2006年 04月 07日
上海・杭州等旅行記 2006年3月 [総評] |
[旅行日程メモ]
(はじめに)
(1日目旅行記) 2006(平成18)年3月16日
(2日目旅行記) 2006(平成18)年3月17日
(3日目旅行記) 2006(平成18)年3月18日
(4日目旅行記) 2006(平成18)年3月19日
(5日目旅行記) 2006(平成18)年3月20日
(総評) この記事
第1 今回のガイドは最悪・・・?
1 最初の印象は?
私はこれまでのツアー旅行のガイドに不満を持ったことは1度もない。逆にホントにいいガイドにめぐり会って幸せだったと思う人がほとんどだった。唯一の例外は、2001年8月の敦煌の莫高窟見学の際の女性ガイド。彼女はまるで中国共産党の幹部のように(?)偉そうで、テープをそのまましゃべっているようなガイドだったので腹が立ったが、幸か不幸か途中でこのガイドとはぐれてしまった。そこで仕方なく、別の男性ガイドにくっついて行くと、これがすごく良かったため、かえってラッキーだった。
今回のガイドの袁さんは、話はうまいし、知識・経験も豊富なベテランガイドだと最初は思ったのだが、次第にその化けの皮がはがれることになり、さまざまなトラブルが・・・。
2 本来のガイドの役割である観光案内、歴史案内が不十分・・・
ガイドの役割の基本は、観光客に対してきちんと観光案内、歴史案内をすること。ところが、袁さんは後述の「呉越同舟」と「四大美人」の話、そしておカネの話や教育論になると延々としゃべるのだが、肝心の観光案内や歴史案内はきわめて不十分。こちらが聞きたいと思っている各都市の特徴や歴史、特産物、おいしいものなどをほとんど話してくれない。そのうえ彼の話をずっと聞いていると、同じ話のくり返しが何度も・・・。
私は中国旅行ではいつもメモ帳を持って、ガイドの説明でこれはメモしておかなければと思うことは必死でメモをとっているのだが、今回は「呉越同舟」と「四大美人」の話以外はあまりメモできていない。それは決して私がサボっているためではなく、袁さんが私が聞きたいと思う観光ガイドをしてくれなかったから・・・。
3 自慢話の多さに辟易・・・
袁さんはベテランガイドだから、日本も何回か訪れたらしい。しかし、その話を聞いていると、政府や地方の要人の通訳として東京や京都を訪れ、高級料亭での接待も再三体験したらしい・・・。別にそれはそれでいいのだが、何回もその話を聞いていると、どうもそれが自慢話に聞こえてくる。それは、中国人特有の日本語の使い方である、「ねえ、そうでしょう!」という1回ごとの念押しの強さにもあるが、やはりにじみ出る人柄のせい・・・?
したがって、袁さんと大ゲンカしたTさんの言い分は、「お前は日本に何回も来たと自慢しているが、日本人の心が何もわかってない!」ということ。考えてみれば、これは現在の靖国参拝問題をめぐる日中のケンカとよく似たもの。そして、やはりここまでこじれると、その関係を修復していくのは難しいもの。現に最終日の朝バスの中で、袁さんは会社にも連絡をとったとして、「お詫びの気持として」と言いながら、あるおみやげを渡そうとしたが、Tさんは断固としてその受け取りを拒否・・・。結局、「日中対立」は解消できないままに・・・。
4 ショッピング優先、オプション優先は本末転倒・・・
(1) 今回は多くの観光地をめぐるツアーであるうえ料金が39800円と格安だから、ツアー恒例(?)のショッピングがたくさん組み込まれることは仕方ないもの。しかしお茶の試飲などは息抜き、休憩になるから、適度に配置してもらっている限り、別に不満はない。しかし、今回はあまりにもそれが多すぎる感じ・・・。
(2) 特に2日目、わざわざ蘇州まで行って昼食を食べたのは、結局シルク工場とシルク製品のショッピングのためとしか考えられないやり方・・・?また4日目の夕方5時頃、上海に着いた途端に、6時からの夕食が予定されているにもかかわらず何の観光もせず、とにかくお茶の試飲に案内するというのは実にナンセンス・・・。
(3) さらに今回、袁さんのガイドで目立つのは、オプション勧誘のしつこさと、おみやげの車内販売のしつこさ。とりわけトラブルになったのが、4日目の上海での7時30分からの雑技団観賞のオプション。つまり、このオプションを優先させているため上海のまちの見学がおろそかになっていることは明らかなのだ。
ちなみに、オプション参加者はA班に比べてB班の方が圧倒的に多かったようだが、これはひとえに袁さんの営業努力の結果・・・。しかし、あまりにも営業目的が強く出てくるといい加減うんざり。こりゃ本末転倒では・・・?
第2 今回のツアーで目についたことー改善の提案
1 行動予定を明確に・・・
今回のツアーは観光場所が多く、移動時間が長いため、何時にどこに着き、その後どう移動するのか、それが私にとっては重大な関心事。もちろん多少の時間のズレがあるのは仕方ないが、①ツアー全体の大まかな予定、②今日1日の動きの予定、そして③明日の予定、をいつも確認しておきたいもの。さらに、①今バスに乗っているのは、どこからどこへ向かっているのか、②何時頃に到着するのか、③到着したらどんな時間配分で、どこを観光するのか、④その見どころは何なのか、ということも、いつもガイドから説明してもらいたいもの。これまでのツアーにおいて、この手の不満を持ったことは1度もない私だったが、今回はこれがなかなか説明されないため、いつも不満状態。行動予定をその都度明確にすることは、ガイドに徹底してもらいたいものだ。
2 地図の提示、配布などコースの明示に工夫を
(1) 大阪・京都・神戸の観光めぐりなら、その位置関係や距離関係はすべて頭に入っている。また、前回の2005年10月20日~10月24日の山東省クルーズにおいては、青島・済南・泰安・曲阜の位置関係、距離関係はわかりやすいため、自分の現在の位置をいつも客観的に確認することができた。ところが今回は、杭州と上海の位置関係、距離関係はわかるし、杭州ー烏鎮とか、上海ー蘇州の位置関係はある程度わかるものの、無錫・鎮江・揚州・周庄になると、それが全然わからない。また杭州は浙江省だが、その他の都市は江蘇省に属しているため、余計わかりにくいことに・・・。
(2) そこで私が是非お願いしたいことは、ツアー客向けにできれば正確な地図を配布してもらうこと。それができないのなら略図でもいいので、全体の位置関係を明確に示した地図を作成して、配布してもらいたい。観光予定地を文章だけではなく地図で示すことは、中国のまちを理解するうえで不可欠のことだし、それをネタにしてガイドさんが観光案内をしてくれることが、バスの中の時間の過ごし方としてベストだと思うのだが・・・。
第3 今回学んだ2つの知識
1 「呉越同舟」と「臥薪嘗胆」
(1) 中国の春秋(BC770~403年)戦国(BC403~221年)時代における七国とは、秦、斉、燕、魯、晋、楚、呉、越。そして春秋時代の末期には、「呉」と「越」の2国が強くなり、盟主を競い合う時期に入った。今回旅行した蘇州はこの「呉」の国があったところであり、浙江省の杭州は「越」の国があったところ。
(2) 「呉越同舟」という有名な言葉は、呉の国の人と越の国の人が1つの船に乗り合わせるという意味。これは、呉の国と越の国が他の国の脅威にさらされていた時期に、運命を共有し、お互い仲良くしようとした時に生まれた言葉。
(3) これに対して「臥薪嘗胆」は、もっと恐ろしい権力闘争から生まれた言葉。BC494年、越の国の国王、勾践は、呉の国の2代目の国王、夫差に敗れて、捕虜になり牢屋に入れられてしまった。勾践は、それを恥として復讐を誓い、「臥薪嘗胆」を掲げて力を蓄えて、BC473年に再び呉国と戦い、呉国を滅ぼした。したがって「臥薪嘗胆」とは、越の国王、勾践の辛抱強さを表現した言葉。これは日清戦争で勝利したにもかかわらず、ロシア、ドイツ、フランスによる三国干渉の圧力を受けたため、日本が国力を蓄えて、日露戦争に備えた時の合い言葉としても有名な言葉。
2 中国の四大美人
世界の三大美人は、楊貴妃、クレオパトラ、小野小町だが、中国の四大美人は、楊貴妃、西施、王昭君、貂蝉。王昭君は前漢時代に匈奴に嫁がされた美女で、貂蝉は三国時代に後漢の実権を握る薫卓と呂布の仲を割いた16歳の美女。そして西施が、今回の杭州・蘇州旅行で注目すべき美女。すなわち、無錫出身の西施は、春秋時代に越王、勾践の復讐の手段に利用された傾国の美女だ。BC494年に越王、勾践が呉王、夫差に敗れたことは前述のとおりだが、負けた勾践は、表向きは夫差に臣従しながら、裏では夫差を骨抜きにする計略で、美女西施を夫差に献上した。その計略がまんまと当たって、夫差は西施の色香に溺れて国政をおろそかにしたため、20年後勾践の反撃にあって敗れ、自殺することに。まさに「傾国の美女」とはよく言ったもの・・・。
以上
(はじめに)
(1日目旅行記) 2006(平成18)年3月16日
(2日目旅行記) 2006(平成18)年3月17日
(3日目旅行記) 2006(平成18)年3月18日
(4日目旅行記) 2006(平成18)年3月19日
(5日目旅行記) 2006(平成18)年3月20日
(総評) この記事
第1 今回のガイドは最悪・・・?
1 最初の印象は?
私はこれまでのツアー旅行のガイドに不満を持ったことは1度もない。逆にホントにいいガイドにめぐり会って幸せだったと思う人がほとんどだった。唯一の例外は、2001年8月の敦煌の莫高窟見学の際の女性ガイド。彼女はまるで中国共産党の幹部のように(?)偉そうで、テープをそのまましゃべっているようなガイドだったので腹が立ったが、幸か不幸か途中でこのガイドとはぐれてしまった。そこで仕方なく、別の男性ガイドにくっついて行くと、これがすごく良かったため、かえってラッキーだった。
今回のガイドの袁さんは、話はうまいし、知識・経験も豊富なベテランガイドだと最初は思ったのだが、次第にその化けの皮がはがれることになり、さまざまなトラブルが・・・。
2 本来のガイドの役割である観光案内、歴史案内が不十分・・・
ガイドの役割の基本は、観光客に対してきちんと観光案内、歴史案内をすること。ところが、袁さんは後述の「呉越同舟」と「四大美人」の話、そしておカネの話や教育論になると延々としゃべるのだが、肝心の観光案内や歴史案内はきわめて不十分。こちらが聞きたいと思っている各都市の特徴や歴史、特産物、おいしいものなどをほとんど話してくれない。そのうえ彼の話をずっと聞いていると、同じ話のくり返しが何度も・・・。
私は中国旅行ではいつもメモ帳を持って、ガイドの説明でこれはメモしておかなければと思うことは必死でメモをとっているのだが、今回は「呉越同舟」と「四大美人」の話以外はあまりメモできていない。それは決して私がサボっているためではなく、袁さんが私が聞きたいと思う観光ガイドをしてくれなかったから・・・。
3 自慢話の多さに辟易・・・
袁さんはベテランガイドだから、日本も何回か訪れたらしい。しかし、その話を聞いていると、政府や地方の要人の通訳として東京や京都を訪れ、高級料亭での接待も再三体験したらしい・・・。別にそれはそれでいいのだが、何回もその話を聞いていると、どうもそれが自慢話に聞こえてくる。それは、中国人特有の日本語の使い方である、「ねえ、そうでしょう!」という1回ごとの念押しの強さにもあるが、やはりにじみ出る人柄のせい・・・?
したがって、袁さんと大ゲンカしたTさんの言い分は、「お前は日本に何回も来たと自慢しているが、日本人の心が何もわかってない!」ということ。考えてみれば、これは現在の靖国参拝問題をめぐる日中のケンカとよく似たもの。そして、やはりここまでこじれると、その関係を修復していくのは難しいもの。現に最終日の朝バスの中で、袁さんは会社にも連絡をとったとして、「お詫びの気持として」と言いながら、あるおみやげを渡そうとしたが、Tさんは断固としてその受け取りを拒否・・・。結局、「日中対立」は解消できないままに・・・。
4 ショッピング優先、オプション優先は本末転倒・・・
(1) 今回は多くの観光地をめぐるツアーであるうえ料金が39800円と格安だから、ツアー恒例(?)のショッピングがたくさん組み込まれることは仕方ないもの。しかしお茶の試飲などは息抜き、休憩になるから、適度に配置してもらっている限り、別に不満はない。しかし、今回はあまりにもそれが多すぎる感じ・・・。
(2) 特に2日目、わざわざ蘇州まで行って昼食を食べたのは、結局シルク工場とシルク製品のショッピングのためとしか考えられないやり方・・・?また4日目の夕方5時頃、上海に着いた途端に、6時からの夕食が予定されているにもかかわらず何の観光もせず、とにかくお茶の試飲に案内するというのは実にナンセンス・・・。
(3) さらに今回、袁さんのガイドで目立つのは、オプション勧誘のしつこさと、おみやげの車内販売のしつこさ。とりわけトラブルになったのが、4日目の上海での7時30分からの雑技団観賞のオプション。つまり、このオプションを優先させているため上海のまちの見学がおろそかになっていることは明らかなのだ。
ちなみに、オプション参加者はA班に比べてB班の方が圧倒的に多かったようだが、これはひとえに袁さんの営業努力の結果・・・。しかし、あまりにも営業目的が強く出てくるといい加減うんざり。こりゃ本末転倒では・・・?
第2 今回のツアーで目についたことー改善の提案
1 行動予定を明確に・・・
今回のツアーは観光場所が多く、移動時間が長いため、何時にどこに着き、その後どう移動するのか、それが私にとっては重大な関心事。もちろん多少の時間のズレがあるのは仕方ないが、①ツアー全体の大まかな予定、②今日1日の動きの予定、そして③明日の予定、をいつも確認しておきたいもの。さらに、①今バスに乗っているのは、どこからどこへ向かっているのか、②何時頃に到着するのか、③到着したらどんな時間配分で、どこを観光するのか、④その見どころは何なのか、ということも、いつもガイドから説明してもらいたいもの。これまでのツアーにおいて、この手の不満を持ったことは1度もない私だったが、今回はこれがなかなか説明されないため、いつも不満状態。行動予定をその都度明確にすることは、ガイドに徹底してもらいたいものだ。
2 地図の提示、配布などコースの明示に工夫を
(1) 大阪・京都・神戸の観光めぐりなら、その位置関係や距離関係はすべて頭に入っている。また、前回の2005年10月20日~10月24日の山東省クルーズにおいては、青島・済南・泰安・曲阜の位置関係、距離関係はわかりやすいため、自分の現在の位置をいつも客観的に確認することができた。ところが今回は、杭州と上海の位置関係、距離関係はわかるし、杭州ー烏鎮とか、上海ー蘇州の位置関係はある程度わかるものの、無錫・鎮江・揚州・周庄になると、それが全然わからない。また杭州は浙江省だが、その他の都市は江蘇省に属しているため、余計わかりにくいことに・・・。
(2) そこで私が是非お願いしたいことは、ツアー客向けにできれば正確な地図を配布してもらうこと。それができないのなら略図でもいいので、全体の位置関係を明確に示した地図を作成して、配布してもらいたい。観光予定地を文章だけではなく地図で示すことは、中国のまちを理解するうえで不可欠のことだし、それをネタにしてガイドさんが観光案内をしてくれることが、バスの中の時間の過ごし方としてベストだと思うのだが・・・。
第3 今回学んだ2つの知識
1 「呉越同舟」と「臥薪嘗胆」
(1) 中国の春秋(BC770~403年)戦国(BC403~221年)時代における七国とは、秦、斉、燕、魯、晋、楚、呉、越。そして春秋時代の末期には、「呉」と「越」の2国が強くなり、盟主を競い合う時期に入った。今回旅行した蘇州はこの「呉」の国があったところであり、浙江省の杭州は「越」の国があったところ。
(2) 「呉越同舟」という有名な言葉は、呉の国の人と越の国の人が1つの船に乗り合わせるという意味。これは、呉の国と越の国が他の国の脅威にさらされていた時期に、運命を共有し、お互い仲良くしようとした時に生まれた言葉。
(3) これに対して「臥薪嘗胆」は、もっと恐ろしい権力闘争から生まれた言葉。BC494年、越の国の国王、勾践は、呉の国の2代目の国王、夫差に敗れて、捕虜になり牢屋に入れられてしまった。勾践は、それを恥として復讐を誓い、「臥薪嘗胆」を掲げて力を蓄えて、BC473年に再び呉国と戦い、呉国を滅ぼした。したがって「臥薪嘗胆」とは、越の国王、勾践の辛抱強さを表現した言葉。これは日清戦争で勝利したにもかかわらず、ロシア、ドイツ、フランスによる三国干渉の圧力を受けたため、日本が国力を蓄えて、日露戦争に備えた時の合い言葉としても有名な言葉。
2 中国の四大美人
世界の三大美人は、楊貴妃、クレオパトラ、小野小町だが、中国の四大美人は、楊貴妃、西施、王昭君、貂蝉。王昭君は前漢時代に匈奴に嫁がされた美女で、貂蝉は三国時代に後漢の実権を握る薫卓と呂布の仲を割いた16歳の美女。そして西施が、今回の杭州・蘇州旅行で注目すべき美女。すなわち、無錫出身の西施は、春秋時代に越王、勾践の復讐の手段に利用された傾国の美女だ。BC494年に越王、勾践が呉王、夫差に敗れたことは前述のとおりだが、負けた勾践は、表向きは夫差に臣従しながら、裏では夫差を骨抜きにする計略で、美女西施を夫差に献上した。その計略がまんまと当たって、夫差は西施の色香に溺れて国政をおろそかにしたため、20年後勾践の反撃にあって敗れ、自殺することに。まさに「傾国の美女」とはよく言ったもの・・・。
以上
by sakawa-ryokou
| 2006-04-07 13:55
| 海外旅行(中国)