2014年 08月 29日
台湾旅行 2014年 [2日目] |
[旅行日程メモ]
(はじめに)
(1日目旅行記)2014(平成26)年8月17日
(2日目旅行記)2014(平成26)年8月18日この記事
(3日目旅行記)2014(平成26)年8月19日
(4日目旅行記)2014(平成26)年8月20日
(5日目旅行記)2014(平成26)年8月21日
[2日目]・・・8月18日 ⇒ 写真1ー①~41
1 台中兆品酒店(タイチュンメゾンデシンホテル)で起床(6:30)
ホテル内のレストランでバイキング方式で朝食(6:50~7:20)
2 出発(8:00)
(1)ショッピング(8:50~9:10)
・ 今日の午前中のメインは日月潭・文武廟観光だが、その前にツアー旅行恒例のショ
ッピング。バナナをサービスにして、さまざまな木彫りの商品を販売していた。高級品
は論外にして、靴べらと肩たたきを、300元から250元に値切って購入(写真2-①)
。
・ 民芸品のコーナーでは、いくつかの商品を値切ったが、交渉が成立せず、結局購入
せず。
―バス移動(9:10~9:30)―
3 日月潭・文武廟観光(9:30~10:30)
(1)日月潭・文武廟は、05年3月13日~16日の台湾旅行でも見学したが、時間は約4
0分間だけだった。今日は約1時間あるので、文武廟の上まで上がってじっくり見学でき
たが、とにかく暑い暑い(写真2-②~⑫)。
(2)美しい日月潭湖、そして、孔子を祀ってある大成殿と、岳飛と関羽が祀ってある武聖
殿については、どのガイド本にも紹介されているので、ここでは前回の旅行記を下記に
そのまま引用しておく。
記
<美しい日月潭湖>
普段の心がけが良いせい(?)か、バスは予定より早く5時10分頃日月潭湖に到着した。この日月潭湖は、周囲36キロメートルの人口の湖で、湖内には遊覧船もあり、丸1日観光できる台中最大の景勝地。
この日月潭はもともと小さい湖だったが、1915年から1945年の日本統治時代に日本人技師ハタコウスケ氏の設計によって大きくされ、台湾最大の湖になったとのこと。この湖は渇水対策のための水源とされたものだが、後には水力発電所も造られた。そしてこれは揚水型で台湾で最も古い水力発電所とのこと。ここでも呉さんの日本びいきぶりが(?)が存分に発揮されていた。またこの付近は後記の1999年9月21日の集集(チーチー)地震の時に最も被害が大きかった地区で、山頂が15メートルも移動したとのこと。
時間的余裕のない私たちは、日月潭湖の周りをバスで周りながら これを見学しただけ。しかし霧もモヤも出ず、この時間帯で全体をしっかりと見学することができたことは実にラッキー。そして次の見学地である文武廟へ。
(2)文武廟見学(5:25~6:00)
ここ文武廟は孔子を祀っているところ。入り口には左右に巨大な獅子があり、武聖殿には岳飛と関羽が、大成殿には孔子が祀られている。そして武聖殿の前には玉を追う九龍が彫られた巨大な石盤がある(写真2-27)。
呉さんの説明によると、孔子の銅像は世界に2つだけあり、1つがここ、そしてもう1つが北京にあるとのこと。その巨大な規模にビックリ。孔子は今から2550年前、紀元前550年頃の人物で、「先生の先生」として中国で最も尊敬されている人物。したがって、孔子の誕生日である9月28日は先生のお休みとなっているとのこと。他方、関羽は三国志で有名だが、各地に関帝廟があり、そこに関羽が祀られている。それはなぜか?意外にも関羽は算盤を発明した人物であり、商売の神サマとして祀られているとのこと・・・?さらに孔子の隣には孟子が祀られており、「孟母三遷」のお話や「賢い72人」のお話もあったが、細かい話はもう忘れてしまった・・・?
―バスで移動(10:30~11:00)―
4 昼食(田舎料理)(11:00~11:45)
・ 今日の昼食は台湾の田舎料理だったが、十分美味しかった。
5 昼食後、台中から台南へバスで移動(11:45~14:25)
・ バスの中では、昼食でビール1本を飲んだこともあり、ほとんど熟睡。しかし、王さん
のお話だけはしっかりと聞き、メモも。
・ 途中、トイレ休憩あり(13:10~13:30)。
6 台南観光その1―赤?樓(14:25~14:55)(写真2-⑬~⑮)
(1)台南の観光は①赤?樓と、②延平群王祠の2つが定番だが、前回の台湾旅行でもこ
れは観光済み。要するにここでは、「鄭成功」の物語をきちんと勉強することが肝要だ。
(2)その内容は05年3月14日の旅行記に書いているので、下記にそのまま引用しておく
。
記
これも映画『国姓爺合戦』に登場していたもので、1653年当時台南を占拠していたオランダ人が、民衆が蜂起することを恐れて築いた要塞。そしてこれは台南で最古の歴史的建造物となっている。オランダ人は髪の毛が紅いから紅毛人と呼ばれており、この要塞も紅毛城(プロビデンシア城)と呼ばれるオランダ式要塞だったとのことだが、今は、赤レンガでつくられた要塞の一部が残っているだけ。17世紀の建造物を見て、当時の鄭成功VSオランダの戦いに思いを馳せるのも楽しいものだ。
(3)なお、「鄭成功」については、09年11月6日から9日の厦門旅行でも、コロンス島に渡
り、鄭成功のデッカイ像を見学した。この厦門旅行は、09年10月1日に広島地裁で言い
渡された鞆の浦の埋め立て免許差止め判決や画期的意義を持つ京都市の眺望景観創
生条例などをネタとした景観法の講義を、厦門城市職業学院ですることをメインとする旅
行だったが、同時に厦門の美味しい海鮮料理と美しいコロンス島観光を両立することが
できた。そこで、ここには、09年11月8日のコロンス島における鄭成功の石像と皓月園
見学の旅行記を下記に引用しておく。
記
今日は9時頃の船に乗ってコロンス島に渡り、最初こそバッテリーカーに乗ったが、その後は昼食も食べないまま歩きずめ。とりわけ日光岩への登山(?)は厳しかった。そのため私はまだまだ元気だが、あとの2人はくたびれ気味で、鄭成功の像がある皓月園へ行くのはノーサンキューとのこと。時刻は14時30分頃。巨大な鄭成功像をバックにする花婿・花嫁衣装を着た数組の新婚カップルの撮影会が実施されていたから、私もそこに割り込んで鄭成功像をバックに撮影。そして、そこで休憩しながら待っているという2人を残して私一人で巨大な鄭成功像と皓月園へ。そこで頼んだのは、私が巨大な鄭成功像の前でタオルを振って立つのでそれを撮影してくれということ。かなりバカげた挑戦だが、結果は見事に大成功。しかし、さてそれがわかるかな?。
海に向かって立つ鄭成功の石像は高さが15.7mもあるから、真下から見るとその巨大さにビックリ。しかし、新婚カップルが写真をとっていた場所からは意外に近く、歩いて5分ほどだ。その下でタオルを振っている姿を写真を撮ってもらった後(といっても、ホントにシャッターを押してくれているかどうかはまったく見えない)、小さな資料館に入って絵はがきを購入。そして、階段を下に降りて皓月園に入ると、そこには鄭成功と騎馬隊をモチーフにした巨大なブロンズ像があった。私は鄭成功のことを呉子牛(ウー・ヅーニウ)監督の『国姓爺合戦』(01年)で学んだが、そのカッコいい生き方が大好き。そのため、巨大な石像や今にも動き出しそうなブロンズ像を見学できたことに感激。
もっとも、帰国後資料を整理していると、この皓月園とは別に日光岩のふもとに鄭成功紀念館があり、ここには鄭成功にまつわる文物を展示しているらしいから、これを見逃したのは非常に残念。
―バス移動(14:55~15:00)―
7 台南観光その2―延平郡王祠(15:00~15:30)(写真2-⑯~⑱)
延平郡についても、05年3月14日の旅行記を下記にそのまま引用しておく。
記
<君は鄭成功を知っているか?>
台南の第1の見学地である、ここ延平郡王祠は鄭成功とその一族を祀って1662年に建てられたもの。ガイド本によると、これは日本統治時代に改修されたが、1963年に建て直され、以前の様式に復元されており、建築様式は台湾では少ない福州式の廟建築とのこと。
ところで、君は鄭成功を知っているか?また『国姓爺合戦』を知っているか?呉さんの解説は史実(?)に基づいた詳細なもの。すなわち
①鄭成功は今から約380年前に、日本の平戸で生まれた人物で、父親は漢民族の鄭芝竜だが、母親は日本人の田川松。
②鄭成功は成長して明の将軍になったが、明は清王朝に滅ぼされたため、鄭成功は台湾に逃亡した
③当時台南にはオランダ人が住んでいたが、鄭成功はこのオランダ人を破って台湾を中国に取り戻し台南に移り住んだ。
④その結果、オランダ人は台北に移り住んだ。
⑤鄭成功はその2年後、38歳のときにコレラで死亡した。
⑥鄭成功の子供の鄭経がその後を継ぎ、その後オランダ人を完全に追放した。
そして、これは基本的には私がもっている知識の範囲内の内容。
<映画『国姓爺合戦』を勉強しよう!>
私がなぜ鄭成功や『国姓爺合戦』を知ったかというと、それは映画『国姓爺合戦』(01年)を観たから。そしてその映画評論を書くためにかなり勉強したから。「抗清復明」のスローガンを掲げて清と戦い、そして「台湾解放」のスローガンを掲げてオランダと戦って台湾を解放した鄭成功の英雄的な生涯は、実にドラマティックで面白く興味深いもの。日本で近松門左衛門が『国姓爺合戦』を書いたのは彼が63歳の時。そしてそれが大阪竹本座で初演されたのは1715年のこと。これらの詳細については、『坂和的中国電影大観 SHOW-HEYシネマルーム5』155頁を是非参照してもらいたい。読んだらホントに面白いよ!
8 台南から高雄へバス移動(15:30~16:20)
9 高雄市内観光(蓮池潭、龍虎塔)(16:20~17:45)
(1)蓮池潭・龍虎塔(16:20~16:55)(写真2-⑲~25)
高雄の定番スポットは蓮池潭・龍虎塔だが、これも05年3月14日に観光済みだから、
その旅行記を下記にそのまま引用しておく。
記
2番目の観光地は、蓮池潭と龍虎塔。この蓮池潭という湖は、日本統治時代に造られた湖で、高雄市民の水源の1つだったが、現在は飲み水としては使われていないとのこと。ここには龍虎塔と呼ばれる七重の塔がある。まず、つづら折りの橋があり、その橋の下部には三国志などの絵巻物が色鮮やかに描かれている。これをゆっくりと歩いていくと、龍虎塔への入口がある。ここでは、左の龍の口から入り、塔の見学を終えた後、右の虎の口から出てくると良いことがあると言われているため、ツアー客はちゃんとその教えにしたがって行進(?)。
今は、新しいお寺に建て替えるべくお金を集めているとのことで、龍虎塔を写した1枚の写真をもらうのとひきかえに(?)1人10元ずつお賽銭の中へ。龍の口から中に入ると、通路の左右には親孝行の絵、英雄豪傑の絵、さらには地獄の絵などがいっぱい。龍虎塔の上には登らず、美しい景色を写真撮影してバスの中へ。
(2)中国では、法輪功に対する弾圧が続いている。そのことは中国では全然報道されない
が、日本では裁判所前でビラが配られたりしているから、私はよく知っている。しかして、
台湾は選挙制度がある民主主義の国。そのため、中国が法輪功などを弾圧している人
権無視の国であることや、中国共産党の幹部が汚職にまみれていること等を、公然と批
判することができる国だ。1966年から1977年まで、中国では毛沢東が指導する「文化
大革命」の嵐が吹き荒れ、毛沢東語録を持った紅衛兵たちが至る所に「壁新聞」を貼り、
知識人たちを吊るし上げる風景が見られたが、台湾ではその壁新聞に似た中国共産党
批判の看板が、あちこちの観光地に。中国では絶対に見られないこんな風景を、台湾で
はしっかり撮影しておかなければ(写真2-26~28)。
―バス移動(16:55~17:00)―
(3)寿山公園(17:00~17:45)(写真2-29、30)
・ 今回は、バスで停車場まで上り、寿山頂上に至る長い階段を徒歩で上れば、近時の
成長著しい高雄港を臨むことができた。ここ高雄港が使うコンテナ量は、台湾最大のお
よそ1000万の20フィートコンテナを扱い、世界第12位の取扱量を誇っているらしい。
高台から見下ろす港内と、その左手に見える市内の高層ビル群の風景は美しい。今回
は、ちょうど夕方5時から市民が作っているブラスバンドの楽団が、ヘリコプターを使っ
てパフォーマンスと演奏をやることになっているらしく、ラッキー。長年ガイドをやってい
る王さんもこんな機会ははじめてのことらしい。風が強いためヘリコプターのパフォーマ
ンスは中止となったが、トランペットを中心とするド派手かつ庶民的な演奏をしっかり楽
しむことができた(写真2-31~34)。
―バス移動(17:45~18:00)―
10 夕食(台湾海鮮料理)(18:00~18:40)
(1)日程表には、夕食は「城市商旅」という高級レストランで海鮮料理と書いてあった。中
国の青島は海鮮料理が有名で安くておいしい。また、大連でも海鮮料理は美味しい。し
かし、今日食べた台湾・高雄の海鮮料理は名ばかりで、新鮮な刺身などは全くなく、えび
が少しあっただけ。もっとも、豚足など本来の台湾料理(?)は、それなりに美味しかった
。
11 愛河クルーズ巡り(19:00~19:40)(写真2-35~41)
(1)高雄の愛河クルーズは有名だが、前回(05年3月13日~16日)の台湾旅行では時
間が無く、3月14日に朝食後のちょっとした散策で写真撮影しただけだった。しかし今回
は、夕食後の船に乗ってのクルーズで、愛河と高雄の美しい夜景をタップリ見学できるそ
うだから楽しみだ。
(2)私は昨年、今年と続けて、毎年7月25日に開催される天神祭の船渡御に参加した。
その規模の大きさと打ち上げられる花火の豪華さは日本三大祭り(京都の祇園祭、東京
の神田祭、そして大阪の天神祭)としてふさわしいものだが、近時、私は弁護士として裁
判所のすぐ前にある若松浜公園の利用方法について、地元住民の相談を聞き、場合に
よれば大阪府に対する訴訟提起になるかもしれない事件を担当している。その「論点」は
、「水の都」大阪復活のため、中之島公園という「素材」を活かして水辺の活性化を目指
す方向と、中之島公園はすべての人が自由に利用できるものでなければならないから、
一部の業者の利益のために水辺が独占的に利用されるのはおかしい、という考え方と
の衝突だ。
(3)現在、土佐堀川と大川をアクアライナーで走る「大阪城・中之島めぐり」クルーズが人
気だが、これには夜のクルーズはないから、中之島の夜は静かなもの。しかし、ここ高雄
の愛河の夜の明るさと華やかさはすごい。船着き場の明るさ、船内の明るさ、周辺のネ
オンの明るさ。そして水辺に並ぶ高層ビルの明るさを見ていると、その夜景の美しさにう
っとり。愛河の水質もかつてはひどかったが、高雄市長以下の努力によって今はキレイ
になっているそうだ。クルーズの時間は20分ほどだったが、夜の愛河クルーズの美しさ
と楽しさを十分満喫することができた。
―バス移動(19:40~20:00)―
12 寒軒国際大飯店(ハンシェンインターナショナルホテル)へ(20:00)
(1)今日の高雄のホテル(寒軒国際大飯店)は5つ星。しかも、部屋は34階の高層にある
から、窓から見下ろす街の夜景は最高だ。ホテル1階には、フィットネス、プール、サウナ
もあるそうで、エレベーターでは水着姿のおばちゃんと遭遇したことも。1日ホテルでゆっ
くりできるのなら当然フィットネスで運動し、サウナに入るところだが、今日はマッサージ
のみ。
13 就寝(23:00)
(はじめに)
(1日目旅行記)2014(平成26)年8月17日
(2日目旅行記)2014(平成26)年8月18日この記事
(3日目旅行記)2014(平成26)年8月19日
(4日目旅行記)2014(平成26)年8月20日
(5日目旅行記)2014(平成26)年8月21日
[2日目]・・・8月18日 ⇒ 写真1ー①~41
1 台中兆品酒店(タイチュンメゾンデシンホテル)で起床(6:30)
ホテル内のレストランでバイキング方式で朝食(6:50~7:20)
2 出発(8:00)
(1)ショッピング(8:50~9:10)
・ 今日の午前中のメインは日月潭・文武廟観光だが、その前にツアー旅行恒例のショ
ッピング。バナナをサービスにして、さまざまな木彫りの商品を販売していた。高級品
は論外にして、靴べらと肩たたきを、300元から250元に値切って購入(写真2-①)
。
・ 民芸品のコーナーでは、いくつかの商品を値切ったが、交渉が成立せず、結局購入
せず。
―バス移動(9:10~9:30)―
3 日月潭・文武廟観光(9:30~10:30)
(1)日月潭・文武廟は、05年3月13日~16日の台湾旅行でも見学したが、時間は約4
0分間だけだった。今日は約1時間あるので、文武廟の上まで上がってじっくり見学でき
たが、とにかく暑い暑い(写真2-②~⑫)。
(2)美しい日月潭湖、そして、孔子を祀ってある大成殿と、岳飛と関羽が祀ってある武聖
殿については、どのガイド本にも紹介されているので、ここでは前回の旅行記を下記に
そのまま引用しておく。
記
<美しい日月潭湖>
普段の心がけが良いせい(?)か、バスは予定より早く5時10分頃日月潭湖に到着した。この日月潭湖は、周囲36キロメートルの人口の湖で、湖内には遊覧船もあり、丸1日観光できる台中最大の景勝地。
この日月潭はもともと小さい湖だったが、1915年から1945年の日本統治時代に日本人技師ハタコウスケ氏の設計によって大きくされ、台湾最大の湖になったとのこと。この湖は渇水対策のための水源とされたものだが、後には水力発電所も造られた。そしてこれは揚水型で台湾で最も古い水力発電所とのこと。ここでも呉さんの日本びいきぶりが(?)が存分に発揮されていた。またこの付近は後記の1999年9月21日の集集(チーチー)地震の時に最も被害が大きかった地区で、山頂が15メートルも移動したとのこと。
時間的余裕のない私たちは、日月潭湖の周りをバスで周りながら これを見学しただけ。しかし霧もモヤも出ず、この時間帯で全体をしっかりと見学することができたことは実にラッキー。そして次の見学地である文武廟へ。
(2)文武廟見学(5:25~6:00)
ここ文武廟は孔子を祀っているところ。入り口には左右に巨大な獅子があり、武聖殿には岳飛と関羽が、大成殿には孔子が祀られている。そして武聖殿の前には玉を追う九龍が彫られた巨大な石盤がある(写真2-27)。
呉さんの説明によると、孔子の銅像は世界に2つだけあり、1つがここ、そしてもう1つが北京にあるとのこと。その巨大な規模にビックリ。孔子は今から2550年前、紀元前550年頃の人物で、「先生の先生」として中国で最も尊敬されている人物。したがって、孔子の誕生日である9月28日は先生のお休みとなっているとのこと。他方、関羽は三国志で有名だが、各地に関帝廟があり、そこに関羽が祀られている。それはなぜか?意外にも関羽は算盤を発明した人物であり、商売の神サマとして祀られているとのこと・・・?さらに孔子の隣には孟子が祀られており、「孟母三遷」のお話や「賢い72人」のお話もあったが、細かい話はもう忘れてしまった・・・?
―バスで移動(10:30~11:00)―
4 昼食(田舎料理)(11:00~11:45)
・ 今日の昼食は台湾の田舎料理だったが、十分美味しかった。
5 昼食後、台中から台南へバスで移動(11:45~14:25)
・ バスの中では、昼食でビール1本を飲んだこともあり、ほとんど熟睡。しかし、王さん
のお話だけはしっかりと聞き、メモも。
・ 途中、トイレ休憩あり(13:10~13:30)。
―坂和コラム―
「ホントに良かったガイドさんのお話」 その2
―あなたは八田與一を知ってる?
(1)日本統治時代の台湾にダムを造った人物として有名で、今なお多くの台湾人から
尊敬されている日本人が八田與一。私は彼の名前を前から知っていたが、今日、日
月潭から台南に向かうバスの中で聞いた「ホントに良かったガイドさんの話」その2
が、彼の人物伝だ。
(2)八田與一は石川県金沢市の生まれで、1910年に東京帝国大学工学部土木科
を卒業後、台湾総督府内務局に就職し、嘉義市、台南市、高雄市など各都市の上
下水道の整備などを担当した。そして、1920年から1930年まで10年間をかけて
、常に旱魃の危険にさらされていた台湾南部の嘉南平野に水を供給させるため、
烏山頭ダムを完成させた。
(3)ガイドの王さんの話では、彼は31歳の時に金沢で16歳の女性と結婚し、6人の
子供をもうけたそうだ。また、烏山頭ダムの完成を評価された彼は、フィリピンでの
灌漑調査という次の任務を任され太平洋戦争中の1942年5月にフィリピンに向け
て出発したが、その途中アメリカ軍の潜水艦によって船が撃沈され、56歳で死亡し
たらしい。
(4)彼の知名度や彼を評価する声は日本より台湾の方が高く、特に高齢者を中心に
烏頭山ダムでは命日である5月8日に毎年慰霊祭が行われている。またダムには
彼の銅像が建てられているが、これはダム完成後の1931年に作られたもの。これ
は立像ではなく、右手の肘を右足の膝に乗せて地面上に座っている姿というユニー
クなもので、住民から銅像の建設の申し出を受けた彼が固辞した末、工事現場でひ
とり熟考し苦慮している姿を像にしたものらしい。今回の台湾旅行では残念ながらこ
れを見ることはできなかったが、次回の台湾旅行では、ぜひ烏山頭ダムと彼のこの
銅像を見てみたいものだ。
「ホントに良かったガイドさんのお話」 その2
―あなたは八田與一を知ってる?
(1)日本統治時代の台湾にダムを造った人物として有名で、今なお多くの台湾人から
尊敬されている日本人が八田與一。私は彼の名前を前から知っていたが、今日、日
月潭から台南に向かうバスの中で聞いた「ホントに良かったガイドさんの話」その2
が、彼の人物伝だ。
(2)八田與一は石川県金沢市の生まれで、1910年に東京帝国大学工学部土木科
を卒業後、台湾総督府内務局に就職し、嘉義市、台南市、高雄市など各都市の上
下水道の整備などを担当した。そして、1920年から1930年まで10年間をかけて
、常に旱魃の危険にさらされていた台湾南部の嘉南平野に水を供給させるため、
烏山頭ダムを完成させた。
(3)ガイドの王さんの話では、彼は31歳の時に金沢で16歳の女性と結婚し、6人の
子供をもうけたそうだ。また、烏山頭ダムの完成を評価された彼は、フィリピンでの
灌漑調査という次の任務を任され太平洋戦争中の1942年5月にフィリピンに向け
て出発したが、その途中アメリカ軍の潜水艦によって船が撃沈され、56歳で死亡し
たらしい。
(4)彼の知名度や彼を評価する声は日本より台湾の方が高く、特に高齢者を中心に
烏頭山ダムでは命日である5月8日に毎年慰霊祭が行われている。またダムには
彼の銅像が建てられているが、これはダム完成後の1931年に作られたもの。これ
は立像ではなく、右手の肘を右足の膝に乗せて地面上に座っている姿というユニー
クなもので、住民から銅像の建設の申し出を受けた彼が固辞した末、工事現場でひ
とり熟考し苦慮している姿を像にしたものらしい。今回の台湾旅行では残念ながらこ
れを見ることはできなかったが、次回の台湾旅行では、ぜひ烏山頭ダムと彼のこの
銅像を見てみたいものだ。
6 台南観光その1―赤?樓(14:25~14:55)(写真2-⑬~⑮)
(1)台南の観光は①赤?樓と、②延平群王祠の2つが定番だが、前回の台湾旅行でもこ
れは観光済み。要するにここでは、「鄭成功」の物語をきちんと勉強することが肝要だ。
(2)その内容は05年3月14日の旅行記に書いているので、下記にそのまま引用しておく
。
記
これも映画『国姓爺合戦』に登場していたもので、1653年当時台南を占拠していたオランダ人が、民衆が蜂起することを恐れて築いた要塞。そしてこれは台南で最古の歴史的建造物となっている。オランダ人は髪の毛が紅いから紅毛人と呼ばれており、この要塞も紅毛城(プロビデンシア城)と呼ばれるオランダ式要塞だったとのことだが、今は、赤レンガでつくられた要塞の一部が残っているだけ。17世紀の建造物を見て、当時の鄭成功VSオランダの戦いに思いを馳せるのも楽しいものだ。
(3)なお、「鄭成功」については、09年11月6日から9日の厦門旅行でも、コロンス島に渡
り、鄭成功のデッカイ像を見学した。この厦門旅行は、09年10月1日に広島地裁で言い
渡された鞆の浦の埋め立て免許差止め判決や画期的意義を持つ京都市の眺望景観創
生条例などをネタとした景観法の講義を、厦門城市職業学院ですることをメインとする旅
行だったが、同時に厦門の美味しい海鮮料理と美しいコロンス島観光を両立することが
できた。そこで、ここには、09年11月8日のコロンス島における鄭成功の石像と皓月園
見学の旅行記を下記に引用しておく。
記
今日は9時頃の船に乗ってコロンス島に渡り、最初こそバッテリーカーに乗ったが、その後は昼食も食べないまま歩きずめ。とりわけ日光岩への登山(?)は厳しかった。そのため私はまだまだ元気だが、あとの2人はくたびれ気味で、鄭成功の像がある皓月園へ行くのはノーサンキューとのこと。時刻は14時30分頃。巨大な鄭成功像をバックにする花婿・花嫁衣装を着た数組の新婚カップルの撮影会が実施されていたから、私もそこに割り込んで鄭成功像をバックに撮影。そして、そこで休憩しながら待っているという2人を残して私一人で巨大な鄭成功像と皓月園へ。そこで頼んだのは、私が巨大な鄭成功像の前でタオルを振って立つのでそれを撮影してくれということ。かなりバカげた挑戦だが、結果は見事に大成功。しかし、さてそれがわかるかな?。
海に向かって立つ鄭成功の石像は高さが15.7mもあるから、真下から見るとその巨大さにビックリ。しかし、新婚カップルが写真をとっていた場所からは意外に近く、歩いて5分ほどだ。その下でタオルを振っている姿を写真を撮ってもらった後(といっても、ホントにシャッターを押してくれているかどうかはまったく見えない)、小さな資料館に入って絵はがきを購入。そして、階段を下に降りて皓月園に入ると、そこには鄭成功と騎馬隊をモチーフにした巨大なブロンズ像があった。私は鄭成功のことを呉子牛(ウー・ヅーニウ)監督の『国姓爺合戦』(01年)で学んだが、そのカッコいい生き方が大好き。そのため、巨大な石像や今にも動き出しそうなブロンズ像を見学できたことに感激。
もっとも、帰国後資料を整理していると、この皓月園とは別に日光岩のふもとに鄭成功紀念館があり、ここには鄭成功にまつわる文物を展示しているらしいから、これを見逃したのは非常に残念。
―バス移動(14:55~15:00)―
7 台南観光その2―延平郡王祠(15:00~15:30)(写真2-⑯~⑱)
延平郡についても、05年3月14日の旅行記を下記にそのまま引用しておく。
記
<君は鄭成功を知っているか?>
台南の第1の見学地である、ここ延平郡王祠は鄭成功とその一族を祀って1662年に建てられたもの。ガイド本によると、これは日本統治時代に改修されたが、1963年に建て直され、以前の様式に復元されており、建築様式は台湾では少ない福州式の廟建築とのこと。
ところで、君は鄭成功を知っているか?また『国姓爺合戦』を知っているか?呉さんの解説は史実(?)に基づいた詳細なもの。すなわち
①鄭成功は今から約380年前に、日本の平戸で生まれた人物で、父親は漢民族の鄭芝竜だが、母親は日本人の田川松。
②鄭成功は成長して明の将軍になったが、明は清王朝に滅ぼされたため、鄭成功は台湾に逃亡した
③当時台南にはオランダ人が住んでいたが、鄭成功はこのオランダ人を破って台湾を中国に取り戻し台南に移り住んだ。
④その結果、オランダ人は台北に移り住んだ。
⑤鄭成功はその2年後、38歳のときにコレラで死亡した。
⑥鄭成功の子供の鄭経がその後を継ぎ、その後オランダ人を完全に追放した。
そして、これは基本的には私がもっている知識の範囲内の内容。
<映画『国姓爺合戦』を勉強しよう!>
私がなぜ鄭成功や『国姓爺合戦』を知ったかというと、それは映画『国姓爺合戦』(01年)を観たから。そしてその映画評論を書くためにかなり勉強したから。「抗清復明」のスローガンを掲げて清と戦い、そして「台湾解放」のスローガンを掲げてオランダと戦って台湾を解放した鄭成功の英雄的な生涯は、実にドラマティックで面白く興味深いもの。日本で近松門左衛門が『国姓爺合戦』を書いたのは彼が63歳の時。そしてそれが大阪竹本座で初演されたのは1715年のこと。これらの詳細については、『坂和的中国電影大観 SHOW-HEYシネマルーム5』155頁を是非参照してもらいたい。読んだらホントに面白いよ!
8 台南から高雄へバス移動(15:30~16:20)
―坂和コラム―
「ホントに良かったガイドさんのお話」 その3
―檳榔(ビンロウ)小姐の今は?
(1)05年の台湾旅行では、はじめて見た檳榔(ビンロウ)小姐の姿が衝撃的だった。
ちなみに、05年3月14日の旅行記では、それを下記のように書いている。
記
<檳榔(ビンロウ)とは?檳榔(ビンロウ)売りとは? >
バスが出発した途端、呉さんが、「皆さんコーヒー好きですか?」と質問してきた。当然みんなが「イエス」と答えると、「檳榔(ビンロウ)売りの店で缶コーヒーを買ってプレゼントします」とのこと。檳榔(ビンロウ)とは、ビンロウの木になる実のことで、これには覚醒作用があり、ニコチンやカフェインと同じようなドラッグだが、違法性はないもの。そして檳榔(ビンロウ)売りとは、その檳榔(ビンロウ)の実あるいはタバコや缶コーヒーそして缶ジュース等を売っている小さな店のこと。
<檳榔(ビンロウ)小姐の登場!>
呉さんの説明によると、最近車のドライバーをターゲットとして、派手なネオンのイルミネーションで店を目立つようにし、ほとんど下着姿同然の若い女性に、缶コーヒー等を販売させる店が増えてきたとのこと。昔は老人たちが店の番をしていたところ、ある店がそういうやり方で缶コーヒー等を売るとそこにドライバー達が殺到した(?)ため、「われもわれも・・・」となったらしい。そして、缶コーヒー等を売る若い女の子の服装も、その競争の中で次第に薄く過激になり、今やシースルーやランジェリー姿は当然のようになったとのこと。そして、これを「檳榔(ビンロウ)小姐」と呼ぶことも、帰国後インターネットを調べてはじめてわかったこと。たかが缶コーヒー等を売るだけのことだが、ドライバーの男たちに「目の保養」をさせるサービスによって、他と差別化して売上げを伸ばそうという戦略だが、さすが漢民族は商売上手・・・?もっともこの手の「商売」は、規制のゆるい台南では黙認されているものの、規制のきつい台北では御法度とのこと・・・?百戦錬磨のガイドである呉さんは、立ち寄った檳榔(ビンロウ)の店では、わざわざ女の子に缶コーヒーを入れた袋をバスの中まで届けさせたので、バスの一番前に座っていた私は、このほとんど下着姿の若い女の子の姿をパチリパチリと・・・?
(2)バス移動が多い今回も、私は内心その檳榔(ビンロウ)小姐を見るのを期待して
いたが、なぜか今回はその姿を見かけない。檳榔(ビンロウ)は、眠気覚ましとして
タバコ代わりに長距離トラックのドライバーやタクシー運転手が使っているが、紙タ
バコのように飲み込まず、吐き捨てるため、台湾の道路は至る所が血を吐いたよう
になり、大きく美観を損ねることになる。そのため、現在では道路に吐き捨てると罰
金刑が科せられるそうだ。また、檳榔(ビンロウ)には習慣性があるため、18歳未
満の者には販売禁止、公共施設内では使用禁止、とされているらしい。さらに、王
さんの説明によれば、石灰を混ぜた檳榔(ビンロウ)をかじっていると発ガン作用が
あることがわかったため、その売れ行きは大幅に落ち、今では檳榔(ビンロウ)小姐
の姿もなくなってしまったそうだ。
(3)ちなみに、何人か交代したバスのドライバーの1人は、今でも檳榔(ビンロウ)をか
じっているとのことで、現実に手に取って見せてもらった。しかし、発ガン性が明確に
肯定されれば、かじる人が少なくなるのは当然だ。檳榔(ビンロウ)という看板は今
回も結構目立ったが、そこにはかつてのような派手派手しいネオンもなければ、ミニ
スカートや下着姿同然の檳榔(ビンロウ)小姐も不在。そのため、目の保養にならな
かったのは少し残念だが、これも時代の変化の1つ・・・?
「ホントに良かったガイドさんのお話」 その3
―檳榔(ビンロウ)小姐の今は?
(1)05年の台湾旅行では、はじめて見た檳榔(ビンロウ)小姐の姿が衝撃的だった。
ちなみに、05年3月14日の旅行記では、それを下記のように書いている。
記
<檳榔(ビンロウ)とは?檳榔(ビンロウ)売りとは? >
バスが出発した途端、呉さんが、「皆さんコーヒー好きですか?」と質問してきた。当然みんなが「イエス」と答えると、「檳榔(ビンロウ)売りの店で缶コーヒーを買ってプレゼントします」とのこと。檳榔(ビンロウ)とは、ビンロウの木になる実のことで、これには覚醒作用があり、ニコチンやカフェインと同じようなドラッグだが、違法性はないもの。そして檳榔(ビンロウ)売りとは、その檳榔(ビンロウ)の実あるいはタバコや缶コーヒーそして缶ジュース等を売っている小さな店のこと。
<檳榔(ビンロウ)小姐の登場!>
呉さんの説明によると、最近車のドライバーをターゲットとして、派手なネオンのイルミネーションで店を目立つようにし、ほとんど下着姿同然の若い女性に、缶コーヒー等を販売させる店が増えてきたとのこと。昔は老人たちが店の番をしていたところ、ある店がそういうやり方で缶コーヒー等を売るとそこにドライバー達が殺到した(?)ため、「われもわれも・・・」となったらしい。そして、缶コーヒー等を売る若い女の子の服装も、その競争の中で次第に薄く過激になり、今やシースルーやランジェリー姿は当然のようになったとのこと。そして、これを「檳榔(ビンロウ)小姐」と呼ぶことも、帰国後インターネットを調べてはじめてわかったこと。たかが缶コーヒー等を売るだけのことだが、ドライバーの男たちに「目の保養」をさせるサービスによって、他と差別化して売上げを伸ばそうという戦略だが、さすが漢民族は商売上手・・・?もっともこの手の「商売」は、規制のゆるい台南では黙認されているものの、規制のきつい台北では御法度とのこと・・・?百戦錬磨のガイドである呉さんは、立ち寄った檳榔(ビンロウ)の店では、わざわざ女の子に缶コーヒーを入れた袋をバスの中まで届けさせたので、バスの一番前に座っていた私は、このほとんど下着姿の若い女の子の姿をパチリパチリと・・・?
(2)バス移動が多い今回も、私は内心その檳榔(ビンロウ)小姐を見るのを期待して
いたが、なぜか今回はその姿を見かけない。檳榔(ビンロウ)は、眠気覚ましとして
タバコ代わりに長距離トラックのドライバーやタクシー運転手が使っているが、紙タ
バコのように飲み込まず、吐き捨てるため、台湾の道路は至る所が血を吐いたよう
になり、大きく美観を損ねることになる。そのため、現在では道路に吐き捨てると罰
金刑が科せられるそうだ。また、檳榔(ビンロウ)には習慣性があるため、18歳未
満の者には販売禁止、公共施設内では使用禁止、とされているらしい。さらに、王
さんの説明によれば、石灰を混ぜた檳榔(ビンロウ)をかじっていると発ガン作用が
あることがわかったため、その売れ行きは大幅に落ち、今では檳榔(ビンロウ)小姐
の姿もなくなってしまったそうだ。
(3)ちなみに、何人か交代したバスのドライバーの1人は、今でも檳榔(ビンロウ)をか
じっているとのことで、現実に手に取って見せてもらった。しかし、発ガン性が明確に
肯定されれば、かじる人が少なくなるのは当然だ。檳榔(ビンロウ)という看板は今
回も結構目立ったが、そこにはかつてのような派手派手しいネオンもなければ、ミニ
スカートや下着姿同然の檳榔(ビンロウ)小姐も不在。そのため、目の保養にならな
かったのは少し残念だが、これも時代の変化の1つ・・・?
9 高雄市内観光(蓮池潭、龍虎塔)(16:20~17:45)
(1)蓮池潭・龍虎塔(16:20~16:55)(写真2-⑲~25)
高雄の定番スポットは蓮池潭・龍虎塔だが、これも05年3月14日に観光済みだから、
その旅行記を下記にそのまま引用しておく。
記
2番目の観光地は、蓮池潭と龍虎塔。この蓮池潭という湖は、日本統治時代に造られた湖で、高雄市民の水源の1つだったが、現在は飲み水としては使われていないとのこと。ここには龍虎塔と呼ばれる七重の塔がある。まず、つづら折りの橋があり、その橋の下部には三国志などの絵巻物が色鮮やかに描かれている。これをゆっくりと歩いていくと、龍虎塔への入口がある。ここでは、左の龍の口から入り、塔の見学を終えた後、右の虎の口から出てくると良いことがあると言われているため、ツアー客はちゃんとその教えにしたがって行進(?)。
今は、新しいお寺に建て替えるべくお金を集めているとのことで、龍虎塔を写した1枚の写真をもらうのとひきかえに(?)1人10元ずつお賽銭の中へ。龍の口から中に入ると、通路の左右には親孝行の絵、英雄豪傑の絵、さらには地獄の絵などがいっぱい。龍虎塔の上には登らず、美しい景色を写真撮影してバスの中へ。
(2)中国では、法輪功に対する弾圧が続いている。そのことは中国では全然報道されない
が、日本では裁判所前でビラが配られたりしているから、私はよく知っている。しかして、
台湾は選挙制度がある民主主義の国。そのため、中国が法輪功などを弾圧している人
権無視の国であることや、中国共産党の幹部が汚職にまみれていること等を、公然と批
判することができる国だ。1966年から1977年まで、中国では毛沢東が指導する「文化
大革命」の嵐が吹き荒れ、毛沢東語録を持った紅衛兵たちが至る所に「壁新聞」を貼り、
知識人たちを吊るし上げる風景が見られたが、台湾ではその壁新聞に似た中国共産党
批判の看板が、あちこちの観光地に。中国では絶対に見られないこんな風景を、台湾で
はしっかり撮影しておかなければ(写真2-26~28)。
―バス移動(16:55~17:00)―
(3)寿山公園(17:00~17:45)(写真2-29、30)
・ 今回は、バスで停車場まで上り、寿山頂上に至る長い階段を徒歩で上れば、近時の
成長著しい高雄港を臨むことができた。ここ高雄港が使うコンテナ量は、台湾最大のお
よそ1000万の20フィートコンテナを扱い、世界第12位の取扱量を誇っているらしい。
高台から見下ろす港内と、その左手に見える市内の高層ビル群の風景は美しい。今回
は、ちょうど夕方5時から市民が作っているブラスバンドの楽団が、ヘリコプターを使っ
てパフォーマンスと演奏をやることになっているらしく、ラッキー。長年ガイドをやってい
る王さんもこんな機会ははじめてのことらしい。風が強いためヘリコプターのパフォーマ
ンスは中止となったが、トランペットを中心とするド派手かつ庶民的な演奏をしっかり楽
しむことができた(写真2-31~34)。
―バス移動(17:45~18:00)―
10 夕食(台湾海鮮料理)(18:00~18:40)
(1)日程表には、夕食は「城市商旅」という高級レストランで海鮮料理と書いてあった。中
国の青島は海鮮料理が有名で安くておいしい。また、大連でも海鮮料理は美味しい。し
かし、今日食べた台湾・高雄の海鮮料理は名ばかりで、新鮮な刺身などは全くなく、えび
が少しあっただけ。もっとも、豚足など本来の台湾料理(?)は、それなりに美味しかった
。
11 愛河クルーズ巡り(19:00~19:40)(写真2-35~41)
(1)高雄の愛河クルーズは有名だが、前回(05年3月13日~16日)の台湾旅行では時
間が無く、3月14日に朝食後のちょっとした散策で写真撮影しただけだった。しかし今回
は、夕食後の船に乗ってのクルーズで、愛河と高雄の美しい夜景をタップリ見学できるそ
うだから楽しみだ。
(2)私は昨年、今年と続けて、毎年7月25日に開催される天神祭の船渡御に参加した。
その規模の大きさと打ち上げられる花火の豪華さは日本三大祭り(京都の祇園祭、東京
の神田祭、そして大阪の天神祭)としてふさわしいものだが、近時、私は弁護士として裁
判所のすぐ前にある若松浜公園の利用方法について、地元住民の相談を聞き、場合に
よれば大阪府に対する訴訟提起になるかもしれない事件を担当している。その「論点」は
、「水の都」大阪復活のため、中之島公園という「素材」を活かして水辺の活性化を目指
す方向と、中之島公園はすべての人が自由に利用できるものでなければならないから、
一部の業者の利益のために水辺が独占的に利用されるのはおかしい、という考え方と
の衝突だ。
(3)現在、土佐堀川と大川をアクアライナーで走る「大阪城・中之島めぐり」クルーズが人
気だが、これには夜のクルーズはないから、中之島の夜は静かなもの。しかし、ここ高雄
の愛河の夜の明るさと華やかさはすごい。船着き場の明るさ、船内の明るさ、周辺のネ
オンの明るさ。そして水辺に並ぶ高層ビルの明るさを見ていると、その夜景の美しさにう
っとり。愛河の水質もかつてはひどかったが、高雄市長以下の努力によって今はキレイ
になっているそうだ。クルーズの時間は20分ほどだったが、夜の愛河クルーズの美しさ
と楽しさを十分満喫することができた。
―バス移動(19:40~20:00)―
12 寒軒国際大飯店(ハンシェンインターナショナルホテル)へ(20:00)
(1)今日の高雄のホテル(寒軒国際大飯店)は5つ星。しかも、部屋は34階の高層にある
から、窓から見下ろす街の夜景は最高だ。ホテル1階には、フィットネス、プール、サウナ
もあるそうで、エレベーターでは水着姿のおばちゃんと遭遇したことも。1日ホテルでゆっ
くりできるのなら当然フィットネスで運動し、サウナに入るところだが、今日はマッサージ
のみ。
13 就寝(23:00)
by sakawa-ryokou
| 2014-08-29 11:00
| 海外旅行(中国)