2006年 04月 07日
上海・杭州等旅行記 2006年3月 [2日目] |
[旅行日程メモ]
(はじめに)
(1日目旅行記) 2006(平成18)年3月16日
(2日目旅行記) 2006(平成18)年3月17日 この記事
(3日目旅行記) 2006(平成18)年3月18日
(4日目旅行記) 2006(平成18)年3月19日
(5日目旅行記) 2006(平成18)年3月20日
(総評)
2006年3月17日(金)
本文に出てくる写真はココをクリック!!
2日目の旅行記についての写真をまとめたページが別ウインドウで開きます。
この写真ページを参照しながら読むことをオススメします!
1 ホテル(杭州、皇冠大酒店) 起床 朝食
(1)6:00起床 6:40~朝食
(2)7:30バス出発
(3)トラブル発生!
順次バスに乗り込み、いざ出発という段階になって、突然袁さんがバスに現れ、「Tさん、お金を持ってフロントに来て下さい」とアピール。どうもホテルから、部屋に置かれていた有料の品物を使ったのに料金を支払っていないと指摘されたらしい。そこでTさん夫婦は怪訝そうな顔をしながらバスを降りていったが、約10分ほどして袁さんと一緒に戻ってくるなり、「部屋番号をまちがえられた」と憤慨しきり。つまり、13○○号の部屋を15○○号の部屋にまちがえられて、「料金未精算」のレッテルを貼られたらしい・・・。
フロントで料金未精算と指摘されたTさんは、「そんなはずはない」「それでは部屋に行こう」という話を袁さんを通じてやっているうちに、部屋番号をまちがえていたことが判明したとのことだ。そこでTさんが憤慨するのは、ガイドの袁さんがホテル側の言い分をTさんに伝えるだけで、Tさんの説明(弁明)をホテル側に十分に伝えようとしなかったこと。バスに戻ってきた袁さんは、「これこれしかじかのまちがいでした。私もホテル側に怒りました」と説明していたが、どうもその説明自体がTさんの怒りのポイントとズレている感じ・・・。Tさんは料金未精算と指摘され、お金を持ってフロントに行き、弁明することを余儀なくされたうえ、その間みんなをバスに待たせた結果となったことについて気にしているのだが、袁さんはそういうTさんの気持を全然理解できていない様子。
Tさんはその後、2日目、3日目もバスの中でさかんにその不満を奥さんに語っていたので、その声が私にもよく聞こえてきていた。そりゃTさんの怒りはごもっとも・・・。そしてこれが4日目の上海での大ゲンカの引き金になることに・・・。
バス移動(杭州から烏鎮へ、約1時間30分、7:30~9:00)
2 烏鎮観光(9:00~10:00)
その1ー船による水郷めぐり
(1) 私は烏鎮見学は2度目(写真2-①)だが、今回はまず8人乗りの船に乗っての水郷めぐりから。烏鎮観光はいっぱいになるから早い目に出発し、9時には入場したのだが、B班27名が分乗する船は4隻分必要であるにもかかわらず、船が1隻足りないとのこと。2隻は先に出発し、私たちが乗った3隻目は、4隻目の船が来るのを待つことに・・・。まあ、その間ゆっくり写真を撮れたから、結果的にはそれでよかったが・・・(写真2-②)。
(2) 船でゆっくりと進んでいくと(写真2-③)、運河で洗濯をしているおじいさん、おばあさんがチラホラ見え、生活臭がただよってくるが(写真2-④⑤)、実際にこんな生活をするとなると大変。袁さんの話によると、電気・水道はあるものの、水洗トイレもない状態だから、この烏鎮のテーマパーク内に現実に住んでいるのは老人ばかりで、若者はすべて外に出て行くとのこと。しかしお金のことに関する説明が得意な袁さんによると、入場料の5%が何もしないでもこのテーマパーク内に居住しているだけで支払われるとのこと。烏鎮の観光人気は上々だから、写真に写っているおじいさん、おばあさんたちは意外にリッチ・・・?
その2ーテーマパーク内散策
(1) 船を降りた後はテーマパーク内の古いまちなみの散策だが、時間不足のためか散策というよりかけ足に近い状態・・・。それでも前回見学した藍染工房では、たくさんかけられた染物とともにハイポーズ・・・(写真2-⑥)。
(2) さらに機織工房では、おばあちゃんが繭から糸をとり、機を織っているナマの姿を見学(写真2-⑦)。ちなみに袁さんも昔、これをやったことがあるとして、飛び入りで実演し、自慢していたが・・・。
(3) そんなかけ足状態の烏鎮見学だったが、それでもちょうど1時間はかかったため、私たちのツアーが帰ろうとした10時頃には、これから見学に入ろうとする団体客がいっぱい。早めに来たため、混雑しないで見学できたことを感謝しつつ、バスの駐車場で最後の写真を・・・(写真2-⑧)。
バス移動(烏鎮から蘇州へ、10:00~11:45)
(無錫へ行く途中に蘇州で食事)
3 なぜ蘇州で昼食を・・・?
(1) 前回は烏鎮のテーマパークのすぐ前にあるレストランでおいしい烏鎮の農家料理を味わったのだが、今回は無錫へ行く途中、蘇州に寄り、蘇州で昼食を食べるとのこと。しかし蘇州の留園と寒山寺の見学は4日目に予定されているのだから、昼食を食べるためだけに蘇州に立ち寄るというのも変な話だナと思いつつ、バスの中に。このように、今回のツアーで私が納得できないことが多いのは、正確な全体の位置関係が理解できないことと、袁さんがそれを適切に説明してくれないこと。
(2) 烏鎮から次の見学地である無錫へバスでまっすぐ走ればどれくらいの時間がかかるのかわからないが、結果的に私たちのバスが①烏鎮から蘇州で1時間45分、②蘇州から無錫で1時間40分かかっていることに比べれば、多分もっと短いのでは・・・。したがって、後でよく考えてみると、蘇州での昼食をセットしたのは、後述のシルク工場見学とショッピングにツアー客を導くため・・・?
4 レストランで昼食(11:45~12:20)
ここは10人掛けのテーブルが100卓ほどある大きなレストラン。料理が出され食事が始まると、二胡の演奏に合わせて『蘇州夜曲』を歌う美しい女性の声が・・・。これは何だと思ってそちらのテーブルを見ると、男女2人のペアが客のリクエストに応じて歌っていた。いわば中国流の「流し」の登場だ。私たちのテーブルには女性1人だけが中国式の琵琶を抱えて注文を取りに来た(?)。リクエストオーケーの曲が10曲ほどあるので、その中から好きな曲を選択してくれとのこと。1曲30元はチト高いと思ったが、記念に『夜来香』を注文。歌う彼女と並んで、ハイポーズ・・・(写真2-⑨)。
5 蘇州のシルク工場見学(12:20~1:00)
シルク布団工場見学は2004年3月の杭州ツアーでも1度経験したが、今回もほぼそれと同じようなものだった。シルクと化繊(ポリエステル)との違いを客に実感してもらうため、前回はライターの火で燃やし、シルクはポリエステルと比べて燃えにくいという様子をアピールしていたが、今回は両者のスカーフを手で触らせて、どちらがホンモノで、どちらがニセモノかを客に答えてもらうというやり方。そりゃ俺にだって、触って比べてみれば、その違いははっきりわかるサ・・・。もっとも繭から糸をとる作業は、何度説明されてもよくわからないが・・・(写真2-⑩)。
6 ショッピング(1:00~1:40)
掛け布団はシングルもセミダブルもシルクの量は同じで、伸ばし方が違うだけ。550元、500元、450元と値段が異なるのは、シルクの量の多さによるもの。お薦めは500元のものということだったのでこれを購入。前回の杭州ツアーの際に購入し、私も妻も快適に使用しているのだが、この際息子や娘その他にもと考えて数枚購入。
シルク工場の見学が終わると、次はシルク商品のショッピングセンターへ案内され、「さあ買って下さい」とばかりの販売攻勢(写真2-⑪)。別に買うつもりはないのだが、じっと座っていても仕方ないので、シルクのパジャマなどを見て回っていると、ついつい買ってしまうことに。ここでのお買い物は、龍の模様のネクタイ70元、半袖シャツ360元、マフラー120元、130元也・・・。
バス移動(蘇州から無錫へ、1時間40分、1:40~3:20)
7 無錫というまちは?
(1) 北京、上海などはすべての日本人がよく知っている中国の都市の名前だが、西安や成都そして重慶や延安になると知らない人が多いはず。しかし韓国の釜山、中国の蘇州、そして無錫のまちが日本人にポピュラーなのは、何といっても大ヒットした歌のおかげ。すなわち『釜山港へ帰れ』『蘇州夜曲』と同じように、尾形大作が歌って大ヒットした『無錫旅情』のおかげで、一躍「無錫」の地名が日本でも有名に。この歌のヒットがなければ、多分無錫程度の小さな都市が日本人に認知されることはなかったはず・・・。
(2) 次に無錫というまちが面白いのは、錫という字。これは「スズ」という貴重な鉱物を表す漢字だが、その漢字のとおり、このまちは3000年以上昔からスズの生産地として知られていたまち。ところが豊富にあったスズも、漢の時代(有名な項羽と劉邦が前漢を打ち立てたのがBC206年、そして以降前漢ー後漢と続き、後漢が滅んだのが220年)には掘り尽くされてしまった。そこでこのまちは以降無錫と呼ばれるようになった、というウソみたいな話がガイド本にも書かれていたし、袁さんの説明も全く同じ。したがってこの無錫という名の由来は、冗談や笑い話ではなく、ホントの話・・・。
8 無錫観光その1ー錫景公園見学(3:20~4:00)
(1) 錫景(しゃっけい)公園は無錫の市街地のすぐ西にある錫山と恵山という2つの山で構成される公園。入口の古華山門を入ると、寄暢園がある(写真2-⑫)。ガイド本によれば、これは明の正徳年間に秦金という人物がつくった名園で、池、橋、回廊が見事に調和している。そして康煕帝と乾隆帝はそれぞれ6度南巡しているが、そのたびに寄暢園に立ち寄ったとのこと。
(2) 寄暢園から恵山寺(写真2-⑬)へ進むと、御碑亭に出る。中に建っているのは乾隆帝の筆跡になる記念碑。その後ろのイチョウの木は、樹齢が600年にもなるとのこと。
(3) 錫景公園の最大の見どころは「天下第二泉」(写真2-⑭⑮⑯)。これは唐代の茶神と呼ばれた陸羽がほめ称えた名泉で、鎮江市にある「天下第一泉」に次ぐ、「天下第二泉」の称号を頂いている。ちなみに泉のすぐ上に彫り込まれた「天下第二泉」の文字は、元代の書家・趙孟頫の書とのこと。
9 おみやげ店へー急須と人形(4:00~4:40)
(1) 錫景公園見学が終わるとおみやげ店へ案内され、お茶を飲みながら急須の販売攻勢を受けることに(写真2-⑰)。それまで私は全く知らなかったが、無錫のおみやげの名物は、急須と恵山泥人形の2つとのこと。無錫の急須は、素材となる土がいいことと高温による焼き方がいいため(その具体的内容はきちんとメモしておらず、あまりよく覚えていない)、お茶を一週間入れていても臭くならないとのこと。ホントかなあ・・・?
さらに指で弾いてみると「ピーン」と非常に澄んだいい音がするとのことなので、こちらは試してみるとたしかにそのとおり・・・。だがA級、B級、C級とある商品をいくら眺めても、私にはどの商品ならいくらが妥当なのかが全くわからなかったことと、持って帰るのが重いため、散々迷った挙げ句、結局は買わずじまいに・・・。帰国後は少し残念で、やはり購入しておけばよかったと後悔しきり・・・。
(2) 他方、無錫名物の恵山泥人形は、恵山の山麓からとれる良質の粘土を使った無錫ならではの人形で、色彩泥人形とも呼ばれているとのこと。400年もの歴史を誇る伝統工芸品として有名なもので、ガイド本にもちゃんと紹介されている。たしかにたくさん並んでいる人形を見るとキレイだが、どうも私はこの手の人形には全く興味なし・・・。
バス移動(おみやげ店から夕食のレストランへ)(4:40~5:00)
10 レストラン夕食(無錫リブ、無錫料理)(5:00~6:00)
今回の旅行ガイドでは、2日目の無錫での夕食は、無錫の名物料理である無錫リブと書かれていたが、どうも私はそれをイメージすることができなかった。そして今日の夕食に出された料理にはたしかにそれが含まれていたが、それはブタの角煮のようなもので、脂身がタップリ。したがって、私には全然おいしいと感じなかったが・・・。
11 レストランから郊外のホテルまでバス移動(6:00~7:00)
(1)オプション組とお別れ
今回のガイドの袁さんは、なかなかこちらが聞きたいと思う情報を提供してくれない。夕食が終わりホテルへ向かったが、袁さんの説明によると、その途中で足ツボマッサージのオプションを希望した人たちをバスから降ろして残った人をホテルへ送り、再度、足ツボマッサージの店にバスで迎えに戻るとのこと。そこで足ツボマッサージのオプションに参加しない私たちが知りたいことは、ホテルは夕食をしたレストランや市内中心部から近いのかどうかということ。つまり近いのなら先にホテルに入り、チェックインを済ませてから、また市内へくり出すことでいいのだが、郊外にあるホテルだとそれがやりにくいので、場合によれば足ツボマッサージの店の前で降ろしてもらうという選択も・・・。
(2)約40分のロス
そこで「ホテルは中心部に近いのかどうか」と質問したのだが、その答えは「ちょっと郊外」というだけで、実はサッパリわからない答え。そのため決断できないままバスに乗ったのだが、オプション組を降ろした後、バスは高速道路状の道をひた走りに走り、それを下りてからもなかなか到着せず、その間既に30分以上。しかも途中で道をまちがえたらしく、結局40分以上かかってやっとホテルに到着。「それならそうと早く言ってくれれば・・・」と恨めしく思ったが、後の祭・・・。
12 ホテルチェックイン(無錫、錫州花園酒店)(7:00)
13 スーパーで買い物(8:00~9:30)
ホテルのフロントで聞くと、無錫には大きなショッピングセンターがあるとのこと。そこで、まずはタクシーでそこへ行き、買い物をしてから足ツボマッサージに行くことに決定。ホテルの外へ出ると少し雨模様だったため、フロントで傘を1本借りてタクシーの中へ。到着したショッピングセンター(タクシー代13元)は、ドイツ系の会社が経営する「METRO」という名前の巨大な店。大型の電化製品から日用雑貨、食料品まで、ワンフロアだけの店舗にズラリと商品が並んでいる。買い物用カートも、日本のスーパーで見慣れているものの3倍はある巨大なもの。こんな巨大なスーパーが日本に次々と進出してくれば、日本のスーパー業界が押されていくのは当然と実感。スーパーに来た第1の目的は、お土産用のお菓子類などを購入することだったが、それがどんどん膨れ上がり、掛け布団のカバーなどの大物も含めて、有料のポリ袋3個分にも膨れ上がってしまった。ちなみに、無錫の名物料理である無錫リブも1パック購入したが、さて自宅で食べる時のその味は・・・?この重たい荷物を持って、また降ってきた雨の中、タクシーを拾って足ツボマッサージへ(タクシー代8元)。
14 足ツボマッサージ(10:00~11:00)
(1) タクシーが着いたのは、道路沿いにある大きな建物のサウナ。大きな買い物袋3個をフロントに預けて案内されたのは、ソファー兼ベッドがズラリと並んでいる薄暗い休憩室。最初そこでやろうとしたが、個室の方がいいというので個室に移ってやってもらったが、これが大正解。後でわかったことだが、ここにはいろいろなコースがあり、結局私は①足ツボマッサージ30分、②足の爪切り10分、③ひざ下マッサージ30分のコースをしたことに。これだけやって70分で60元はホントに安いもの。しかもマッサージをしてくれた女性が美人だったからなお一層グッド・・・。
(2) 気持ちよく足ツボマッサージを終えたものの、雨が少し降っている中、重い荷物を持ってタクシーを拾うのは大変だと思っていると、近づいてきたのは3輪バイクのタクシー。メーターがついている一般のタクシーではないので少し心配だったが、料金交渉をした結果無錫花園酒店ホテルまで6元とのこと。音がかなりやかましいうえ2人しか乗れないが、移動するだけならこれで上等。はじめての3輪バイクタクシー乗車の体験となった。
15 就寝(12:00)
(はじめに)
(1日目旅行記) 2006(平成18)年3月16日
(2日目旅行記) 2006(平成18)年3月17日 この記事
(3日目旅行記) 2006(平成18)年3月18日
(4日目旅行記) 2006(平成18)年3月19日
(5日目旅行記) 2006(平成18)年3月20日
(総評)
2006年3月17日(金)
本文に出てくる写真はココをクリック!!
2日目の旅行記についての写真をまとめたページが別ウインドウで開きます。
この写真ページを参照しながら読むことをオススメします!
1 ホテル(杭州、皇冠大酒店) 起床 朝食
(1)6:00起床 6:40~朝食
(2)7:30バス出発
(3)トラブル発生!
順次バスに乗り込み、いざ出発という段階になって、突然袁さんがバスに現れ、「Tさん、お金を持ってフロントに来て下さい」とアピール。どうもホテルから、部屋に置かれていた有料の品物を使ったのに料金を支払っていないと指摘されたらしい。そこでTさん夫婦は怪訝そうな顔をしながらバスを降りていったが、約10分ほどして袁さんと一緒に戻ってくるなり、「部屋番号をまちがえられた」と憤慨しきり。つまり、13○○号の部屋を15○○号の部屋にまちがえられて、「料金未精算」のレッテルを貼られたらしい・・・。
フロントで料金未精算と指摘されたTさんは、「そんなはずはない」「それでは部屋に行こう」という話を袁さんを通じてやっているうちに、部屋番号をまちがえていたことが判明したとのことだ。そこでTさんが憤慨するのは、ガイドの袁さんがホテル側の言い分をTさんに伝えるだけで、Tさんの説明(弁明)をホテル側に十分に伝えようとしなかったこと。バスに戻ってきた袁さんは、「これこれしかじかのまちがいでした。私もホテル側に怒りました」と説明していたが、どうもその説明自体がTさんの怒りのポイントとズレている感じ・・・。Tさんは料金未精算と指摘され、お金を持ってフロントに行き、弁明することを余儀なくされたうえ、その間みんなをバスに待たせた結果となったことについて気にしているのだが、袁さんはそういうTさんの気持を全然理解できていない様子。
Tさんはその後、2日目、3日目もバスの中でさかんにその不満を奥さんに語っていたので、その声が私にもよく聞こえてきていた。そりゃTさんの怒りはごもっとも・・・。そしてこれが4日目の上海での大ゲンカの引き金になることに・・・。
バス移動(杭州から烏鎮へ、約1時間30分、7:30~9:00)
2 烏鎮観光(9:00~10:00)
その1ー船による水郷めぐり
(1) 私は烏鎮見学は2度目(写真2-①)だが、今回はまず8人乗りの船に乗っての水郷めぐりから。烏鎮観光はいっぱいになるから早い目に出発し、9時には入場したのだが、B班27名が分乗する船は4隻分必要であるにもかかわらず、船が1隻足りないとのこと。2隻は先に出発し、私たちが乗った3隻目は、4隻目の船が来るのを待つことに・・・。まあ、その間ゆっくり写真を撮れたから、結果的にはそれでよかったが・・・(写真2-②)。
(2) 船でゆっくりと進んでいくと(写真2-③)、運河で洗濯をしているおじいさん、おばあさんがチラホラ見え、生活臭がただよってくるが(写真2-④⑤)、実際にこんな生活をするとなると大変。袁さんの話によると、電気・水道はあるものの、水洗トイレもない状態だから、この烏鎮のテーマパーク内に現実に住んでいるのは老人ばかりで、若者はすべて外に出て行くとのこと。しかしお金のことに関する説明が得意な袁さんによると、入場料の5%が何もしないでもこのテーマパーク内に居住しているだけで支払われるとのこと。烏鎮の観光人気は上々だから、写真に写っているおじいさん、おばあさんたちは意外にリッチ・・・?
その2ーテーマパーク内散策
(1) 船を降りた後はテーマパーク内の古いまちなみの散策だが、時間不足のためか散策というよりかけ足に近い状態・・・。それでも前回見学した藍染工房では、たくさんかけられた染物とともにハイポーズ・・・(写真2-⑥)。
(2) さらに機織工房では、おばあちゃんが繭から糸をとり、機を織っているナマの姿を見学(写真2-⑦)。ちなみに袁さんも昔、これをやったことがあるとして、飛び入りで実演し、自慢していたが・・・。
(3) そんなかけ足状態の烏鎮見学だったが、それでもちょうど1時間はかかったため、私たちのツアーが帰ろうとした10時頃には、これから見学に入ろうとする団体客がいっぱい。早めに来たため、混雑しないで見学できたことを感謝しつつ、バスの駐車場で最後の写真を・・・(写真2-⑧)。
バス移動(烏鎮から蘇州へ、10:00~11:45)
(無錫へ行く途中に蘇州で食事)
3 なぜ蘇州で昼食を・・・?
(1) 前回は烏鎮のテーマパークのすぐ前にあるレストランでおいしい烏鎮の農家料理を味わったのだが、今回は無錫へ行く途中、蘇州に寄り、蘇州で昼食を食べるとのこと。しかし蘇州の留園と寒山寺の見学は4日目に予定されているのだから、昼食を食べるためだけに蘇州に立ち寄るというのも変な話だナと思いつつ、バスの中に。このように、今回のツアーで私が納得できないことが多いのは、正確な全体の位置関係が理解できないことと、袁さんがそれを適切に説明してくれないこと。
(2) 烏鎮から次の見学地である無錫へバスでまっすぐ走ればどれくらいの時間がかかるのかわからないが、結果的に私たちのバスが①烏鎮から蘇州で1時間45分、②蘇州から無錫で1時間40分かかっていることに比べれば、多分もっと短いのでは・・・。したがって、後でよく考えてみると、蘇州での昼食をセットしたのは、後述のシルク工場見学とショッピングにツアー客を導くため・・・?
4 レストランで昼食(11:45~12:20)
ここは10人掛けのテーブルが100卓ほどある大きなレストラン。料理が出され食事が始まると、二胡の演奏に合わせて『蘇州夜曲』を歌う美しい女性の声が・・・。これは何だと思ってそちらのテーブルを見ると、男女2人のペアが客のリクエストに応じて歌っていた。いわば中国流の「流し」の登場だ。私たちのテーブルには女性1人だけが中国式の琵琶を抱えて注文を取りに来た(?)。リクエストオーケーの曲が10曲ほどあるので、その中から好きな曲を選択してくれとのこと。1曲30元はチト高いと思ったが、記念に『夜来香』を注文。歌う彼女と並んで、ハイポーズ・・・(写真2-⑨)。
5 蘇州のシルク工場見学(12:20~1:00)
シルク布団工場見学は2004年3月の杭州ツアーでも1度経験したが、今回もほぼそれと同じようなものだった。シルクと化繊(ポリエステル)との違いを客に実感してもらうため、前回はライターの火で燃やし、シルクはポリエステルと比べて燃えにくいという様子をアピールしていたが、今回は両者のスカーフを手で触らせて、どちらがホンモノで、どちらがニセモノかを客に答えてもらうというやり方。そりゃ俺にだって、触って比べてみれば、その違いははっきりわかるサ・・・。もっとも繭から糸をとる作業は、何度説明されてもよくわからないが・・・(写真2-⑩)。
6 ショッピング(1:00~1:40)
掛け布団はシングルもセミダブルもシルクの量は同じで、伸ばし方が違うだけ。550元、500元、450元と値段が異なるのは、シルクの量の多さによるもの。お薦めは500元のものということだったのでこれを購入。前回の杭州ツアーの際に購入し、私も妻も快適に使用しているのだが、この際息子や娘その他にもと考えて数枚購入。
シルク工場の見学が終わると、次はシルク商品のショッピングセンターへ案内され、「さあ買って下さい」とばかりの販売攻勢(写真2-⑪)。別に買うつもりはないのだが、じっと座っていても仕方ないので、シルクのパジャマなどを見て回っていると、ついつい買ってしまうことに。ここでのお買い物は、龍の模様のネクタイ70元、半袖シャツ360元、マフラー120元、130元也・・・。
バス移動(蘇州から無錫へ、1時間40分、1:40~3:20)
7 無錫というまちは?
(1) 北京、上海などはすべての日本人がよく知っている中国の都市の名前だが、西安や成都そして重慶や延安になると知らない人が多いはず。しかし韓国の釜山、中国の蘇州、そして無錫のまちが日本人にポピュラーなのは、何といっても大ヒットした歌のおかげ。すなわち『釜山港へ帰れ』『蘇州夜曲』と同じように、尾形大作が歌って大ヒットした『無錫旅情』のおかげで、一躍「無錫」の地名が日本でも有名に。この歌のヒットがなければ、多分無錫程度の小さな都市が日本人に認知されることはなかったはず・・・。
(2) 次に無錫というまちが面白いのは、錫という字。これは「スズ」という貴重な鉱物を表す漢字だが、その漢字のとおり、このまちは3000年以上昔からスズの生産地として知られていたまち。ところが豊富にあったスズも、漢の時代(有名な項羽と劉邦が前漢を打ち立てたのがBC206年、そして以降前漢ー後漢と続き、後漢が滅んだのが220年)には掘り尽くされてしまった。そこでこのまちは以降無錫と呼ばれるようになった、というウソみたいな話がガイド本にも書かれていたし、袁さんの説明も全く同じ。したがってこの無錫という名の由来は、冗談や笑い話ではなく、ホントの話・・・。
8 無錫観光その1ー錫景公園見学(3:20~4:00)
(1) 錫景(しゃっけい)公園は無錫の市街地のすぐ西にある錫山と恵山という2つの山で構成される公園。入口の古華山門を入ると、寄暢園がある(写真2-⑫)。ガイド本によれば、これは明の正徳年間に秦金という人物がつくった名園で、池、橋、回廊が見事に調和している。そして康煕帝と乾隆帝はそれぞれ6度南巡しているが、そのたびに寄暢園に立ち寄ったとのこと。
(2) 寄暢園から恵山寺(写真2-⑬)へ進むと、御碑亭に出る。中に建っているのは乾隆帝の筆跡になる記念碑。その後ろのイチョウの木は、樹齢が600年にもなるとのこと。
(3) 錫景公園の最大の見どころは「天下第二泉」(写真2-⑭⑮⑯)。これは唐代の茶神と呼ばれた陸羽がほめ称えた名泉で、鎮江市にある「天下第一泉」に次ぐ、「天下第二泉」の称号を頂いている。ちなみに泉のすぐ上に彫り込まれた「天下第二泉」の文字は、元代の書家・趙孟頫の書とのこと。
9 おみやげ店へー急須と人形(4:00~4:40)
(1) 錫景公園見学が終わるとおみやげ店へ案内され、お茶を飲みながら急須の販売攻勢を受けることに(写真2-⑰)。それまで私は全く知らなかったが、無錫のおみやげの名物は、急須と恵山泥人形の2つとのこと。無錫の急須は、素材となる土がいいことと高温による焼き方がいいため(その具体的内容はきちんとメモしておらず、あまりよく覚えていない)、お茶を一週間入れていても臭くならないとのこと。ホントかなあ・・・?
さらに指で弾いてみると「ピーン」と非常に澄んだいい音がするとのことなので、こちらは試してみるとたしかにそのとおり・・・。だがA級、B級、C級とある商品をいくら眺めても、私にはどの商品ならいくらが妥当なのかが全くわからなかったことと、持って帰るのが重いため、散々迷った挙げ句、結局は買わずじまいに・・・。帰国後は少し残念で、やはり購入しておけばよかったと後悔しきり・・・。
(2) 他方、無錫名物の恵山泥人形は、恵山の山麓からとれる良質の粘土を使った無錫ならではの人形で、色彩泥人形とも呼ばれているとのこと。400年もの歴史を誇る伝統工芸品として有名なもので、ガイド本にもちゃんと紹介されている。たしかにたくさん並んでいる人形を見るとキレイだが、どうも私はこの手の人形には全く興味なし・・・。
バス移動(おみやげ店から夕食のレストランへ)(4:40~5:00)
10 レストラン夕食(無錫リブ、無錫料理)(5:00~6:00)
今回の旅行ガイドでは、2日目の無錫での夕食は、無錫の名物料理である無錫リブと書かれていたが、どうも私はそれをイメージすることができなかった。そして今日の夕食に出された料理にはたしかにそれが含まれていたが、それはブタの角煮のようなもので、脂身がタップリ。したがって、私には全然おいしいと感じなかったが・・・。
11 レストランから郊外のホテルまでバス移動(6:00~7:00)
(1)オプション組とお別れ
今回のガイドの袁さんは、なかなかこちらが聞きたいと思う情報を提供してくれない。夕食が終わりホテルへ向かったが、袁さんの説明によると、その途中で足ツボマッサージのオプションを希望した人たちをバスから降ろして残った人をホテルへ送り、再度、足ツボマッサージの店にバスで迎えに戻るとのこと。そこで足ツボマッサージのオプションに参加しない私たちが知りたいことは、ホテルは夕食をしたレストランや市内中心部から近いのかどうかということ。つまり近いのなら先にホテルに入り、チェックインを済ませてから、また市内へくり出すことでいいのだが、郊外にあるホテルだとそれがやりにくいので、場合によれば足ツボマッサージの店の前で降ろしてもらうという選択も・・・。
(2)約40分のロス
そこで「ホテルは中心部に近いのかどうか」と質問したのだが、その答えは「ちょっと郊外」というだけで、実はサッパリわからない答え。そのため決断できないままバスに乗ったのだが、オプション組を降ろした後、バスは高速道路状の道をひた走りに走り、それを下りてからもなかなか到着せず、その間既に30分以上。しかも途中で道をまちがえたらしく、結局40分以上かかってやっとホテルに到着。「それならそうと早く言ってくれれば・・・」と恨めしく思ったが、後の祭・・・。
12 ホテルチェックイン(無錫、錫州花園酒店)(7:00)
13 スーパーで買い物(8:00~9:30)
ホテルのフロントで聞くと、無錫には大きなショッピングセンターがあるとのこと。そこで、まずはタクシーでそこへ行き、買い物をしてから足ツボマッサージに行くことに決定。ホテルの外へ出ると少し雨模様だったため、フロントで傘を1本借りてタクシーの中へ。到着したショッピングセンター(タクシー代13元)は、ドイツ系の会社が経営する「METRO」という名前の巨大な店。大型の電化製品から日用雑貨、食料品まで、ワンフロアだけの店舗にズラリと商品が並んでいる。買い物用カートも、日本のスーパーで見慣れているものの3倍はある巨大なもの。こんな巨大なスーパーが日本に次々と進出してくれば、日本のスーパー業界が押されていくのは当然と実感。スーパーに来た第1の目的は、お土産用のお菓子類などを購入することだったが、それがどんどん膨れ上がり、掛け布団のカバーなどの大物も含めて、有料のポリ袋3個分にも膨れ上がってしまった。ちなみに、無錫の名物料理である無錫リブも1パック購入したが、さて自宅で食べる時のその味は・・・?この重たい荷物を持って、また降ってきた雨の中、タクシーを拾って足ツボマッサージへ(タクシー代8元)。
14 足ツボマッサージ(10:00~11:00)
(1) タクシーが着いたのは、道路沿いにある大きな建物のサウナ。大きな買い物袋3個をフロントに預けて案内されたのは、ソファー兼ベッドがズラリと並んでいる薄暗い休憩室。最初そこでやろうとしたが、個室の方がいいというので個室に移ってやってもらったが、これが大正解。後でわかったことだが、ここにはいろいろなコースがあり、結局私は①足ツボマッサージ30分、②足の爪切り10分、③ひざ下マッサージ30分のコースをしたことに。これだけやって70分で60元はホントに安いもの。しかもマッサージをしてくれた女性が美人だったからなお一層グッド・・・。
(2) 気持ちよく足ツボマッサージを終えたものの、雨が少し降っている中、重い荷物を持ってタクシーを拾うのは大変だと思っていると、近づいてきたのは3輪バイクのタクシー。メーターがついている一般のタクシーではないので少し心配だったが、料金交渉をした結果無錫花園酒店ホテルまで6元とのこと。音がかなりやかましいうえ2人しか乗れないが、移動するだけならこれで上等。はじめての3輪バイクタクシー乗車の体験となった。
15 就寝(12:00)
by sakawa-ryokou
| 2006-04-07 12:50
| 海外旅行(中国)