ人が、民衆が蜂起することを恐れて築いた要塞。そしてこれは台南で最古の歴史的建造物となっている。オランダ人は髪の毛が紅いから紅毛人と呼ばれており、この要塞も紅毛城(プロビデンシア城)と呼ばれるオランダ式要塞だったとのことだが、今は、赤レンガでつくられた要塞の一部が残っているだけ。17世紀の建造物を見て、当時の鄭成功VSオランダの戦いに思いを馳せるのも楽しいものだ。
(3)なお、「鄭成功」については、09年11月6日から9日の厦門旅行でも、コロンス島に渡
り、鄭成功のデッカイ像を見学した。この厦門旅行は、09年10月1日に広島地裁で言い
渡された鞆の浦の埋め立て免許差止め判決や画期的意義を持つ京都市の眺望景観創
生条例などをネタとした景観法の講義を、厦門城市職業学院ですることをメインとする旅
行だったが、同時に厦門の美味しい海鮮料理と美しいコロンス島観光を両立することが
できた。そこで、ここには、09年11月8日のコロンス島における鄭成功の石像と皓月園
見学の旅行記を下記に引用しておく。
記
今日は9時頃の船に乗ってコロンス島に渡り、最初こそバッテリーカーに乗ったが、その後は昼食も食べないまま歩きずめ。とりわけ日光岩への登山(?)は厳しかった。そのため私はまだまだ元気だが、あとの2人はくたびれ気味で、鄭成功の像がある皓月園へ行くのはノーサンキューとのこと。時刻は14時30分頃。巨大な鄭成功像をバックにする花婿・花嫁衣装を着た数組の新婚カップルの撮影会が実施されていたから、私もそこに割り込んで鄭成功像をバックに撮影。そして、そこで休憩しながら待っているという2人を残して私一人で巨大な鄭成功像と皓月園へ。そこで頼んだのは、私が巨大な鄭成功像の前でタオルを振って立つのでそれを撮影してくれということ。かなりバカげた挑戦だが、結果は見事に大成功。しかし、さてそれがわかるかな?。
海に向かって立つ鄭成功の石像は高さが15.7mもあるから、真下から見るとその巨大さにビックリ。しかし、新婚カップルが写真をとっていた場所からは意外に近く、歩いて5分ほどだ。その下でタオルを振っている姿を写真を撮ってもらった後(といっても、ホントにシャッターを押してくれているかどうかはまったく見えない)、小さな資料館に入って絵はがきを購入。そして、階段を下に降りて皓月園に入ると、そこには鄭成功と騎馬隊をモチーフにした巨大なブロンズ像があった。私は鄭成功のことを呉子牛(ウー・ヅーニウ)監督の『国姓爺合戦』(01年)で学んだが、そのカッコいい生き方が大好き。そのため、巨大な石像や今にも動き出しそうなブロンズ像を見学できたことに感激。
もっとも、帰国後資料を整理していると、この皓月園とは別に日光岩のふもとに鄭成功紀念館があり、ここには鄭成功にまつわる文物を展示しているらしいから、これを見逃したのは非常に残念。
―バス移動(14:55~15:00)―
7 台南観光その2―延平郡王祠(15:00~15:30)(写真2-⑯~⑱)
延平郡についても、05年3月14日の旅行記を下記にそのまま引用しておく。
記
<君は鄭成功を知っているか?>
台南の第1の見学地である、ここ延平郡王祠は鄭成功とその一族を祀って1662年に建てられたもの。ガイド本によると、これは日本統治時代に改修されたが、1963年に建て直され、以前の様式に復元されており、建築様式は台湾では少ない福州式の廟建築とのこと。
ところで、君は鄭成功を知っているか?また『国姓爺合戦』を知っているか?呉さんの解説は史実(?)に基づいた詳細なもの。すなわち
①鄭成功は今から約380年前に、日本の平戸で生まれた人物で、父親は漢民族の鄭芝竜だが、母親は日本人の田川松。
②鄭成功は成長して明の将軍になったが、明は清王朝に滅ぼされたため、鄭成功は台湾に逃亡した
③当時台南にはオランダ人が住んでいたが、鄭成功はこのオランダ人を破って台湾を中国に取り戻し台南に移り住んだ。
④その結果、オランダ人は台北に移り住んだ。
⑤鄭成功はその2年後、38歳のときにコレラで死亡した。
⑥鄭成功の子供の鄭経がその後を継ぎ、その後オランダ人を完全に追放した。
そして、これは基本的には私がもっている知識の範囲内の内容。
<映画『国姓爺合戦』を勉強しよう!>
私がなぜ鄭成功や『国姓爺合戦』を知ったかというと、それは映画『国姓爺合戦』(01年)を観たから。そしてその映画評論を書くためにかなり勉強したから。「抗清復明」のスローガンを掲げて清と戦い、そして「台湾解放」のスローガンを掲げてオランダと戦って台湾を解放した鄭成功の英雄的な生涯は、実にドラマティックで面白く興味深いもの。日本で近松門左衛門が『国姓爺合戦』を書いたのは彼が63歳の時。そしてそれが大阪竹本座で初演されたのは1715年のこと。これらの詳細については、『坂和的中国電影大観 SHOW-HEYシネマルーム5』155頁を是非参照してもらいたい。読んだらホントに面白いよ!
8 台南から高雄へバス移動(15:30~16:20)
―坂和コラム―
「ホントに良かったガイドさんのお話」 その3
―檳榔(ビンロウ)小姐の今は?
(1)05年の台湾旅行では、はじめて見た檳榔(ビンロウ)小姐の姿が衝撃的だった。
ちなみに、05年3月14日の旅行記では、それを下記のように書いている。
記
<檳榔(ビンロウ)とは?檳榔(ビンロウ)売りとは? >
バスが出発した途端、呉さんが、「皆さんコーヒー好きですか?」と質問してきた。当然みんなが「イエス」と答えると、「檳榔(ビンロウ)売りの店で缶コーヒーを買ってプレゼントします」とのこと。檳榔(ビンロウ)とは、ビンロウの木になる実のことで、これには覚醒作用があり、ニコチンやカフェインと同じようなドラッグだが、違法性はないもの。そして檳榔(ビンロウ)売りとは、その檳榔(ビンロウ)の実あるいはタバコや缶コーヒーそして缶ジュース等を売っている小さな店のこと。
<檳榔(ビンロウ)小姐の登場!>
呉さんの説明によると、最近車のドライバーをターゲットとして、派手なネオンのイルミネーションで店を目立つようにし、ほとんど下着姿同然の若い女性に、缶コーヒー等を販売させる店が増えてきたとのこと。昔は老人たちが店の番をしていたところ、ある店がそういうやり方で缶コーヒー等を売るとそこにドライバー達が殺到した(?)ため、「われもわれも・・・」となったらしい。そして、缶コーヒー等を売る若い女の子の服装も、その競争の中で次第に薄く過激になり、今やシースルーやランジェリー姿は当然のようになったとのこと。そして、これを「檳榔(ビンロウ)小姐」と呼ぶことも、帰国後インターネットを調べてはじめてわかったこと。たかが缶コーヒー等を売るだけのことだが、ドライバーの男たちに「目の保養」をさせるサービスによって、他と差別化して売上げを伸ばそうという戦略だが、さすが漢民族は商売上手・・・?もっともこの手の「商売」は、規制のゆるい台南では黙認されているものの、規制のきつい台北では御法度とのこと・・・?百戦錬磨のガイドである呉さんは、立ち寄った檳榔(ビンロウ)の店では、わざわざ女の子に缶コーヒーを入れた袋をバスの中まで届けさせたので、バスの一番前に座っていた私は、このほとんど下着姿の若い女の子の姿をパチリパチリと・・・?
(2)バス移動が多い今回も、私は内心その檳榔(ビンロウ)小姐を見るのを期待して
いたが、なぜか今回はその姿を見かけない。檳榔(ビンロウ)は、眠気覚ましとして
タバコ代わりに長距離トラックのドライバーやタクシー運転手が使っているが、紙タ
バコのように飲み込まず、吐き捨てるため、台湾の道路は至る所が血を吐いたよう
になり、大きく美観を損ねることになる。そのため、現在では道路に吐き捨てると罰
金刑が科せられるそうだ。また、檳榔(ビンロウ)には習慣性があるため、18歳未
満の者には販売禁止、公共施設内では使用禁止、とされているらしい。さらに、王
さんの説明によれば、石灰を混ぜた檳榔(ビンロウ)をかじっていると発ガン作用が
あることがわかったため、その売れ行きは大幅に落ち、今では檳榔(ビンロウ)小姐
の姿もなくなってしまったそうだ。
(3)ちなみに、何人か交代したバスのドライバーの1人は、今でも檳榔(ビンロウ)をか
じっているとのことで、現実に手に取って見せてもらった。しかし、発ガン性が明確に
肯定されれば、かじる人が少なくなるのは当然だ。檳榔(ビンロウ)という看板は今
回も結構目立ったが、そこにはかつてのような派手派手しいネオンもなければ、ミニ
スカートや下着姿同然の檳榔(ビンロウ)小姐も不在。そのため、目の保養にならな
かったのは少し残念だが、これも時代の変化の1つ・・・?
9 高雄市内観光(蓮池潭、龍虎塔)(16:20~17:45)
(1)蓮池潭・龍虎塔(16:20~16:55)(写真2-⑲~25)
高雄の定番スポットは蓮池潭・龍虎塔だが、これも05年3月14日に観光済みだから、
その旅行記を下記にそのまま引用しておく。
記
2番目の観光地は、蓮池潭と龍虎塔。この蓮池潭という湖は、日本統治時代に造られた湖で、高雄市民の水源の1つだったが、現在は飲み水としては使われていないとのこと。ここには龍虎塔と呼ばれる七重の塔がある。まず、つづら折りの橋があり、その橋の下部には三国志などの絵巻物が色鮮やかに描かれている。これをゆっくりと歩いていくと、龍虎塔への入口がある。ここでは、左の龍の口から入り、塔の見学を終えた後、右の虎の口から出てくると良いことがあると言われているため、ツアー客はちゃんとその教えにしたがって行進(?)。
今は、新しいお寺に建て替えるべくお金を集めているとのことで、龍虎塔を写した1枚の写真をもらうのとひきかえに(?)1人10元ずつお賽銭の中へ。龍の口から中に入ると、通路の左右には親孝行の絵、英雄豪傑の絵、さらには地獄の絵などがいっぱい。龍虎塔の上には登らず、美しい景色を写真撮影してバスの中へ。
(2)中国では、法輪功に対する弾圧が続いている。そのことは中国では全然報道されない
が、日本では裁判所前でビラが配られたりしているから、私はよく知っている。しかして、
台湾は選挙制度がある民主主義の国。そのため、中国が法輪功などを弾圧している人
権無視の国であることや、中国共産党の幹部が汚職にまみれていること等を、公然と批
判することができる国だ。1966年から1977年まで、中国では毛沢東が指導する「文化
大革命」の嵐が吹き荒れ、毛沢東語録を持った紅衛兵たちが至る所に「壁新聞」を貼り、
知識人たちを吊るし上げる風景が見られたが、台湾ではその壁新聞に似た中国共産党
批判の看板が、あちこちの観光地に。中国では絶対に見られないこんな風景を、台湾で
はしっかり撮影しておかなければ(写真2-26~28)。
―バス移動(16:55~17:00)―
(3)寿山公園(17:00~17:45)(写真2-29、30)
・ 今回は、バスで停車場まで上り、寿山頂上に至る長い階段を徒歩で上れば、近時の
成長著しい高雄港を臨むことができた。ここ高雄港が使うコンテナ量は、台湾最大のお
よそ1000万の20フィートコンテナを扱い、世界第12位の取扱量を誇っているらしい。
高台から見下ろす港内と、その左手に見える市内の高層ビル群の風景は美しい。今回
は、ちょうど夕方5時から市民が作っているブラスバンドの楽団が、ヘリコプターを使っ
てパフォーマンスと演奏をやることになっているらしく、ラッキー。長年ガイドをやってい
る王さんもこんな機会ははじめてのことらしい。風が強いためヘリコプターのパフォーマ
ンスは中止となったが、トランペットを中心とするド派手かつ庶民的な演奏をしっかり楽
しむことができた(写真2-31~34)。
―バス移動(17:45~18:00)―
10 夕食(台湾海鮮料理)(18:00~18:40)
(1)日程表には、夕食は「城市商旅」という高級レストランで海鮮料理と書いてあった。中
国の青島は海鮮料理が有名で安くておいしい。また、大連でも海鮮料理は美味しい。し
かし、今日食べた台湾・高雄の海鮮料理は名ばかりで、新鮮な刺身などは全くなく、えび
が少しあっただけ。もっとも、豚足など本来の台湾料理(?)は、それなりに美味しかった
。
11 愛河クルーズ巡り(19:00~19:40)(写真2-35~41)
(1)高雄の愛河クルーズは有名だが、前回(05年3月13日~16日)の台湾旅行では時
間が無く、3月14日に朝食後のちょっとした散策で写真撮影しただけだった。しかし今回
は、夕食後の船に乗ってのクルーズで、愛河と高雄の美しい夜景をタップリ見学できるそ
うだから楽しみだ。
(2)私は昨年、今年と続けて、毎年7月25日に開催される天神祭の船渡御に参加した。
その規模の大きさと打ち上げられる花火の豪華さは日本三大祭り(京都の祇園祭、東京
の神田祭、そして大阪の天神祭)としてふさわしいものだが、近時、私は弁護士として裁
判所のすぐ前にある若松浜公園の利用方法について、地元住民の相談を聞き、場合に
よれば大阪府に対する訴訟提起になるかもしれない事件を担当している。その「論点」は
、「水の都」大阪復活のため、中之島公園という「素材」を活かして水辺の活性化を目指
す方向と、中之島公園はすべての人が自由に利用できるものでなければならないから、
一部の業者の利益のために水辺が独占的に利用されるのはおかしい、という考え方と
の衝突だ。
(3)現在、土佐堀川と大川をアクアライナーで走る「大阪城・中之島めぐり」クルーズが人
気だが、これには夜のクルーズはないから、中之島の夜は静かなもの。しかし、ここ高雄
の愛河の夜の明るさと華やかさはすごい。船着き場の明るさ、船内の明るさ、周辺のネ
オンの明るさ。そして水辺に並ぶ高層ビルの明るさを見ていると、その夜景の美しさにう
っとり。愛河の水質もかつてはひどかったが、高雄市長以下の努力によって今はキレイ
になっているそうだ。クルーズの時間は20分ほどだったが、夜の愛河クルーズの美しさ
と楽しさを十分満喫することができた。
―バス移動(19:40~20:00)―
12 寒軒国際大飯店(ハンシェンインターナショナルホテル)へ(20:00)
(1)今日の高雄のホテル(寒軒国際大飯店)は5つ星。しかも、部屋は34階の高層にある
から、窓から見下ろす街の夜景は最高だ。ホテル1階には、フィットネス、プール、サウナ
もあるそうで、エレベーターでは水着姿のおばちゃんと遭遇したことも。1日ホテルでゆっ
くりできるのなら当然フィットネスで運動し、サウナに入るところだが、今日はマッサージ
のみ。
13 就寝(23:00)
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台湾旅行 2014年 [1日目]
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2014-08-29T10:54:00+09:00
2014-08-29T17:22:45+09:00
2014-08-29T10:55:15+09:00
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海外旅行(中国)
(はじめに)
(1日目旅行記)2014(平成26)年8月17日この記事
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[1日目]・・・8月17日 ⇒ 写真1ー①~⑧
1 関空出発まで(9:57~10:57)
・ 北浜(9:57発)→天下茶屋(10:09着)
・ 天下茶屋(10:14発)→関西国際空港(10:57着)
・ 団体ツアー旅行の手続きを経て、待ち時間中に免税店で買い物。
・ 13:20発の予定だったが、約1時間遅れて出発。
2 関西国際空港発(14:20、GE601便)
・ 昼食は機内食。
3 台北桃園空港着(16:00)
・ 入国手続き
・ ガイドの王惠卿さんがツアー客をお迎え。
・ ガイドの下にツアー客集合(29名)
・ 大阪・神戸の中年(老年)の2人連れ(夫婦)が多いが、遠くは高知からも参加し、1
組だけ中学生の子供と母、祖母の3人組も参加。
4 バスに乗って台北桃園空港から新幹線の桃園駅へ移動(16:50~17:10)
・ 台湾元のレートは、100元=約350円。したがって、5000円を両替したら1400元
になるため、王さんがその封筒を準備してくれており、必要な都度両替してくれるとの
こと。買い物などに台湾元がいくらくらい必要なのかが全くわからないため、とりあえ
ず1万円を両替。
・ ちなみに、タクシーは、台北では基本料金が70元で、1メーターごとに5元あがるそう
だ。もっとも、花蓮は人口が少ないため、基本料金が100元で、1メーターごとに5元
あがるそうだ。
5 台湾高速鉄道(新幹線)に乗り、桃園(17:57発)から台中へ(18:35着)(写真1-①~③)
(1)飛行機が遅れたため、ガイドの王さんが安全を見込んで、かなり遅い新幹線に変更し
ていたが、遅れは1時間弱だったため、再度早い時間の新幹線に変更し、17:57分発
に乗った。
(2)台湾の台湾高速鉄道(新幹線)は日本と全く同じ仕様で、台湾高速鉄道700T型。こ
れは、JR東海とJR西日本の共同開発によって作られた新幹線700系がモデルになっ
ている。「T」は台湾の略称で、台湾の地理、気候なども考慮して設計されている。200
7年に正式開業した。台北市・台北駅から高雄市・左営駅までの345kmを最高速度3
00km/時で走る。終着駅まで各駅に停車する列車を「各站停車」、途中通過する駅(
桃園駅、新竹駅に停車しないものなど数パターン)がある列車を「直達」という。
6 新幹線の台中駅着、バスに乗って逢甲夜市へ、逢甲夜市散策(19:10~19:50)
・ 今日の観光行事は逢甲夜市散策だけ(写真1-④)。
・ 食べ物屋が多いが、民芸品の店もある(写真1-⑤、⑥)。
・ まず、可麗餅を39元で購入し、食べながら散策(写真1-⑦)。小さな民芸品の店で小
銭入れ(150元)と名刺入れ(100元)を購入。
―バスで台中兆品酒店(タイチュンメゾンデシンホテル)へ移動(19:50~20:10)―
―坂和コラム―
「ホントに良かったガイドさんのお話」 その1
台湾の地形と新高山のぼれ!
(1)1日目の夜市散策を終え、ホテルまで約20分間のバスの中での、「ホントに良
かったガイドさんのお話」その1は、台湾の地形と新高山のぼれ!
(2)質問1:台湾は何の形をしているか?その大きさはどれくらいか?
答え1:さつまいもの形。大きさは九州より少し小さいくらい。
日本も島国で山が多いが、台湾もそれは同じで、3分の2が山。台湾では、台
北、台中、台南、高雄が有名で、前回の台湾旅行もこれら西側の都市だけの観
光だった。そして、台湾の中央部から東側はほとんどが山。北から、①東北角及
び宜蘭海岸国家風景区、②雪覇国家公園、③太魯閣(タロコ)国家公園、④參山
(梨山)国家風景区、⑤花東縱谷国家風景区、⑥玉山国家公園、⑦東部海岸国
家風景区、⑧西拉雅国家風景区、⑨茂林国家風景区と続いている。
(3)質問2:あなたは「新高山のぼれ!」を知っている?新高山の高さは?
答え2:「新高山のぼれ!」は、1941年12月8日の真珠湾攻撃の暗号。正確に
は「ニイタカヤマノボレ一二〇八(ひとふたまるはち)」。一二〇八とは12月8日の
ことで、「Xデーを12月8日(日本時間)に定めた」という意味だ。ちなみに、戦争回
避となり、攻撃中止の場合の電文は「ツクバヤマハレ」だった。
新高山の高さは3952m。日本では3776mの富士山が1番高い山だが、台湾
には3000m以上の山はたくさんあり、1番高い山が新高山(現在の玉山)だ。し
かして、なぜハワイの真珠湾基地攻撃の暗号は「富士山のぼれ!」ではなく、「新
高山のぼれ!」だったの?それは、「新高山が真珠湾と同じ緯度にあったから」と
いうのが、ガイドの王さんの話だった。
(4)ところが、帰国後ネットで調べてみても、王さんの話を裏付ける明確な情報は出
てこない。ウソを言ってるはずはないから、きっと私の勉強不足なのだろう。そう思
って更に調べていると、ハワイ真珠湾の緯度が21度22分、新高山が23度46分
とほぼ同じ。したがって、「『ニイタカヤマノボレ』を『ハワイシンジュワンコウゲキセ
ヨ』とした」という説は、どうも正しいようだ。
(5)ちなみに、「新高山のぼれ!」は、「ワレ奇襲ニ成功セリ」を意味する「トラ・トラ・
トラ」と並んで日本では最も有名な暗号だが、今の日本の若者のほとんどは、この
2つとも知らないのでは・・・?<
7 台中兆品酒店(タイチュンメゾンデシンホテル)に到着。夕食(客家料理)(20:10~21:10)(写真1-⑧)
・ ビール大ビン1本 (160元)。銘柄は「台湾ビール」だが、「青島ビール」と同じように
アルコール度数は低めで、あっさり味。
・ 今回のツアー客は29名のため、食事はいつも3テーブルで、10人、10人、9人に分
かれることに。以降、メンバーは概ね固定されたが、時によっては適宜変更。
8 ホテル周辺を散策(セブンイレブンへ)(21:10~21:30)
・ 王さんから、ホテルの部屋はミネラルウォーター1本はサービスだが、冷蔵庫の中は
空っぽなので、ビール等は近くのコンビニ(セブンイレブン)で購入した方がいいとのこ
と。
・ そこで、ホテル周辺の散策を兼ねて、セブンイレブンへ。缶ビール1本購入(40元)。
10 就寝(22:30)
]]>
台湾旅行記 2014年8月 [はじめに]
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2014-08-29T10:19:00+09:00
2014-09-04T16:49:25+09:00
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海外旅行(中国)
(はじめに)この記事
(1日目旅行記)2014(平成26)年8月17日
(2日目旅行記)2014(平成26)年8月18日
(3日目旅行記)2014(平成26)年8月19日
(4日目旅行記)2014(平成26)年8月20日
(5日目旅行記)2014(平成26)年8月21日
今回の台湾旅行の動機
1) 近時の毛丹青先生との接点による北京・上海を中心とした中国旅行は、
①2008(平成20)年8月22日~24日 上海
②2009(平成21)年3月24日~27日 北京・上海
③2009(平成21)年8月17日~20日 上海
④2009(平成21)年9月17日~20日 上海
⑤2010(平成22)年3月13日~18日 大連・威海・青島
⑥2011(平成23)年11月3日~6日 上海
⑦2012(平成24)年8月16日~24日 上海・合肥・南京
と続いていた。しかし、2013年の夏は北海道への家族旅行を優先したため、中国への旅行はなし。また、昨年、今年の毛先生は『知日』の大ヒットや、近時出版した『恵恵 日中の海を越えた愛』や『孤島集』等の大ヒットのため、上海ブックフェアのみならず、日本のNHK、MBS等々でも引っ張りダコとなっており、2014年の夏も上海、北京への旅で予定がいっぱい。そのため、私との「共同作業」での上海、北京旅行まではとても手が回らない状態だ。
2) しかして、2014年の夏は久しぶりに台湾への(格安)ツアー旅行に参加することに。そのきっかけになったのは、中国福建省からの留学生であるSさんからの提案だ。当初はSさんが夏休みに故郷へ帰るのに便乗して、その故郷への旅行を考えたが、故郷の周辺にはあまり見学するところがないうえ、Sさんが旅行したい先は、(いつでも行ける)中国(本土)ではなく、台湾だった。
私がはじめて台湾旅行をしたのは、2004年10月に司法試験に合格した息子・宏展と妻と3人での、2005(平成17)年3月13日~16日の台北・高雄・台南・日月潭「台湾4日間」ツアー旅行。そこから既に10年近く経っているので、ちょうどいい機会と考えてツアーを決定したのが、今回のJTB「はじめての台湾ベストハイライト 5日間」だ。
3) 数種類のツアーの中からこのツアーを選択した時点で驚いたのは、同じツアーを事務所の事務員の細谷も選択し、いつもの「おばちゃん軍団」3人で8月13日~17日に行くことを決めていたこと。私が決めた日程は8月17日~21日だから、ちょうど入れ替わりになる(おばちゃん軍団が帰国してきた飛行機に、私たちのツアーが乗り込むことになる)。もっとも、8月13日~17日の料金は59,800円だが、8月17日~21日は何と39,800円。この料金ではどうせ安モノのホテルだろうと考えていたところ、1日目の台中兆品酒店(タイチュンメゾンデシンホテル)は3つ星だが、2日目の高雄の寒軒国際大飯店(ハンシェンインターナショナルホテル)、3日目の花蓮の美侖大飯店(パークビューホテル)は何と5つ星。そして、4日目の台北の六福客棧(レオフーホテル)も4つ星だ。また、台北では有名な圓山大飯店(ザ・グランドホテル)のオプションもあるが、それでも追加料金は1万円。しかも、今回のツアーは台湾の高速鉄道(新幹線)にも乗るし、台東や花蓮、太魯閣(タロコ)峡谷、九份観光もあるから、文字どおり台湾を北から西回りで1周することになる。バスでの移動時間は長いが、バスの中で快適に眠ることができれば、それは全然苦痛ではない。
4) 前回の台湾旅行では、カメラ4台での撮影とメモ用紙を片手にメモをとるのが息子と妻の役割だった。また、娘が大学1年生になった年にはじめて一緒に中国へのツアー旅行に行ったのが、2004(平成16)年3月31日~4月3日の杭州、紹興、烏鎮への旅その時の娘の役割も、普通の(フィルム式の)カメラとデジカメ2台を抱えての撮影と、旅行記のメモづくりだった。
今回その役割を担うのがSさん。事前に旅行日程とガイド本、そして風景と私を撮影するための専用の高級デジカメを渡し、打合せも十分にやったが、さてその成果は?
5) 今回のツアー旅行のガイドさんは、年齢不詳のおばちゃんガイドの王惠卿さん。台湾は親日派が多いが、台北生まれの王さんも両親は日本名を持っていたうえ、大の日本びいきだったそうだ。そして、王さん自身も、大の日本びいきらしい。また、計29名のツアー客は年配者が多かったこともあり、車中での彼女のガイドは観光案内だけではなく日台のさまざまな関わりについて、うんちくのある話が多かった。そこで、今回の台湾旅行記では、いつもの「坂和的旅行記」だけではなく、帰国後確認した情報も交えながら、「ホントに良かったガイドさんのお話 その1~8」も記したい。
以上
2014(平成26)年8月29日記]]>
上海・合肥・南京・上海旅行記 2012年8月 [9日目]
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2012-09-05T15:15:00+09:00
2012-09-05T16:04:54+09:00
2012-09-05T15:15:23+09:00
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海外旅行(中国)
(はじめに)
(1日目旅行記)2012(平成24)年8月16日
(2日目旅行記)2012(平成24)年8月17日
(3日目旅行記)2012(平成24)年8月18日
(4日目旅行記)2012(平成24)年8月19日
(5日目旅行記)2012(平成24)年8月20日
(6日目旅行記)2012(平成24)年8月21日
(7日目旅行記)2012(平成24)年8月22日
(8日目旅行記)2012(平成24)年8月23日
(9日目旅行記)2012(平成24)年8月24日 この記事
2012(平成24)年8月24日(金) ⇒ 写真9ー①~⑧
今日のメイン
①午前中上海博物館、豫園見学
②午後から帰路へ
1 起床(7:00)、朝食(7:10~7:50)
(1)朝食後、午前中は坂和と員子の2人でタクシーに乗り、上海博物館へ(8:20~8:
40)(14元)。
(2)孫君とは1時にホテルのフロントで会うことになっているから、それまでは私たち夫婦
だけで責任を持って行動しなければならない。ホテルは人民路にあり、豫園や人民広
場、上海博物館にも近い。南京では幸いなことに台風の影響からか気温が低かった
が、今日は天気もよく暑いので博物館へ行くことに。
(3)歩いても行くことができる距離だが、やはり暑いのでタクシーに乗り、覚えたての中
国語で「博物館(bó wù guǎn)」と発音するとしっかり伝わった。
2 上海博物館見学(9:00~11:15)
(1)8:30頃到着したが、開館は9時からなので入口付近で写真撮影をしながら待った
(写真9ー①、②)。入場券を買おうとしたが、売り場がないので尋ねると、入場料は無
料と聞いてびっくり。
(2)私は3回目だが、員子ははじめて。1時間あまりの見学だったが、充実した展示内容
に満足。見学終了後、タクシーに乗りホテルへ。
3 上海中星君亭酒店で休憩。チェックアウト(11:30~12:50)
これですべての見学日程を終了したと考え、軽くパンなどを食べて昼食を済まし、シャ
ワーを浴びて荷物を整理し終わった1時前に孫君が部屋に入ってきた。今日は道路が
混んでいないので、空港への出発は2時半頃で十分とのこと。そこで、チェックアウトを
済ませ、荷物をフロントに預けて、徒歩で豫園老街へ行くことに。
4 豫園老街へ(12:50~2:00)
(1)ここも既に数回来ているが、ホテルから徒歩10分で来れることにビックリ。九曲桥
(写真9ー③)、西洋鏡(写真9ー④)などお馴染みの場所を含めて、豫園老街の中を
孫君の案内で約1時間見学(写真9ー⑤)。
(2)太陽が照りつける中を歩くのは大変だったが、上海にやってきたという実感を最後に
再度味わうことができた。
5 ホテルを出発し、タクシーで上海浦東空港へ(2:20~3:40)
(1)ホテルの前でタクシーに乗り、孫君が助手席に私と員子が後部座席に座ると、運転
手が日本語で「日本人?」と話しかけてきた。その後、孫君と運転手が中国語で語り合
ったところによると、この運転手の娘さんが日本語を勉強し日本の某企業に勤めてい
るため、父親も日本が好きになるとともに少しだけ日本語が話せるらしい。そこで、私の
片言の中国語と彼の片言の日本語が飛び交い、これを孫君がまとめるという奇妙な会
話が成立した。
(2)それはそれで楽しいのだが、少し恐ろしかったのは、私たちに好意を示してくれた運
転手がたびたび助手席の孫君の方を見るため、よそ見運転になっていること。それ
も、混んでいる道路をかき分けかき分けしながら、あるいは高速道路上をぶっ飛ばしな
がらだから、後部座席からこれを見ていると相当恐い。話の中で私の『电影如歌 一个
人的银幕笔记』をプレゼントする話もまとまり、約30分もするとほどよい疲れから私も
孫君もウトウトし始めたため会話は中断。そして出発から1時間20分後に上海浦東空
港へ到着。料金は200元かかったが、これは上海のタクシー料金の基本が14元に上
がっているためだから仕方なし。タクシーを降りたところで『电影如歌 一个人的银幕笔
记』を運転手に贈呈し、名刺交換して記念撮影を(写真9ー⑥)。
6 上海浦東空港到着(3:40)、ラーメン店へ(3:40~4:45)
(1)外国から帰国する時は2時間前に出国手続をするのが原則だが、出発時刻の18:
20まではまだ十分時間がある。そこで出国手続をするまでの間、孫君ともう少し話をし
ようと考えたことと、目の前に見えた「味千拉麺」のラーメンを食べてみたかったため、こ
こに入ることに(写真9ー⑦)。ここでは孫君がラーメン単品を、私と員子は2人で1人
前の定食を注文。ここは日本風のラーメン店で、店員も日本風の服装だが、笑顔のつく
り方などの接客態度は日本に比べるとイマイチ。しかし、トマト味のラーメンは結構美
味。料金は3人で合計105元。
(2)そんなラーメン談義や日中サービス比較論から、孫君が日本へ出発する時の両親の
見送り風景など涙の出そうな話まで話題は尽きなかったが、いよいよ出国手続をしなけ
ればならなくなった。そこで4:45に店を出て、通行する人にカメラのシャッターを押して
もらい、3人で上海最後の記念撮影を(写真9ー⑧)。今日は空いていたので出国手続
はスムーズに終わり、搭乗口前で約1時間待ち飛行機内へ。
7 上海浦東空港(18:20発NH154便)から関西国際空港へ(20:35着)(日本時間21:35着)
飛行機の中に乗り込めば、例によって夕食を食べワインを飲み一眠りするだけだが、
実は今回はじめてリクライニングの倒し方をめぐって後部座席の男性と一悶着が。私の
大声にキャビンアテンダントも驚いて駆けつけてきたが、こちらも収まらずケンカになる
なら徹底的に受けて立つつもり。ところが関空に到着すると、その男性は逃げ出すよう
にいち早く手荷物を持って先に行ってしまったから、それ以上のトラブルにならず、意外
にあっけない幕切れに・・・。
8 関西国際空港から自宅へ
(1)「関西空港」22:13発→「天下茶屋」22:53着
「天下茶屋」23:06発→「南森町」23:18着
トランクをガラガラと押しながら自宅へ。
以上]]>
上海・合肥・南京・上海旅行記 2012年8月 [8日目]
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2012-09-04T18:11:00+09:00
2012-09-05T16:03:55+09:00
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海外旅行(中国)
(はじめに)
(1日目旅行記)2012(平成24)年8月16日
(2日目旅行記)2012(平成24)年8月17日
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(9日目旅行記)2012(平成24)年8月24日
2012(平成24)年8月23日(木) ⇒ 写真8ー①~36
今日のメイン
①午前中南京見学
②昼から上海へ
③6時から季衛東先生らと会食
1 起床(6:15)、朝食(6:30~7:05)
いつものように朝食を済まし、蘇寧環球套房飯店を出発(7:40)。孫君は少し朝寝坊
したため朝食は食べていないらしい。
2 南京博物院(朝天宮)(8:05~9:30)
(1)博物館はどこに?
ガイド本による事前学習では、南京博物院は中山東路321号にあるはず。また、こ
こは北京故宮博物院、台北故宮博物院に次いで3番目の博物館らしいから、多くの
観光客が訪れているはず。そう思って朝1番の観光先にしようとタクシーに乗ったが、何
と運転手はこれを知らないらしい。そんなバカな!と思いつつ、孫君が2台目、3台目の
タクシーに聞いてもみんな知らないと言っている。そこで、ホテルのフロントで調べても
らい、そのメモを持って次のタクシーに聞くと、やっと乗せてくれた。そこで到着したの
が、国家AAAA級旅游景区(点)朝天宮导游图にある「南京市博物館(朝天宮景区)」
(写真8ー①)。ここは現在「圣塔佛光」特別展をやっているらしく、入場料は合わせて6
0元(写真8ー②)。
(2)内容はタップリ!
朝8時からの開場だが、観光客は誰もいないのでビックリ。もっとも、団体客の予定
はあったらしく、8:30頃からは賑わい始め、私たちが帰る9:30頃には入口付近は駐
車しているバスでいっぱいになっていた。ここにもまず孔子の像があり、大成門を入ると
さまざまな展示館があった(写真8ー③)。こんな時は団体客を率いるガイドの話を聞く
のが手っ取り早いので、それに従って歩くと「六朝南京城市建设大事记」の歴史がよく
わかった(写真8ー④)。
(3)南京は古い都!
南京は古くは『三国志』で有名な孫権が西暦229年に都をつくったところで、『三国志』
でおなじみの諸葛孔明と孫権が並ぶ蝋人形もあった(写真8ー⑤)。また明の時代に
はじめて大船団を仕立てて海外に進出した郑和の像もあった(写真8ー⑥)。さらに、
博物館らしく「博愛」(写真8ー➆)と書いた孫文自筆の書や「中華民国元年元旦 孫
文」と記した「大総統誓詞」(写真8ー⑧)なども保管されていた。
ここでは入口の門に書かれてある「徳配天地」と「江寧府学」の文字の意味をしっかり
理解することが大切だ(写真8ー⑨、⑩)。
3 太平天国歴史博物館(太平天国历史博物馆)
(1)洪秀全とは?
次の目的地は、ガイド本にもあった太平天国歴史博物館。清国に抵抗して1851年
に洪秀全が太平天国という国を建国したことは中国史の勉強で知っている。天王を自
称した洪秀全は1852年に広西から湖南へと進出し、1853年に南京を占領。ここを天
京と改称し太平天国の首都に定めた。しかし、その勢力は長く続かず、1862年には天
京付近の拠点は清軍に奪回され、洪秀全は1864年に病没した。
(2)ここも内容はタップリ!
しかして、昨日行った夫子廟のすぐ近くの瞻園(せんえん)内にある太平天国歴史博
物館は太平天国に関する中国で唯一の専門博物館だ(写真8ー⑪~⑭)。館内には
太平天国に関する史料がたくさん展示されている。入るとすぐに洪秀全の像が(写真8
ー⑮)。そして館内には興味深いさまざまな史料が(写真8ー⑯~⑱)。ここはもとは
太平天国の指導者の1人だった楊秀清の王府だったところ。また隣にある瞻園には、
太平天国の乱で南京が陥落した時に、太平天国の指導者であった洪秀全が住んでい
たらしい。門には「瞻園」の文字が刻まれているが、これは清の6代目皇帝、乾隆帝の
直筆らしい。乾隆帝が「瞻望玉堂」と記したことによって、「瞻園」に改名されたそうだ。
(3)孫文と毛沢東の評価は?
最後に、孫文と毛沢東による太平天国に対する評価が書かれてあった(写真8ー
⑲、⑳)が、さてその内容は?
4 夫子廟(9:40~11:05)
(1)昨日の夕方から見学し、夕食に南京小吃を食べた夫子廟も情緒があったが、昼間に
見る明るい夫子廟は活気がいっぱい(写真8ー21)。昨日と同じように、5元で買った
カンの青島ビールを飲みながら今日はお土産店に入り、お土産を物色(写真8ー22、
23)。
(2)南京では「香辣鸭翅」が有名なので、それを購入(写真8ー24)。張藝謀監督の映
画『金陵十三釵(The Flowers Of War)』には大きなショックを受けたが、金
陵とはもともと南京を指す言葉。『金陵十二釵』は曹雪芹の小説だが、それを同じ名前のお菓子
があったのでそれを購入(写真8ー25)。さらに「怪味胡豆」や「奶香葵仁」などの豆類
がたくさんあるのを見て(写真8ー26)、私が抱いた疑問は、日本にある「南京豆」は
なぜ南京豆というのだろう?ということ。それについてはさすがに孫君からも明確な回
答はなかった。
(3)以上で南京見学をすべて終え、タクシーでホテルへ(11:05~11:25)。
5 蘇寧環球套房飯店をチェックアウト(12:10)、南京南駅へ(12:15~12:45)
(1)孫君がフロントで聞いたところによると、駅への道路の一部が工事中のため渋滞
するらしい。案の定工事中の道路は全く動かない状態だったが、孫君が運転手に頼む
と、そこからは俄然暴走運転(?)に。渋滞中の道路も、とにかく先に先にと割り込んで
いったことでようやく脱し、その後3~4車線の高架道路に入ると、カーレースのように
自在に車線を変更しながらぶっ飛ばしたことによって、余裕を持って南京南駅に到着。
タクシー代に若干のお礼分を上乗せして料金を払ったのは当然だが、こんな神業的運
転に、しばし快感!
(2)手荷物検査を終えて待合所に行くと、何とそこには特等席専用のVIPルームがあり、
ペットボトル類はもちろんホットコーヒーのサービスまであり、すべて飲み放題。さらにス
ナック類もたくさん置いてあり、いくらでも食べることができるからすごい。日本の新幹線
ではこんなサービスは考えられないから、これを見て完全に中国の高速鉄道のサービ
スの方が日本の新幹線のそれより上回っていることを実感!(写真8ー27、28)
6 高速鉄道(商务座)で上海へ(1時間21分)
(1)「南京南駅」13:08発、「上海虹桥駅」14:29着の「和谐号」に乗車(時速308
キロメートル)(写真8ー29、30)。
途中停車駅は「常州北駅」「苏州北駅」のみ。
(2)ここではじめて、日本の新幹線に相当する中国の高速鉄道のしかも特等席(商务座)
に乗ることに。速度は308km(写真8ー31)。日本の新幹線のグリーン車は2列×2で
高速鉄道の1等席と同じだが、特等席は1列+2列で1車両8席だから、1車両の定員
がわずか24名(写真8ー32)。座席の前はバカ長く空いているうえ、自動で座席を倒
すことができ、全部横にすると完全なベッドになる(写真8ー33)。その長さは長身の
外国人対応らしく2mは優にある。
(3)また、孫君が弁当を買おうとすると、何と昼食時は無料らしい。もっとも、残念ながら
今回はその時間を過ぎていたので、有料だった。ちなみに料金は1人430元(約6000
円)だから、やはり列車に比べると非常に高い。
(4)上海虹桥駅に到着後、タクシーでブックフェアの間泊まっていたホテル上海中星君亭
酒店へ(12:45~3:30)。
7 上海中星君亭酒店へ到着(3:30)
(1)チェックイン(3:30)。部屋に入り、シャワーを浴びて、しばし休憩。
(2)孫君を通じて、上海文芸出版社の夏青根さんの代理の人から、孫君経由で日本へ
手荷物で持ち帰る『电影如歌 一个人的银幕笔记』の本50冊を受領。
(3)孫君から日本へのお土産として「虎斑蝶」や「高山绢蝶」などの標本を受領(写真8
ー34)。
(4)6時に約束している季衛東・駱美化先生との会食のため、ホテルを早目に出発。タク
シーで移動(5:00~5:20)。
8 季衛東・駱美化と会食(5:20~9:00)
(1)5:20頃、坂和、員子、孫晨俊の3人がレストラン「申粤轩酒楼」に到着。
(2)5:30頃、8月19日昼に会食した俞蕾、许胜、高啓方の3人が到着。
(3)6:00少し前に、季衛東・駱美化先生到着。
(4)6:00から夕食会が開始。参加者は私たち夫婦、季衛東、駱美化、孫晨俊、俞蕾、
许胜、高啓方の計8名。
(5)私はもちろん季衛東・駱美化先生とは初対面だが、これまでにメールや資料のやりと
りがあったためすぐに溶け込むことができた。そして、互いの経験談や法教育の現状、
弁護士としての活動分野などに関して話題が盛り上がり、あっという間に時間が経過し
た。俞蕾、许胜、高啓方の3人と孫晨俊も季衛東・駱美化先生とは初対面だったが、互
いに上海を根拠に活動しているうえ全員が日本への留学経験があるので共通の話題
が多く、こちらもすぐに溶け込んだ。
興味深かったのは、この食事会では最初に乾杯はしたものの、その後乾杯を重ね、
酒を強引に勧めることが全くなかったこと。これは車で来ていることもあるが、何よりも
全員が日本での留学経験があるため日本流の会食に慣れているためだ。いくらでも酒
を飲めるのは私くらいのものだったから、私だけはビールをぐいぐい飲みながら3時間
弱の楽しい会食をすることができた。今度季衛東・駱美化先生が日本に来られる時に
は、是非お返しの場を設けなければ・・・(写真8ー35、36)。
(6)会合終了後は皆さんと別れて、坂和、員子、孫君はタクシーでホテルへ(9:00~9:
30)。
9 上海中星君亭酒店へ戻り、就寝(9:30~0:00)
孫君は明日午前中の私たちの観光につき合うためホテルに宿泊する予定だったが、
明日の午前中は坂和と員子の2人だけで博物館へ行くことができることを説明し、孫君
には自宅に帰ってもらうことに。孫君、今日はゆっくり自宅で休んでください。]]>
上海・合肥・南京・上海旅行記 2012年8月 [7日目]
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2012-09-04T17:49:00+09:00
2012-09-05T16:03:02+09:00
2012-09-04T17:49:22+09:00
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(1日目旅行記)2012(平成24)年8月16日
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(8日目旅行記)2012(平成24)年8月23日
(9日目旅行記)2012(平成24)年8月24日
2012(平成24)年8月22日(水) ⇒ 写真7ー①~38
今日のメイン
①朝、合肥から南京へ
②9時から南京見学
1 起床(5:00)、出発(6:40)
(1)合肥万达威斯汀酒店(THE WESTIN)をチェックアウトし、出発(6:40)。
(2)毛先生は合肥空港から北京へ行くためここで別れ、李君、李宏社長はその見送り
として1台の車に。
(3)南京へは坂和、員子、松本君、孫君の4人で一緒に移動するため、もう1台の車に。
(4)合肥駅へ到着(7:10)
駅構内にあるファーストフード店「八仙桥」にて朝の定食(ラーメンのようなもの)(50
~60元)を食べる(7:15~7:40)。松本君は睡眠不足で食べたくないらしく食べなか
った。
(5)心配していた台風による雨の心配は全くないようだ。しかもラッキーなことに台風の
せいか、気温が急に10度近く下がったため、真夏にしては涼しいくらい。南京は中国
でも1番暑い都市だし、今日は観光のため外を歩き回るから涼しいのはありがたい。
2 合肥から南京へ、列車(1等席、1人73元)で移動(所要時間1時間14
分)(写真7ー①)
「合肥」7:55発→「南京南」9:09着。
途中停止した駅は、「肥东」と「全椒」。
3 1日チャーター車の手配(9:35)
改札を出たところで、観光ガイドの女性からガイド+チャーター車を薦められる。そこ
で、4人がゆっくり乗れるワゴン車で、本来6時まで800元のところ、8時までで1000
元ということで契約。契約が成立し駅を出て待ったが、約1時間近く車が遅れた。これも
中国流か・・・?
4 南京見学その1 侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館(侵华日军南京大屠杀遇难同胞纪念馆)(11:05~12:15)
(1)ホテルに入る前に、侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館(侵华日军南京大屠杀遇
难同胞纪念馆)を見学することに(写真7ー②)。
(2)ここは、1937年12月に日本軍が南京に侵攻し南京城を占領した時の「30万人大
虐殺」を含む多くの悲劇を語りつぐための記念館。2007年12月改装工事を終え、3
倍の大きさになったとのこと。ここは愛国教育のため入場は無料だ。
(3)巨大な敷地の外側には壁に沿ってたくさんの像が置かれているが、これらはいずれ
も悲惨な目にあった中国人たちの姿(写真7ー③)。また構内に入ると、そこには遇难
者300000という数字が数カ所大きく書かれている(写真7ー④)。
(4)史料陈列厅の中に入ると、南京大虐殺の歴史を物語る数々の資料が展示されてい
る(写真7ー⑤)。「万人坑」遺跡には人骨を残したままの姿が(写真7ー⑥、⑦)。史
料陈列厅を出ると、そこには平和の塔が建つ広場があり、和平という文字が刻まれて
いたのが印象的だった(写真7ー⑧)。
(5)1時間あまりの見学で考えたことはいろいろあるが、書けばきりがないので、ここでは
一切ノーコメント。ただ、過去を学ぶことの必要性と、それを恨みつらみと受け止める
のではなく、未来への平和志向にしていくことの大切さを痛感。
5 チャーター車でホテルへ移動(12:35~12:50)
孫君が予約していた南京のホテル「蘇寧環球套房飯店」に到着。チェックイン(12:5
0~1:15)。今日はまともな昼食を省略して、観光に集中することに。
6 ホテルから総統府へ移動中に、裁判所(南京市中級人民法院)を発見。
その前で写真撮影 (写真7ー⑨)
7 南京見学その2 総統府見学(1:40~3:00)
チャーター車で総統府へ到着(写真7ー⑩)。
松本君は北京で毛先生と合流するため、ここで別れた。
(1)ここは1911年に辛亥革命を起こした孫文が、初代臨時大統領として1912年1月1
日に「中華民国」の建国を宣言した時に総統府を置いたところ。それ以外にも、以下の
とおり時代の流れの中で多くの権力者がここを政府の庁舎として使用してきた。
(2)すなわち、ここは、1853年に清国に抵抗して太平天国を起こした洪秀全が南京を
天京と改称するとともに、天王府を置いたところ(写真7ー⑪)。また清の時代は両江
(江南省(現江蘇省、安徽省)・江西省)の総督府が置かれたところ(写真7ー⑫)。大
統領の地位はその後、孫文から袁世凱に移ったため、孫文はわずか91日だけの大統
領に終わった。その後、北伐に成功した蒋介石が1927年3月に南京を首都と定め、こ
こに「国民政府」の看板が掲げられた。しかし1937年、日本軍が南京に侵攻し陥落す
ると、汪兆銘の日本「傀儡政府」が誕生した。1945年日本軍が降伏すると、1946年
蒋介石が南京に再入城を果たし、再び「国民政府」の看板が掲げられた。1948年に
蒋介石が中華民国総統に就任して再び「総統府」の看板が復活した。しかし1949年4
月23日に人民解放軍が南京を占領すると「総統府」の看板が下ろされ、中華民国の
「青天白日旗」から、中華人民共和国の「五星紅旗」にかわった。
(3)その広大な敷地にはさまざまな建物があり、太平天国に関する資料陳列館や中華
民国に関する資料陳列館がある。また、孫文の執務室、蒋介石の執務室(写真7ー
⑬)、さらに国務会議を行うための会議室や休憩室(写真7ー⑭)などがそのまま保管
されている。ちなみに私にとって最も印象的だったのは、「天下為公」の文字の下、国
父孫文を中心に多くの革命家たちが従っている大きな絵だった(写真7ー⑮)。
(4)チャーター車で移動(3:00~3:20)。
8 南京見学その3 中山陵(3:20~5:05)
(1)中山陵の陵園
中山陵は孫文の陵墓で、孫文の遺体は南京市の中心部から北東に位置する広大な
紫金山という山の奥の祭堂にある。チャーター車は中山陵のふもとまでしか行けず、そ
こからは70人くらいを乗せて引っ張る電動の車で陵墓のふもとまで行くことに(写真7
ー⑯)。
三民主義(民族主義・民権主義・民生主義)を唱えた孫文を祭る陵園の入口には「天
下為公」の言葉が掲げられている。また、青い瓦屋根と白い壁は中華民国の国旗、青
天白日旗の青天白日を表している(写真7ー⑰)。
(2)中山陵の祭堂、墓室
中山陵と聞くと小高い丘をイメージするが、はるか上に仰ぎ見る陵墓までの階段は
392段もあるそうで、こりゃかなりの高さ。足の弱い人はとても上れない高さだ(写真7
ー⑱、⑲)。この階段を汗をかきかき上っていくと、上の祭堂の入口には民族、民生、
民権の文字があり(写真7ー⑳)、中には孫文の像があった(写真7ー21)。もっとも、
これは05年3月の台湾旅行の際に見学した台北の中正紀念堂で見た蒋介石の巨大
なブロンズ像に比べるとかなり小さかったのが印象的。また、像のある建物内から出る
と、すぐ隣に孫文の死体を安置した墓室があるが、その中には入れない。しかし、その
中をカメラで撮影している写真を2元払うと双眼鏡のようなものを通して見ることができ
るというので、それにチャレンジ。わずか1分ほどで写真も5枚ほどだが、なるほど、な
るほど(写真7ー22、23)。
9 途中、車の中から城門を撮影
(1)ガイド本によると南京には明の時代に築かれた巨大な城壁の門として中華門が有名
だが、これは一瞬見ればそれで終わり。他方、南京は昔城壁で囲まれていたが、そ
れが数々の戦乱で壊されたのは当然。したがって、残っている城壁や門はそれなりの
価値がある。
(2)しかして、車で移動中に見えた城壁や門を瞬間的に撮影!(写真7ー25)
10 南京見学その4 夫子廟(夫子庙)(5:40~6:50)
(1)夫子廟
夫子廟は南京市内の秦淮河北岸の貢院街に位置し、孔子を祭っているところ。
「夫子」はもともと儒学者に対する尊称で、孔夫子などと呼ばれていたこともあり、夫子
廟は、一般に孔子廟のことを意味する。
(2)孔子廟
まずは孔子を祭った孔子廟を見学。大成門を入るとすぐ孔子の像がある。胸の前で
左手を前に右手を後ろに両手を合わせているが、左手の4指は四書(「論語」「大学」
「中庸」「孟子」)のことを、右手の5指は五経(「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春
秋」)のことを意味していることをはじめて教えてもらった(写真7ー26~29)。
(3)江南貢院
続いて「江南貢院」へ。これは南宋の時代に、科挙の試験場としてつくられたもの
で、明の太祖朱元璋(しゅげんしょう)が首都を南京に定めてから、国レベルの科挙
の試験場として重要になった(写真7ー30)。ここには科挙の試験を合格した才人たち
の像がたくさん建てられている(写真7ー31)と共に、合格者の氏名が記載されてい
る。
(4)跨龙門
日本では登龍門という言葉が有名だが、ここには跨龙門があり、この龍を何回か跨
げばそれなりの功用があるらしい。書かれたとおり、最大の回数を跨いだから私にも
それなりの功用が・・・(写真7ー32)。
(5)書のプレゼント
門の側では名前の字をトップにすえた詩(?)を書いてくれる人がいて、孫君がこれ
をプレゼントしてくれた(写真7ー33)。
11 「夫子廟」の歩行者天国を散策
秦淮河には船着き場があり、たくさんの小船が浮かんでいた(写真7ー34)。文德桥
は夫子廟を流れる秦淮河に架かる橋。秦淮河の南側の岸には、龍が描かれている
「大照壁」がある(写真7ー35)。
12 「秦准人家」にて夕食(7:00~8:00)
(1)移動中に孫君が運転手に聞いたところ、夫子廟には秦淮河沿いで、劇を見ながら
南京名物の小吃料理を出してくれるおいしくて安い店があるとのことだった。たしかに、
そこには「品小吃、看皮影、賞夜景」という看板が(写真7ー36)。期待をしてその店に
入ったが、残念ながら満席。
(2)そこで隣の店へ。ここも南京小吃の店だが、秦淮河が見られないテーブル席しかな
かったのが残念。南京小吃はすべてセットになっており、約30種類の小吃が次々と出
てくるもので很好吃(写真7ー37)。しかも、3人で654元だから安いものだ。チャータ
ー車のラストが8時なので、8時前に夕食を終え、車に乗り込んでホテルへ(8:00~
8:45)。
13 蘇寧環球套房飯店へ戻るとハプニングが!(8:45~0:00)
(1)チェックインできてない??
部屋に入ってシャワーを浴び荷物を整理していると、孫君が大皿に載せたフルーツ
の盛り合わせを持って部屋に入ってきたのでビックリ。聞くところによると、何かの手違
いで孫君の部屋がチェックインできていなかったらしい。そこで窮余の策としてホテル側
が提案したのは、現在一部改修中のスイートルームである2522号室を提供するという
ことだったらしい。さらに、お詫びとして冷蔵庫内の飲み物は自由に飲んでもらっていい
と言われているらしい。
(2)スイートルームと交換!
それを受けての孫君の提案は、自分1人でそんな広い部屋に泊まっても仕方ないの
で、坂和夫妻の部屋と交換しようということ。「そりゃラッキー」と考え、部屋を交代した
が、2522号室は大きなリビングに、台所設備までついた立派なスイートルームだっ
た。もっとも、改修中のためスリッパがない、一部の内線電話がつながらないなど若干
の不備はあったが、普通なら一切使用しない部屋の冷蔵庫内からビールやコーラを出
し、豪華なフルーツを食べながらリビングのソファに座って3人で談笑(写真7ー38)。
(3)話は尽きなかったが・・・
明日は午前中引き続き南京市内の見学をした後、日本の新幹線に相当する高速鉄
道の特等席(商务座)に乗って、上海に戻ることになっているため、今日までの旅を振り
返りながらいろいろと話が広がった。話はいつまでも尽きなかったが、ほどほどの時間
でお開きに。私はシャワーだけで十分だが、員子はスイートルームの豪華な湯船につ
かって、ゆっくり疲れを癒すことに。]]>
上海・合肥・南京・上海旅行記 2012年8月 [6日目]
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海外旅行(中国)
(はじめに)
(1日目旅行記)2012(平成24)年8月16日
(2日目旅行記)2012(平成24)年8月17日
(3日目旅行記)2012(平成24)年8月18日
(4日目旅行記)2012(平成24)年8月19日
(5日目旅行記)2012(平成24)年8月20日
(6日目旅行記)2012(平成24)年8月21日 この記事
(7日目旅行記)2012(平成24)年8月22日
(8日目旅行記)2012(平成24)年8月23日
(9日目旅行記)2012(平成24)年8月24日
2012(平成24)年8月21日(火) ⇒ 写真6ー①~24
今日のメイン
①合肥観光
②李宏社長主催の夕食会
1 起床(7:20)、朝食(7:35~8:20)
ウェスティンホテルは大阪にもあるが、高級すぎて泊まったことはない。合肥ではそ
んな高級ホテルのウェスティンに宿泊することに。朝食後、ロビーで写真撮影(写真6
ー①)。
2 李宏社長と秘書がお迎えに(9:35)
車2台で出発 1台目:毛丹青、李宏、秘書
2台目:李渊博、坂和、員子、松本一博、孫晨俊(9:40~10:10)
3 逍遙津公園付近を見学
(1)ホテルから2台の車で逍遙津公園近くのビルへ、そこの駐車場に車を入れて徒歩で
散策を開始(写真6ー②)。
(2)ガイド本によれば、合肥の見どころとして①逍遙津公園②明教寺があった。2台の車
から降りてうろうろと見学しながら歩いたのが逍遙津公園の近くらしいが、正直なところ
よくわからなかった。
4 李鸿章故居見学(10:10~11:15)
(1)歩行者天国の道路を歩いていくと、右手に李鸿章故居があった(写真6ー③)。
李鸿章の名前は昔から知っていたし、2010年3月13日~18日の大連・威海・青島
旅行で「定遠号」を見学した時は、清国の近代化に尽力した李鸿章のことも詳しく展示
されていた。その李鸿章の出身地が合肥であったことは全然知らなかったので、合肥
にその「故居」があると知ってビックリ。
(2)李鸿章(1823-1901)の故居には、大门、前厅、中厅、走马楼(小姐楼)があり、
「李鸿章生平展」「淮系集团与中国近代化展览」が展示されている(写真6ー④)。中
国の指導者たちも多くがここを訪れているが、今回特に興味深かったのは、パンフレッ
トに05年6月に薄熙来がここを訪れた写真が載せられていたこと。「薄熙来事件」は全
世界的に有名になったし、8月20日にはその妻である谷開来の殺人事件の第1回公
判が合肥市にある中級人民法院で開かれて即日結審し、昨日8月20日にその判決
言渡がされたところ。そんなグッドタイミングで合肥を訪れたのも何かの縁かも・・・?
(3)公直、和睦、勤倹を家訓とした李鸿章が歴史的に果たした役割は①编练淮军②
筹办北洋海军③海军公开④兴办近代企业⑤兴学育才⑥“和戎”外交⑦对日外交⑧出
使欧美など非常に大きい。また、その家族もそれぞれの分野で活躍しているが、特に
有名なのが张爱玲で、彼女の祖母が李鸿章の長女とのこと。张爱玲は李安(アン・リ
ー)監督が映画化した『ラスト、コーション(色、戒/LUST,CAUTION)』(07
年)の原作者として私もよく知っている。
(4)2台の車で包公祠へ移動(11:15~11:30)。
5 包公祠見学(11:30~12:15)
(1)包公祠は、北宋の名臣として名高い包拯(ほうじょう)を祭った祠堂で、包公園の
中に位置する(写真6ー⑤)。包公(999-1062)とは包拯のことで、公正かつ潔白な
高官として知られているらしい(写真6ー⑥)が、日本人はほとんど知らないはず。包公
は官僚と言っても裁判官として有名で、日本における大岡越前のような存在だったらし
い。裁判官だから死刑の判決を言い渡したことも多いはずで、死刑の執行は写真に写
る3種類(龍、虎、犬)のギロチンのような首切り道具(「押し切り」というらしい)で行って
いたらしい(写真6ー⑦)。
(2)また、さまざまな紛争で彼が下した判決は民間伝承や芸能の世界で広く語り継が
れ、包公故事という1つのジャンルが形成されたらしい。そして、親孝行と清廉潔白なイ
メージは人々に愛され、現代でも台湾発のテレビドラマ「包青天」(バオチンティエン)等
が人気で、老若男女、中華圏では誰1人として知らない人はいないほどらしい。それら
の故事(ドラマ)は「包公故事蜡像馆」でたくさんの蝋人形として展示されていた(写真6
ー⑧、⑨)が、日本人の私にはよくわからないものばかりだった。また、包公の子孫た
ちはその後三十数代にわたって歴代王朝に官僚として務めたというからすごい。
(3)包公祠の中には「廉泉」という井戸があった。この水は、良い官僚が飲むと蜂蜜
のように甘く、悪い官僚が飲むと頭が割れるように痛くなったという言い伝えがあるらし
い。そのためこの水を「廉泉」(写真6ー⑩、⑪)といい、合肥は現在「廉泉」のビールを
生産しているとのことだ。
(4)包公の墓見学(12:15~12:50)
包公祠の隣には包公の墓があった(写真6ー⑫)。その地下には包公の遺骨を納め
た石棺が保管されていた(写真6ー⑬)。
(5)昼食のため2台の車で移動。
6 「银鯊国际美食百汇」にて昼食(1:00~2:30)
(1)昼食は巨大なビル(モール)内のレストラン街にある「银鯊国际美食百汇」で食べるこ
とに(写真6ー⑭)。ここは海鮮をメインとしたバイキング方式。とにかく品種は豊富で
ワインやハーゲンダッツのアイスクリームまで食べ放題、飲み放題。昼食は軽くするつ
もりだったが、これだけおいしいものが出てくるとついつい一生懸命食べてしまうこと
に(写真6ー⑮)。
(2)昼食を終えビル内を歩いていると、合肥名物の焼餅を実演製造販売していた店があ
った。昔これを焼くバイトをしていたという李君が、これを買ってくれたので食べてみた
が、きわめて美味(写真6ー⑯)。
7 中国科学技術大学に立ち寄る(2:30~2:50)
(1)昼食後は「巢湖」の見学と安徽省博物館に行く予定だが、その途中にある中国科学
技術大学の見学へ。
(2)この大学は1958年に開学したが、その時は北京の中国共産党中央党校内に存
在したらしい。ビックリしたのは、初代学長が私もその名前をよく知っている郭沬若だと
いうこと。1966年に始まった文化大革命の影響で1970年に合肥に移転したが、
文革以降は「世界の学府を創り、天下の英才を育てる(创寰宇学府、育天下英)」とい
う建学目標を掲げて、最初の大学院を設置、中国を代表する理系大学になったとのこ
とだ。
(3)初代学長「郭沬若像」の前で記念撮影(写真6ー⑰)。
8 合肥市中級人民法院に立ち寄る(2:50~3:20)
さらに途中、合肥市中級人民法院で下車して写真撮影(写真6ー⑱)。ここで昨日、
薄熙来の妻である谷開来の殺人被告事件につき執行猶予付き死刑判決が言い渡され
たわけだ。
9 淡水の五大湖の1つ「巢湖」へ(3:20~4:00)
(1)中国には杭州の西湖など5つの有名な湖があり、合肥の「巢湖」はその1つで最小
の湖とのこと。巢湖は李宏社長の会社がある滨湖新区よりさらに南にあるため、かなり
の時間を車で走ることに。また巢湖には中国共産党が国民党を打ち破った戦勝記念
館がある(写真6ー⑲)。
(2)今後この湖周辺を公園として整備し、多くの観光客を呼ぶらしい(写真6ー⑳)。
10 安徽省博物館へ到着したが、既に閉館していたため写真撮影のみ(4:20~5:05)
その後は予定どおり安徽省博物館に向かったが、ガイド本に書かれた博物館は別
の場所に移転しているうえ、運転手もその場所がわからないらしい。やっと到着する
と4:20になっており、既に閉館時間だったため写真撮影のみ(写真6ー21)。上海
博物館の巨大さにもビックリしたが、ここ合肥の博物館の巨大さにもビックリ。
11 「和煦国大酒店」にて夕食(6:20~9:00)
(1)今日の夕食会も李君の父親、李宏社長のセットで「和煦国大酒店」という店(写真6
ー22)。我々が車で到着すると、既に白酒と赤ワインのビンを詰めた箱がレストランに
運ばれていたから今日も大変なことになりそう。丸テーブル横の大きなソファに座りしば
らく談笑していると、6:00に李宏社長の会社の取締役とその息子(李君の同級生)が、
6:10に人民解放軍の少将で軍医をしているという男性が到着した。
(2)丸テーブルに豪華な料理が並ぶ頃には席順も決まり、7:30頃にまずは白酒で乾杯
!(写真6ー23)以降いろいろな話題になるたびに、いろいろな人たちの間で何度も
何度も乾杯をくり返すことに(写真6ー24)。これを白酒と赤ワインで続けていると私の
身体はつぶれてしまうので、途中でビールに変更してもらったが、なるほどこれが中国
式歓迎法かと、昨日に続いて痛感!
(3)9:00頃に会食が終了し、ホテルへ(9:40~10:00)。
12 合肥万达威斯汀酒店(THE WESTIN)へ戻り、就寝(10:00~0:00)
ホテルの部屋の中で朝晩毎日観ているCCTVの(中国語の)ニュースによれば、
台湾に猛烈な台風が来ており、そのせいで合肥にも昨夜の夕食中に一時猛烈な雨が
降ったらしいが、今日は1日快晴だった。明日は南京観光だから、その台風の影響が
心配・・・。また、南京観光を充実したものにするためには、しっかり酔いを覚まし、早起
きしなければ。]]>
上海・合肥・南京・上海旅行記 2012年8月 [5日目]
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2012(平成24)年8月20日(月) ⇒ 写真5ー①~25
今日のメイン
①上海から合肥へ
②李宏社長の会社見学と夕食会
1 起床(7:00)、朝食(7:20~8:25)
(1)部屋を出てフロントへ。4日分の部屋代精算(10:15)。23日には再びこのホテルに
戻ってくるため、合肥にはトランク1つだけ持参し、もう1つはフロントに預けておくこと
に。
(2)坂和、員子、毛丹青、松本一博、孫晨俊、李渊博の6人がタクシー2台で、鉄道の
「上海虹桥駅」へ(10:20~11:00)。
2 「上海虹桥駅」へ到着(11:00)
(1)「上海虹桥駅」は浦西にある上海虹桥空港のすぐ隣にあるが、鉄道駅というイメージ
は全然なく空港のイメージそのもの。1歩中へ入ると、待合室の巨大さにビックリ(写真
5ー①~③)。
(2)少し時間があるので、6人で駅2階のファーストフード店に入り、食事(6人で600元)
(11:10~11:45)(写真5ー④)。
3 上海から合肥へ列車(2等席)で移動
私たちが今回乗る和谐号は新幹線(高速鉄道)ではなく、普通の列車(写真5ー⑤)。
「上海虹桥」12:22発、「合肥」3:50着(所要時間3時間28分)。
途中停車駅は、「昆南山」、「苏州」、「无锡」、「惠山」、「常州」、「南京南」、「全
椒」、「肥东」。
4 合肥に到着
坂和、員子、毛丹青、松本一博、孫晨俊、李渊博の6人で、合肥駅に到着。この駅も
巨大だ(写真5ー⑥)。李君の父親、李宏さんがお出迎え。2台の車で市内のウェステ
ィンホテルへ(4:05~4:30)。
5 合肥万达威斯汀酒店(THE WESTIN)到着(4:30)
(1)ウェスティンホテルは大阪にもあるが、高級すぎて泊まったことなし。その立派さにビ
ックリ。部屋割りは、毛丹青1512号室、松本一博と孫晨俊1609号室、坂和夫妻161
6号室。
(2)荷物を部屋に置いてすぐにフロントへ集合。2台の車で李宏社長の会社に向かう(5:
20~6:00)。会社は市内から東南にある滨湖新区にあり、高速道路を通って約40~
50分くらいのところ。
6 李宏社長が経営する変圧器の会社を見学
(1)入り口には「ようこそ 合肥 熱烈欢迎毛丹青教授、坂和章平夫妇 光临我司参观
指导!」と書かれた電光掲示板が!(写真5ー⑦)
(2)まず社長室へ(6:00)。その立派さにビックリ!(写真5ー⑧、⑨)
(3)続いて次々とやってくる李宏社長の友人である政府関係者やマスコミ関係者たちと
会議室にて名刺交換、自己紹介(写真5ー⑩)。
(4)贈呈する『电影如歌 一个人的银幕笔记』にサイン(写真5ー⑪)。
(5)皆さんが『电影如歌 一个人的银幕笔记』にパラパラと目を通しているところを撮影
(写真5ー⑫)。
(6)坂和、員子、毛丹青、松本一博、孫晨俊、李渊博、王俊杰、刘晓明、陈程ら
計14名が全員そろったところで、プロジェクターの画面で李宏社長の会社概要の説明
を受ける(6:15)。
7 工場見学(7:10~7:30)、李宏招待の会食(7:30~10:10)
(1)広い敷地内の工場を見学(7:10~7:30)(写真5ー⑬)。さまざまな変圧器の説明
をしてくれたが、正直言ってその内容はチンプンカンプン。広大な工場の中には社員寮
があり、その1階には社員食堂がある。その2階は貴賓室、ゲストルームになってい
た。
(2)その貴賓室にて、豪華な夕食会を開始。
坂和、員子、毛丹青、松本一博、孫晨俊、李渊博6名の他、李宏以下、王俊杰、刘晓
明、陈程、庆华ら10名、合計16名が参加。
(3)まず李宏社長から毛先生と坂和に記念品がプレゼントされた(写真5ー⑭、⑮)。
(4)ゆっくり動く丸テーブルにいっぱい載った料理を前に食事開始、歓談(写真5ー⑯)。
もちろん、白酒による乾杯を何度も!
(5)プロ芸人が、京劇のような地方劇を熱演(写真5ー⑰)。
(6)プロ芸人が鮮やかな變臉(へんめん)の芸を披露。一緒に写真撮影(写真5ー⑱~
⑳)。
(7)カラオケ開始。トップバッターに坂和が指名され、唯一歌える中国語のレパートリ
ーであるテレサ・テンの『月亮代表我的心』を熱唱(写真5ー21、22)。続いて参加者
が次々と持ち歌を。美しい高音を歌いあげる李君に注目!(写真5ー23)
(8)その合間には、乾杯風景が何度も(写真5ー24、25)。
(9)会食終了(10:10)。
(10)接待客が去りしばらく談笑した後、6人は車で送ってもらったが、途中大雨のため
市内の高速道路の出口を出られず、次の出口で出ることに。0:00頃に全員がトイレ
休憩のためガソリンスタンドへ。0:20頃ホテルに到着(11:00~0:20)。
8 合肥万达威斯汀酒店(THE WESTIN)に到着。就寝(0:30)
今日は乾杯のくり返しで相当の酒を飲んだため、シャワーをしてすぐにバタンキュー。
明日はしっかり起きられるだろうか・・・?]]>
上海・合肥・南京・上海旅行記 2012年8月 [4日目]
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(5日目旅行記)2012(平成24)年8月20日
(6日目旅行記)2012(平成24)年8月21日
(7日目旅行記)2012(平成24)年8月22日
(8日目旅行記)2012(平成24)年8月23日
(9日目旅行記)2012(平成24)年8月24日
2012(平成24)年8月19日(日) ⇒ 写真4ー①~⑬
今日のメイン
日本留学組との昼食会
1 起床(7:30)、朝食(7:50~8:40)
いつものように、きっちり朝食を。
2 毛丹青の部屋に集合、打合せ(10:00)
(1)孫君、李君、薛さんと共に毛先生の305号室に集合。8月17日、18日の上海ブッ
クフェアへの参加が終わり、今日は孫君の仲間たちとの昼食会がメインだ。
毛先生の話によれば、上海から日本へ留学し、上海に戻って起業している人たちの
集まりがある。孫君がその1人として活動しており、今回急に(前日に)その仲間と連絡
をとり、毛丹青、坂和を迎えた食事会をやろうと呼びかけたところ、数名が参加すること
になった。『知日』の編集長の苏静も北京に帰る前だったので、そこへの参加が可能と
なった。
(2)午前中に孫君と薛さんが合肥行きの切符を買いに行き、その切符を見せてくれた。
日本では列車の切符の購入はパソコン購入を含めて簡単。しかし中国では治安上の
問題もあり、常にパスポートや身分証明書が必要で、窓口に買いにいかなければな
らないらしい。そんなことを聞いてビックリ。
(3)タクシーで昼食会の会場へ(11:45)。このレストランは、2011年11月毛夫妻、
坂和夫妻で昼食で入った店「渝信川菜」の入っているビル「康駿会館」の4階にあり、16
日に足ツボマッサージで来た店が入っているビルと同じだった。
3 「悦来大酒店」にて日本留学組との昼食会(11:45~2:40)
参加者は坂和、員子、毛丹青、孫晨俊、李渊博、松本一博、王正偉、薛偲、高啓方、
俞蕾、许胜、励洲静(许胜の奥さん)、杨子明、陈少春、苏静の計15名。
(1)個室に案内されると、既に孫君の先輩たちは部屋に集まっていた。そこに掲げら
れていた「欢迎 毛丹青教授 坂和章平律师来沪」の文字にビックリするとともに、大感
激(写真4ー①)。
(2)食事前に1人ずつ名刺交換と自己紹介を。また1人ずつ本にサインをし贈呈している
と、時間的にキリがなくなったため、途中で中止し食事会へ(写真4ー②)
(3)会食開始。毛先生の挨拶に続いて、私も立ち上がって挨拶を(写真4ー③)。
(4)今日は苏静を除いて全員が日本語をしゃべれるメンバーだけに、私も意思疎通がや
りやすい。そこで、1人ずつじっくりどんな仕事しており、どんな風に日本にかかわって
いるのかを話すことができた。参加者は全員日本留学後に上海で起業して、いろいろ
な分野で成功している人だから、話をしていると面白い。
話が進むうち、8月23日に予定されている季衛東先生、駱美化先生との夕食会に
合流すればもっと面白くなるのではないかと考えてお誘いすると、3名が参加すること
に。中国ではこうやって話の輪が広がり、人脈が広がっていくわけだ。会食終了後、
全員集合の記念写真を撮影(写真4ー④)。
(5)なお、今回の参加者は全員上海で成功している人たちなので、お店にとってお得意
サマらしい。そこで「欢迎 毛丹青教授 坂和章平律师来沪」の文字を見たお店の経理
である陈先华、王叶青からは、私にもVIPカードの授与が。次回上海に来た時は私たち
だけでもこの店に来なければ・・・。
(6)2:40に食事会終了後、毛先生と松本君はホテルへ。苏靖は北京へ。坂和と員子は
夕食まで2人で南京路歩行街を散策することに。
4 坂和と員子2人で南京路歩行街を散策(2:40~4:20)
(1)南京路歩行街にて
ここは過去何度も散策したが、とりわけ印象深いのは、昨年11月の散策では『シネ
マルーム27』の表紙撮影のため何十枚も写真を撮ったこと。そこで、まずは似たような
ところで、似たような写真撮影を(写真4ー⑤、⑥)。
(2)坂和のショルダーバッグを購入
私たちがここを歩く時は、いつも夏のバーゲンセールをやっている真っ最中。そこで今
回も過去に入ったお店に入り、サイフやバッグ等を物色。しかし考えてみれば、購入し
ても使っていないものばかりがたまっているので、今回はかなり我慢することに。しか
して、1個だけ200元でショルダーバッグを購入(写真4ー⑦)。
(3)「金锺咖啡酒吧」にて
ここは前回毛先生と一緒に入ってコーヒーを飲み写真撮影したところ。今回は素通り
だが、その前でシャッターを(写真4ー⑧)。
(4)人民広場、五四運動纪念碑前にて
過去の散策では、人民広場に着く頃は既に夕方になっていることが多かったが、今日
は暑い盛りなので絶妙のシャッターチャンス。そこで、人民広場や五四運動纪念碑の前
で写真撮影を(写真4ー⑨、⑩)。
(5)あまりに暑いので、4:20頃散策を終了し、タクシーでホテルへ。運転手への指示も
中国語でバッチリ!(4:20~4:30)。
5 毛丹青の部屋(305号室)にて夕食(7:30~8:20)
(1)今日の夜だけは会食の予定がない。そこで学生諸君たちと気楽に毛先生の部屋で
夕食をすることとし、学生たちは近くのスーパーへ買い出しに。孫君、李君、松本君、
薛さんが夕食の買い出しから帰ってくると、毛先生、坂和、員子を含め計7名で豪華
な(?)夕食を開始(~8:20)(写真4-⑪)。
(2)食事が終了する頃、毛先生から坂和はカラオケが大好きなのでカラオケに行こうと
提案。坂和も内心それを予想していた(?)ので即座にOK。員子は部屋で休憩するこ
ととし、坂和、毛先生、孫君、李君、松本君、薛さんがホテル近くのカラオケ店へ徒歩
で(8:20~8:30)(写真4ー⑫)。
6 カラオケ「唛歌时尚KTV」へ(8:30~11:00)
(1)上海のカラオケ店は日本のカラオケ店の常識とは大違いで、とにかく1つ1つの部屋
が大きいうえ、トータルの部屋数が多い。1度トイレに立つと自分の部屋がどこにある
かわからなくなるほどだ。
(2)そのうえ、ビルの中にあるコンビニで飲み物や軽食を買って自由に持ち込むシステ
ムがあるので、これなら安あがり。
(3)日本語のレパートリーもたくさんあるので、私は意欲満々。そして毛先生、孫君、李
君、松本君、薛さんもそれぞれ得意のレパートリーを次々と(写真4ー⑬)。もっとも、
毛先生はこの間も時々iPadでいろいろな情報のチェックを・・・。
(4)いつまでも歌っているとキリがないので、2時間程度で切りあげ、ホテルへ。
7 上海中星君亭酒店へ戻り、就寝(11:15~0:00)]]>
上海・合肥・南京・上海旅行記 2012年8月 [3日目]
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2012-09-04T16:38:00+09:00
2012-09-05T15:59:25+09:00
2012-09-04T16:38:23+09:00
sakawa-ryokou
海外旅行(中国)
(はじめに)
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(9日目旅行記)2012(平成24)年8月24日
2012(平成24)年8月18日(土) ⇒ 写真3ー①~⑬
今日のメイン
①毛丹青と苏静との対談
②苏静を招いての夕食会
1 起床(6:30)、朝食(7:00~7:50)
ホテル3階のレストランにあるベランダに出て写真撮影(写真3ー①)。
今日は毛丹青と苏静との対談が10:00開始の予定だったが、2:00からに変更。
2 打合せ(11:00)
(1)毛丹青の部屋305号室に集合。毛先生の教え子である神戸国際大学3回生の薛偲
が帰省先の大連から昨夜遅く上海にやってきて、打合せに参加(写真3ー②)。
(2)毛丹青は2:00からの苏静との対談の打合せや取材のため、松本君が同行して1台
目のタクシーでブックフェア会場へ。
坂和、員子、孫晨俊、李渊博、薛偲の5人は2:00の対談までにブックフェア会場に着
けばいいため、2台目のタクシーで田子坊の見学へ(11:20~12:00)。
3 田子坊見学(12:00~12:40)
田子坊は08年8月の上海旅行と09年3月の北京・上海旅行で見学したところだが、
若い人たちと一緒に来るとあらためて新鮮に。ただ今日はベラボウに暑いため、日差し
の中を歩くのは大変!(写真3ー③、④)
4 田子坊のすぐ近くのレストラン「上海小浜桜黄浦日月光店」にて昼食(12:40~1:40)
坂和、員子、孫晨俊、李渊博、薛偲の5人で軽く食べるつもりだったが、注文したち
ょっと酸っぱくて辛いスープなどがおいしくて、ついつい腹一杯食べてしまうことに。ま
た、写真で見て注文した料理はいずれもボリュームたっぷりで、今日も豪華な昼食に
(料金は5人で439元)。
タクシーでブックフェア会場へ移動(1:40~2:00)。
5 毛丹青と苏静の対談、サイン会、取材(2:00~3:20)
(1)『知日』第5号について、毛丹青と苏静の対談(2:00~2:30)。
『知日』は2カ月に1度出版される雑誌で、苏静が編集長を、毛丹青が主筆を務めて
いる。創刊号は2万部だったが、すぐに3万、4万となり、今回の第5号は5万部らしい。
第5号のテーマは猫の特集で、毛先生が自宅で飼っている猫も登場。尖閣諸島をめぐ
って反日デモが起きているが、この会場では『知日』のタイトルどおり日本通の参加者
が多い。対談のテーブルには猫の置物も飾られ、美人司会者の下に対談が進行した。
対談の途中『电影如歌 一个人的银幕笔记』の出版にも話が及び、会場に座ってい
た私も紹介され、起立して皆さんに挨拶することに。参加者は昨日の毛丹青×坂和対
談の数をはるかに超え、大きな会場がいっぱいになる状態。『知日』の人気がわかろう
というものだ(写真3ー⑤、⑥)。
(2)サイン会(2:30~3:20)。
熱気に包まれた対談後のサイン会には、当然大勢のファンが列をなすことに
(写真3ー⑦)。
(3)毛先生は各メディアからの取材対応に忙殺。
(4)私にもファンが
私は2人の対談を前の方の席で聴いていたが、私が立ち上がって紹介されたため対
談終了後、私のところにもファンだという许业宏さんが『电影如歌 一个人的银幕笔记』
の本を持って質問に来たため、名刺交換のうえ、本にサインをして2人で写真撮影
(写真3ー⑧)。さらに『电影如歌 一个人的银幕笔记』に書いた映画について英語で
話しかけてくる中国人がおり、途中からは翻訳者の李君も輪に加わっていろいろと話
が盛りあがることに。そこでその人と李君の2人で記念撮影を(写真3ー⑨)。
(5)徐潮さんも
昨日の会食に参加した徐潮さんが今日2時からの対談に現れなかったため心配して
いたところ、広い会場の中で迷っていたと言いながら対談終了直後に姿を見せた。今
日は、彼女が9月からアルバイトで勤める無錫にある会社の社長、相原健二さんも一
緒とのこと。いろいろと話が弾み、李君を含めて4人で記念撮影(写真3ー⑩)。
6 近くの喫茶店「e-mou」へ
(1)今夜の会食は苏静を交えた内輪のものになるが、しばらく時間があるため坂和、員
子、孫晨俊、李渊博、薛偲、徐潮、相原健二の7名が近くの喫茶店でコーヒーを飲み
ながら休憩。途中から毛先生と松本君が合流した。
(2)話が弾んだが、徐潮、相原健二は無錫に帰るため、ここで別れることに(5:00)。
(3)坂和、員子、孫晨俊、李渊博、薛偲は喫茶店を出て、会食会場の「金鷹」(ゴールデ
ンイーグル)ビルに移動(5:30~5:40)。
李君は今晩は家族と行動を共にするため、食事会には出席せず。
7 「上海小南国」にて、苏静を中心とした会食(5:40~8:45)
(1)坂和、員子、毛丹青、苏静、松本一博、孫晨俊、薛偲(計7名)が参加(写真3ー
⑪)。
(2)苏静は日本語がしゃべれないため私との会話は毛先生の通訳が必要だが、若くして
『知日』を発展させているだけにかなりのやり手であることは明らかだ。ここでは『知日』
第6号で「鉄道」を特集していると聞いたため、私の友人で映画監督の塩屋俊氏が監督
した『シャングリ・ラの夢 原信太郎が描き続ける理想郷』と原信太郎の話を私から紹
介。2012年夏に、横浜でオープンした世界最大級の鉄道模型博物館「原鉄道模型博
物館」については毛先生も知っていたので、ただちに日本の塩屋監督の事務所に連
絡を取り、資料を送る話がまとまった。何事もスピードが肝要だ。
(3)会食終了後、全員で記念写真を(写真3ー⑫)。
(4)タクシーでホテルへ(8:45~9:10)。
8 上海中星君亭酒店近くの足ツボマッサージ店へ(9:40~10:40)
(1)ホテル到着(9:10)。
(2)坂和、員子、孫君の3人でマッサージへ。
16日の足ツボマッサージは高級店だったが、今日は近くにあった店に行くことに決
定。孫君が念のためについてきてくれたが、何とそのお店は9時半に閉店していたため
私の提案で近くをブラブラし、ホントに小さな店を発見。孫君は私たち2人をそこに残す
ことを心配していたので、それなら3人でやろうということになり、3人で足ツボマッサ
ージを(3人で約200元)(9:40~10:40)(写真3ー⑬)。
(3)心地良い足ツボマッサージに大満足し、徒歩でホテルへ(10:40~10:50)。
9 上海中星君亭酒店へ戻り、就寝(10:50~11:30)
305号室では毛先生と松本君らが酒盛り(?)をしていたが、坂和と員子は参加を
遠慮し、シャワー、就寝。]]>
上海・合肥・南京・上海旅行記 2012年8月 [2日目]
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2012-09-04T16:27:00+09:00
2012-09-05T15:58:07+09:00
2012-09-04T16:27:14+09:00
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海外旅行(中国)
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(9日目旅行記)2012(平成24)年8月24日
2012(平成24)年8月17日(金) ⇒ 写真2ー①~23
今日のメイン
①毛丹青『狂走日本』出版記念トーク 坂和との対談
②李宏主催の夕食会
1 起床(7:00)、朝食(7:30~8:20)
2 ブックフェア対談の事前準備(8:30~10:45)
(1)306号室にてブックフェア対談の準備(8:30~10:45)
今回の上海ブックフェアで出品される『电影如歌 一个人的银幕笔记』は『名作映画
には「生きるヒント」がいっぱい!』を李君たちが翻訳してくれたものだが、それにプ
ラスした「第六章 从最近的电影得到的生活启示」として5本、「第七章 从最近的战
争大片学知识」として4本が追加されている。
また『名作映画には「生きるヒント」がいっぱい!』で掲載した50本のうち、政治的主
張の強い映画であるため中国当局が認めないかもしれないと考え、4本がカットされて
いる。したがって、『电影如歌 一个人的银幕笔记』には50-4+9=55本の映画が
掲載されているが、その中国語版はいくら中国語の勉強をやっている私でも読みこなせ
るものではない。また、日中映画を比較する時いつも苦労するのは、中国タイトルと邦
題が全く違うため、いくら邦題を言っても中国人には通じないこと。また監督名や俳優名
も日本語読みはできても中国語読みがわからなかったり、漢字は書けてもスラスラと口
でしゃべれなかったりと障害は多い。そのため、対談や質問の中で具体的な話になると
対応できなくなる恐れがある。
そこで、しばらく時間がある今朝は、1人でじっくり『电影如歌 一个人的银幕笔记』
と『名作映画には「生きるヒント」がいっぱい!』を対比させながら、メモを取り、対談や
質問に対応できるよう事前準備。約2時間の事前準備で、2冊の本の内容は頭の中に
バッチリ。これならどんな質問もOKだ。
(2)上海中星君亭酒店を出てブックフェア会場の上海展覧中心へ(10:50~11:00)
タクシー 1台目:坂和、員子、孫晨俊
2台目:毛丹青、李渊博、松本一博
3 ブックフェア会場(上海展覧中心)での事前準備(11:00~12:30)
(1)上海文化出版社のコーナーで(11:00~11:30)
昨日訪れた上海文化出版社のコーナーを訪れると、今日は対談本番のため、09年8
月に『取景中国:跟着电影去旅行』を出版した時と同じく、『电影如歌 一个人的银幕笔
记』を宣伝する大きな立て看板が立てられていた。そこで、まずは翻訳者の李君と並ん
でハイポーズ(写真2ー①)。『电影如歌 一个人的银幕笔记』の本はたくさん平積み
れていたので、どんどん買ってもらうことを期待!(写真2ー②)続いて『知日』のコー
ナーに移動し、坂和、毛先生、松本君の3人が『知日』の看板の前でハイポーズ
(写真2ー③)。
(2)通訳する松本君との打合せ(11:30~12:30)
私は今朝ホテルの部屋でやった約2時間の事前準備で毛丹青×坂和対談の準備は
バッチリだが、対談の通訳をしてくれる松本君は緊張気味。そこで、1時からの本番を
前に対談で私がしゃべりたいこと、しゃべろうと考えていることを資料を示しながら彼に
レクチャー(写真2ー④、⑤)。
そこに李君と李君のお父さんである李宏さんとお母さんも登場した(写真2ー⑥)。ご
両親とも李君が翻訳者として名前が印刷された本を見るのはこれがはじめてだから嬉
しいはず。是非李君と一緒に、毛丹青×坂和対談を味わってほしいものだ。
4 『狂走日本』出版記念トーク・毛丹青と坂和の対談本番(1:00~1:40)
(1)本日のタイトルは「『狂走日本』签售会(『狂走日本』サイン会)」だが、実質は『狂走
日本』と『电影如歌 一个人的银幕笔记』の出版をコラボしたうえでの、毛丹青×坂和の
対談が目玉。そこで、まず毛先生が両書出版のいきさつと坂和との出会いを話し、そ
れを受けて私が『电影如歌 一个人的银幕笔记』出版への思いと期待を語ることに。い
つものことながら毛先生との対談はその場の雰囲気に合わせた一発勝負だから緊張
するが、もう馴れているのでどんな変化球を投げられても対応はOK!ユニクロのピン
クのシャツに、同じくユニクロの白いジャケットを着たおしゃれな服装で(?)、にこやか
に毛丹青×坂和対談を実施、終了した(写真2ー⑦~⑩)。
(2)毛丹青と坂和のサイン会(1:40~2:00)
対談終了後のサイン会は相当な人数になった(写真2ー⑪~⑬)。当然その多くは
毛丹青と『狂走日本』のファンで、私の本だけのファンは少なかったが、『狂走日本』の
本に毛先生だけでなく私のサインを併せて求める読者も多かった。この反響を見れば、
『电影如歌 一个人的银幕笔记』も中国でかなり売れるのでは、と期待!
5 対談終了後の対応 その1 徐潮さんとの出会い
(1)対談終了後は毛先生への各種インタビューがあるので、私たちはそれを待つだけだ
が、私にもインタビューがあるらしい。
(2)そんな中、突然若い中国人の女性から日本語で声をかけられ名刺交換することに
(写真2ー⑭)。この女性の名は徐潮さん。現在無錫にある日系の企業に勤めている
が、日本の大学院に留学するため既に日本語検定1級を取り、来年4月からの留学に
向けて英語の勉強に集中しているとのこと。毛丹青の『知日』のファンで、今回は『知
日』と『狂走日本』の出版に向けての対談のため、わざわざ無錫から出かけてきたとの
こと。今日の対談も李君と話を交わしながら聞き、私のサイン会にも並んでくれたとの
こと。その日本語能力はたいしたもので、これならすぐにでも日本留学できそうだ。私
の本にも大きな興味を持ってくれているので、『取景中国:跟着电影去旅行』や『电影
如歌 一个人的银幕笔记』『シネマルーム5(中国電影大観)』『シネマルーム17(中国
電影大観)』を渡して話をしているうち、どんどん日本留学の具体的な話に入ることに。
(3)しかもビックリしたのは、2010年3月13日に毛先生が大連外国語大学で実施した
講演に彼女が参加していたこと。これは3月14日に大連理工大学で毛先生と私との共
同講演の前日に、私たちが1日旅順観光をしている時に毛先生が実施したものだ。し
かも、何と大連外国語大学で彼女は李君の1年先輩で、成績優秀者として李君も彼女
を知っていたというから驚き。今日は夕食まで十分時間があるし、彼女もブックフェア
参加のためだけに上海に来ており、明日も毛丹青×苏静対談に参加する予定というか
ら、話はどんどん弾み、今日の夕食会にも参加することに。旅にはこんな出会いがあ
るから、面白い。
6 対談終了後の対応 その2 坂和へのインタビュー(沪江网ブースにて)
(1)毛丹青へのインタビュー(4:00~4:10)
毛先生へのインタビューをしていたのは、日本語教育をネットを使ってやっている沪
江网(写真2ー⑮)。
(2)坂和へのインタビュー(4:10~4:20)
毛先生へのインタビューが終わった後、引き続いて松本君の通訳で私へのインタビ
ューをやることに(写真2ー⑯~⑱)。インタビューが終わった後、私が中国語を3年半
自力で勉強していると聞いて最後にやってくれと言われたのは、沪江网のスローガン
である「沪江网 收获的不只是外语」を中国語でしゃべってくれということ。個々の単語
はわかるものの、それを流暢にしゃべるのは今の私のレベルでは大変なことなので
何回か練習した後、大胆にもそれを実行したが、さてその合否は?
(3)その後、上海文化出版社のブースで坂和、員子、徐潮さん、孫君、李君、松本君で
談笑。立命館大学大学院の留学生で帰省中の董石君もそこに合流(4:20~5:30)。
(4)5:30に会場を出る。
タクシーつかまらず、徒歩で夕食会場に向かう。
7 「锦江酒店」にて李宏さん主催の夕食会(7:30~9:40)
(1)6:00頃に坂和、員子、徐潮さん、孫君、李君、董君が夕食会場である「锦江
酒店」に到着。
(2)6:30頃に毛先生と松本君が到着。
(3)7:00頃に李君の父親、李宏さんが到着。食事前に談笑(写真2ー⑲、⑳)。
(4)7:30頃に李君の母親、祖母、弟たちが到着。
(5)7:30から食事会スタート(写真2ー21~23)。出席者は坂和、員子、毛先生、孫
君、李君、松本君、董君、李宏さん、母親、祖母、弟、徐潮さん、李宏の運転手の
計13名。李君のご両親たちとも乾杯を交わしながら、なごやかに談笑。
(6)9:40に夕食会終了。
(7)タクシーでホテルへ(9:40~10:00)。
8 上海中星君亭酒店へ戻り、就寝(10:00~11:00)
シャワー、就寝。]]>
上海・合肥・南京・上海旅行記 2012年8月 [1日目]
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2012-09-04T16:09:00+09:00
2012-09-05T15:57:04+09:00
2012-09-04T16:09:23+09:00
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海外旅行(中国)
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(9日目旅行記)2012(平成24)年8月24日
2012(平成24)年8月16日(木) ⇒ 写真1ー①~⑬
今日のメイン
①関空から上海へ
②ブックフェア参加の準備
1 関西国際空港を出発(9:50発NH155便)
関空には午前7:30頃に坂和、員子、毛丹青、李渊博(安徽省合肥出身)、孫晨俊
(上海出身)の5名が集合(写真1ー①)。毛丹青はトランク1個だけだが、私と員子は
上海に持っていく映画の本などがあり、荷物いっぱい。また李君と孫君の2人は日本か
ら持って帰るお土産がたくさんあるので、こちらもトランクがいっぱい。
全員の出国手続を終えた後は李君が免税店でお土産の香水、タバコなどを多数購
入。それにつられて(?)私もお土産にタバコを購入。
2 上海浦東空港へ到着(12:15着、中国時間11:15着)
例によって、飛行機の中では映画を観ながらビールとワインをたんまり飲み、約1
時間熟睡していると、上海浦東空港に到着。迎えに来てくれていた、5名が大きな荷物
と共に乗れるワゴン車に乗って上海中星君亭酒店(SSAW Hotel Shanghai)
へ。
3 ホテル上海中星君亭酒店到着(12:20)
(1)このホテルは人民路にあるから人民広場や南京路歩行街からも近く、豫園は東に歩
いて10分くらいのところにある。坂和の部屋は306号室、毛丹青の部屋は305号室と
決定。305号室はこれから4日間、各種打合せのたまり場になる予定。
(2)李君は両親たちがブックフェアに参加するため、既に上海に入り宿泊しているので、
まずはそれに合流。他方、一足先に上海に来て、毛先生のお手伝いをしているバイリ
ンガル学生の松本一博君(関西大学在学中)は近くの別のホテルに滞在しているので、
李君は適宜そちらに泊まることに。また、孫君は適宜自宅に帰るか、上海新天地にあ
る会社に泊まることになりそうだ。
(3)2:20頃に松本君が合流。
4 夏青根さんと打合せ(2:30)
(1)2009年8月のブックフェアで出版した『取景中国:跟着电影去旅行』の責任者であ
り、今回の『电影如歌 一个人的银幕笔记』の責任者でもある上海文芸出版社の夏青
根さんが部屋に到着。
(2)毛丹青、夏青根、坂和、孫晨俊、松本一博の5人で明日1時からのブックフェアにお
ける毛丹青×坂和の対談のミニ打合せ(写真1ー②)。
(3)坂和、員子、孫晨俊、松本一博の4人がホテルを出てタクシーで、ブックフェア会場の
上海展覧中心へ(2:45~3:15)。
(4)毛丹青と夏青根はいろいろな打合せのためホテルに残った。
5 上海展覧中心のブックフェア会場を事前視察(3:15~4:30)
(1)坂和、員子、孫晨俊、松本一博の4人で、上海展覧中心で開催されているブック
フェアの会場へ(写真1ー③~⑤)。
(2)私にとっての上海展覧中心のブックフェア参加は2009年8月の『取景中国:跟着电
影去旅行』の出版以来3年ぶりだが、この熱狂ぶりはあの時と同じかそれ以上(写真1
ー⑥)。今回のキャッチフレーズである「我爱读书 我爱生活」が会場に掲示され、中
華の華の文字につくられた大書棚には「2012上海書展」の文字も(写真1ー⑦)。
(3)4人がまず目指したのは、上海文芸出版社のコーナー。そこにはあったあった!毛
丹青の『狂走日本』と内田樹著、毛丹青訳の『日本辺境論』が。さらに『狂走日本』と並
んで私の『电影如歌 一个人的银幕笔记』が平積みされており(写真1ー⑧)、私と孫
君がこれを持ってハイポーズ!(写真1ー⑨)さらに、松本君ら4人でハイポーズ!
(写真1ー⑩)
(4)次に目指すのは『知日』のコーナー。『知日』第5号は猫をテーマとしたもので、人気
は絶大。それを反映するかのように何十冊も平積みされ(写真1ー⑪)、『知日』の大き
な看板も(写真1ー⑫)。
(5)その他、大きな会場をあちこち一回りして視察を終え、タクシーでホテルへ(4:30~
4:55)。
6 ホテルの部屋で休憩(4:55)
夕食までの時間をホテルの部屋で休憩(4:55~5:25)。
徒歩でレストランへ移動(5:25~5:45)。
7 「上海1号」にて夕食(5:45~8:10)
(1)今夜は夏青根さんを交えての内輪の夕食会。参加者は夏青根さん、『取景中国』の
デザイナーである王伟さんとその娘の他、坂和、員子、毛先生、李君、孫君、松本君。
今日は乾杯の応酬はなく、明日に向けて鋭気を養う夕食会に(写真1ー⑬)。
(2)夕食終了後、王さん父娘と別れ、毛先生、李君、松本君の3人はホテルへ。坂和と
員子は孫君と一緒に夏青根さんの車に乗って足ツボマッサージへ。
8 足ツボマッサージ店へ(8:50~10:10)
(1)坂和と員子は孫君の案内でマッサージの店へ。ホテル近くにも小さな店はあった
が、気をつかってくれて高級店に案内してくれたらしい。マッサージするのは私と員子の
2人だけで、孫君は後から迎えにくるとのこと。
(2)このマッサージ店が入っている「康駿会館」は、2011年11月毛夫妻、坂和夫妻で
上海に来た時に昼食で入った店「渝信川菜」が入っているビルの3階で、南京路
歩行街のすぐ近くにあるから、料金は当然かなり高め?
(3)孫君が迎えに来てくれ、一緒にタクシーでホテルに戻る(10:00~10:10)。
9 上海中星君亭酒店へ戻り、就寝(10:10~0:00)
シャワー、就寝。]]>
上海・合肥・南京・上海旅行記 2012年8月 [はじめに]
http://sakawa2.exblog.jp/18932608/
2012-09-04T15:50:00+09:00
2012-09-05T15:22:10+09:00
2012-09-04T15:50:00+09:00
sakawa-ryokou
海外旅行(中国)
毛丹青老師のプロデュースとその教え子である李渊博君たちの翻訳によって『名作映画には「生きるヒント」がいっぱい!』の中国語版である『电影如歌 一个人的银幕笔记』が完成。『取景中国:跟着电影去旅行』に続く2冊目の中国語の本で、最新の中国映画や戦争大作が追加されたおしゃれな本に仕上がった。その出版を記念し、販売を促進するため09年8月に続いて2度目の上海ブックフェアに出席し毛先生と対談、サイン会をすることに。
今回はさらに李君の故郷である合肥に足を延ばしての会社見学や南京観光もセット。私にとっての最長8泊9日の中国旅行になる。カメラマンの妻員子も大変だが、最後まで私たちの面倒をみてくれる上海の孫晨俊君も大変。上海交通大学法学院の季衛東先生との会食も実現し、私の活動の場はますます広がりそうだ。その充実した旅行内容は、是非この旅行記で。
[旅行日程メモ]
(はじめに) この記事
(1日目旅行記)2012(平成24)年8月16日
(2日目旅行記)2012(平成24)年8月17日
(3日目旅行記)2012(平成24)年8月18日
(4日目旅行記)2012(平成24)年8月19日
(5日目旅行記)2012(平成24)年8月20日
(6日目旅行記)2012(平成24)年8月21日
(7日目旅行記)2012(平成24)年8月22日
(8日目旅行記)2012(平成24)年8月23日
(9日目旅行記)2012(平成24)年8月24日
[今回の上海・合肥・南京・上海旅行の動機]
1) 今回の上海・合肥・南京・上海旅行は8月16日~24日まで、8泊9日の長期旅行と
なる。私にとってのその最大の目的は、8月15日~21日までの間上海の上海展覧中
心で開催されるブックフェアに参加し、①毛丹青の『狂走日本』の出版②苏静を編集
長、毛丹青を主筆とする人気雑誌『知日』第5号の出版、そして③私の『电影如歌 一个
人的银幕笔记』の出版を広く広報するため、対談やサイン会を行うこと。毛丹青と私の
対談は8月17日に、毛丹青と苏静の対談は8月18日に予定されているから、大いに楽
しみだ。
2) 『电影如歌 一个人的银幕笔记』は、私が2010年12月に出版した『名作映画には
「生きるヒント」がいっぱい!』を中国語に翻訳したうえ、「第六章 从最近的电影得到的
生活启示」、「第七章 从最近的战争大片学知识」を追加し、175頁の本にまとめたも
の。その翻訳をしてくれたのは神戸国際大学の毛丹青教授の教え子たち約20名で、
その責任者が李渊博君と陳科慧さんの2人。上海ブックフェアへの参加は、09年8月
に私のはじめての中国語の本『取景中国:跟着电影去旅行』を出版した時以来、3年ぶ
り。前回2011年11月3日~6日に毛丹青夫妻と私と私の妻4人で上海を訪問したの
は『电影如歌 一个人的银幕笔记』出版打合せと写真撮影のためだったが、それが今
回実を結ぶことになったわけだ。
3) 今回の上海ブックフェアへの参加は、09年8月の時と違い大勢となった。毛先生と
私、私の妻である員子の他、李渊博、孫晨俊そして松本一博の計6名だ。李君は故郷
が安徽省の合肥、孫君は上海なので、学生時代最後の夏休みの帰省を兼ねての参加
となった。また、李君は翻訳責任者なので当然本の売れ行きを含め、ブックフェアのあ
り方に興味津々。他方、松本君は関西大学の学生で、関西大学でも教えている毛先
生の教え子。小学校まで中国の武漢で育ち、その後日本に帰ってきたから中国語と日
本語がペラペラなので、毛先生とよく行動を共に、時としてはその片腕となって活動して
いるらしい。なお、今回毛先生は上海のブックフェアが終わった後北京に飛ぶ予定だ
し、松本君は一足先に上海に入り、その後ずっと毛先生と行動を共にする予定だ。
4) 私は、①今回の翻訳についての数度の打合せの他、②2011年11月12日に毛先生
の課外授業として実施された村上春樹の『ノルウェイの森』ロケ地見学、③2012年1月
9日に同じく毛先生の課外授業として実施された西ノ宮神社十日戎見学、等で李君、孫
君たちと相当親しくなっていた。李君の故郷である安徽省の合肥は上海から鉄道で約4
時間ほど西に走ったところにある。合肥で変圧器を製作する会社を経営している彼の
父親、李宏さんは息子が跡取りになることを期待しているし、彼自身も卒業後は日本で
起業することを希望しているから、弁護士である私からのアドバイスも期待しているらし
い。そんな話を聞いて、最近事務所の実務の多くを宏展弁護士がやってくれているため
比較的時間が自由にとれる私は、この際合肥まで足を延ばそうということになった。さら
に、そんな話の延長として、李君の就職を含む将来に大きな関心を持っている毛先生も
一緒に行くことに。
5) 前回(2011年11月3日~6日)の上海旅行は日程がタイトだったため、上海交通大
学の法学院院長である季衛東先生とお会いすることができなかったが、今回は余裕が
ある。そこで事前に東京の松尾翼弁護士を通じて日程調整をしたところ、8月23日の
夕方の会食予定が決まった。季先生の奥様である駱美化先生は君合律師事務所上海
オフィスの弁護士で、メディア及びエンターテインメントに関する活動をしていると聞き、
事前に私の映画に関する本や論文などもお送りした。また毛先生もお二人をよく知って
いるから、毛先生からも私の情報を事前に伝えてもらったから、是非充実した会食にし
たいと思っている。
6) 旅行になると、いろいろと欲が広がるのが私のクセ。安徽省の合肥に行けば中国五岳
の1つ「黄山」へ約4時間で行けるという情報をガイド本でキャッチした私は、李君にその
検討を依頼。いろいろ打ち合せたところ、たしかに行くことはできるが、8月23日に上海
に戻ることを考えるとやはりハードなことがわかり、今回は断念。そこで浮上したのが、
合肥からの帰り道に南京に立ち寄るプランだ。南京は合肥と上海のちょうど真ん中にあ
るから、絶好。また、南京は私が是非とも行ってみたい都市だ。今年6月にパソコンで
観た張藝謀監督の映画『金陵十三釵(The Flowers Of War)』には大ショックを受けた
が、やはり侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館は1度は見学しておかなくちゃ。
7) 安徽省合肥の訪問は李君はもちろん、毛先生、孫君、松本君も一緒だが、毛先生は
合肥から直接北京へ飛ぶので、南京見学と上海への帰り道は私と員子、孫君、松本君
の4人になる。既に南京についての私の事前リサーチはかなりのものになっているので
孫君や松本君を頼り切りにせず、少しは主体的に南京見学に臨みたい。
8) ちなみに、2011年11月27日(日)に実施された中国語検定3級と4級の試験に両方
とも見事合格した私の中国語の勉強は、2009年4月から既に3年半。文法も熟語も単
語もかなり覚えたが、さて本場でどこまで通用するの?今回は毛先生の他、李君、孫
君、松本君という若い学生諸君と過ごす時間が多くなるから、いっぱいしゃべって中国
語会話の上達を目指さなくちゃ。
9) 以上で今回の上海、合肥、南京、上海旅行の基本枠は確定した。8月16日午前9時
50分のフライトに5人が元気で揃うことを期待しよう。
以上
2012(平成24)年8月13日記]]>
上海旅行記 2011年11月 [4日目]
http://sakawa2.exblog.jp/18836525/
2012-08-16T12:11:00+09:00
2012-08-16T12:53:23+09:00
2012-08-16T12:11:28+09:00
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海外旅行(中国)
(はじめに)
(1日目旅行記)2011(平成23)年11月3日
(2日目旅行記)2011(平成23)年11月4日
(3日目旅行記)2011(平成23)年11月5日
(4日目旅行記)2011(平成23)年11月6日 この記事
2011(平成23)年11月6日(日) ⇒ 写真4ー①~⑥
1 起床(7:00)、朝食(7:30~8:30)、チェックアウト(9:30)
今日も例によってタップリとバイキングの朝食を食べた後、部屋を片付けてチェックアウト。今や、このホテルの日本人の女性スタッフとはしっかり顔馴染みに。
2 ホテルの喫茶室で対談(10:30~12:30)
1)その趣旨
今回の上海旅行の目的の第1は出版の打合せ、第2は毛先生人脈との交流だが、第3の目的として旅の中での「毛VS坂和」対談の実施があった。今年の7月26日に行った「莫言VS坂和」対談に加えて、これを『名作映画には「生きるヒント」がいっぱい!』の中に取り込もうという狙いだ。そんな企画が最終日に実現した。場所はホテル1階の喫茶室。愛用のICレコーダーを前に、毛先生の質問に坂和が答えるという形で進行し、その中味は濃いものに。
2)第1部 弁護士として(10:30~11:20)
その第1部は、弁護士坂和章平がどんな考え方で弁護士を志し、どんな活動をやってきたのかというテーマ。私は愛媛県の松山市にある中高一貫教育の男ばかりの進学校でいつも鬱積した気持を持ったまま過ごし、1967年に大阪大学法学部に入学。ここですべての「しがらみ」から開放された私は、以降学生運動にのめり込み、その中でさまざまな勉強をした。そして、大学卒業間近にして司法試験の途を知り、独学によってこれに合格。司法修習生の間に、弁護士としての私の社会的使命は公害問題にあると考え、弁護士登録後はそれを実践。その後政治・経済・社会状況の変化に対応して私の関心は環境問題から都市問題に移り、今日に至っている。毛先生の質問に対してそんな答えを約50分間展開する中で第1部の対談は終了した(写真4ー①、②)。
3)休憩(11:20~11:30)、アイパッド談義(11:30~12:15)
ここでしばらく休憩に入ったが、そこではまた毛先生のアイパッドが大活躍。私が獲得した最大の意義ある判決は大阪阿倍野再開発訴訟での大阪高裁判決と最高裁判決だが、そんな判決をなぜ一介の弁護士が獲得することができたの?そこらあたりを毛先生のアイパッドを使って、「日本では国を相手とする訴訟は99%敗訴だが、阿倍野再開発訴訟で坂和弁護士は奇跡的に勝訴した」旨を対談の写真付きで「つぶやく」と、次々とその反響が。なるほど、2億人が使っているという中国の微博(ツイッター)の威力と毛先生の影響力はすごいものだと改めて感心(写真4ー③)。
4)第2部 映画評論家として(12:15~12:25)
対談の第2部は、なぜ弁護士坂和章平が映画評論家をやるようになったのか?また、なぜ中国映画にこだわるのか?というテーマ。
私は中学時代から1人で映画館に行っていた。それは一種の「現実逃避」でもあったが、実はそれによって松山という地方都市にありながら広く世界を見ることができた。つまり映画を見ることによって歴史や恋愛や人生を考え、人間の喜びや悲しみや憎しみをいろいろと実感していたわけだ。私の映画好きは弁護士の仕事が忙しくなっても続いていたが、それはせいぜい年末年始のテレビで古い映画をまとめて観る程度に制約されていた。ところが、01年にホームページを開設したことがきっかけで、50歳を超えたベテラン弁護士の視点で自由に映画評論を書く面白さを覚えると、それがやみつきになり、以降約10年間の間に『シネマルーム』を1~26巻まで出版することになった。
中国映画をはじめて知ったのは、02年12月21日~03年2月7日の間、大阪九条のシネ・ヌーヴォで開催された「中国映画の全貌2002-3」の時。そこではじめて、張芸謀(チャン・イーモウ)監督の『赤いコーリャン』(87年)や陳凱歌(チェン・カイコー)監督の『黄色い大地』(84年)などの1980年代中盤から後半に作られたたくさんの中国映画を鑑賞し、そのすばらしさに圧倒された。最近の中国映画の世界進出、ハリウッド化には若干問題があるが、引き続き注目していきたい。第2部はこんな内容となり、以上で「毛VS坂和」対談は終了。さあ、この対談が来年3月には出版されるであろう『名作映画には「生きるヒント」がいっぱい!』の中国語版にどのように活用されるのか、大いに楽しみだ。
3 「湯司令」で昼食(1:00~2:40)
1)事務所の日常生活では、私の昼食は基本的に野菜サラダと味噌汁だけ。また時間的にも新聞を読みながらの10~15分が普通だが、中国に来ると朝食をバイキングで腹いっぱい食べているにもかかわらず、昼食もしっかり食べることが多い。しかして、今日も「軽く」と言いながら、1日目に入った「今一靚湯」のすぐ近くにある大衆的なレストラン「湯司令」に入って昼食を(写真4ー④)。
2)この店も毛先生の奥さんのお薦めだが、どうも奥さんにはおいしい店を嗅ぎ分ける独特のカンがあるらしい。既にすべての任務が終わっているので、私も毛先生も気分的に楽なためか、ビールをグイグイと飲みながらいつも以上に口が軽やか。とりわけ、今朝の対談の延長のような話題になると私のしゃべる量が多くなり、日本の裁判員制度から弁護士の社会的役割論まで私の話は縦横無尽に。もっとも、日本の弁護士法第1条では、「弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする」とされているが、中国でそれをやろうとすれば大変。そこらあたりは極めて微妙な論点だから、議論は難しい。
3)毛先生の奥さんが一緒だとどうしても食材の話題となる。1日目はがちょうの肉がテーマになったが、ここでは牛蛙。当初私はその名前を聞いただけで莫言の小説『蛙鳴』を思い出して拒否していたが、挑戦したところこれが極めて美味。今後やみつきになりそうだ(写真4ー⑤)。
4 ホテルに戻り(3:00)、迎えのバスで浦東空港へ(3:30~4:30)
3時過ぎにホテルに戻ると、迎えの若い女性のガイドさんが既に来ていた。このガイドさんは毛先生のことをテレビなどでよく知っているらしく、毛先生のお迎えに来られただけで興奮していた。そのため、ホテルから空港に向かう車の中でもいろいろな質問と答えが飛び交うことに(写真4ー⑥)。
5 出国手続きを終え、待合室へ(4:30~6:15)
旅行社は入出国の手続きに時間がかかることを考えて、「2時間前に集合」と厳命しているが、乗客が少なく手続きが順調に進めば、待合室で時間をもてあますことが多い。今回は来る時は95%くらいの乗客率だったが、帰る時は80%くらい。したがって、私たち4人がゲート前の待合室に着いたのは出発の1時間以上前だった。
そこで、ヒマつぶしに書店に入ってみると、そこではパソコンで使う中国語の教材が一式7000円くらいで売っていた。これ一式があれば何でもできるだろうし、日本で買えば1万5000円くらいするからたしかに安い。そこで、これを買おうかどうかだいぶ迷ったが、考えてみればパソコンの前に座って勉強するのならこれはベストの教材だが、私の場合はそんな時間はないから買っても絶対使わないはず。30分以上迷った挙句、そんな結論となったが、帰国してみるとそれで正解だった。なぜなら私の中国語の勉強は、ラジオ講座を録音したICレコーダーを新幹線の中で聴いたり、ファミレスで単語や文法を覚えたりするので精一杯だから。
6 機内へ乗り込み(6:15)浦東空港(18:40発NH154便)から
関西国際空港へ(21:40着)(日本時間22:40着)
例によって機内食を食べながらビールとワインをたらふく飲んでいると、ひと眠りする暇もなく関西国際空港へ到着。今回も大いに意義のある上海旅行ができたことに感謝。]]>
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