2012年 09月 04日
上海・合肥・南京・上海旅行記 2012年8月 [8日目] |
[旅行日程メモ]
(はじめに)
(1日目旅行記)2012(平成24)年8月16日
(2日目旅行記)2012(平成24)年8月17日
(3日目旅行記)2012(平成24)年8月18日
(4日目旅行記)2012(平成24)年8月19日
(5日目旅行記)2012(平成24)年8月20日
(6日目旅行記)2012(平成24)年8月21日
(7日目旅行記)2012(平成24)年8月22日
(8日目旅行記)2012(平成24)年8月23日 この記事
(9日目旅行記)2012(平成24)年8月24日
2012(平成24)年8月23日(木) ⇒ 写真8ー①~36
今日のメイン
①午前中南京見学
②昼から上海へ
③6時から季衛東先生らと会食
1 起床(6:15)、朝食(6:30~7:05)
いつものように朝食を済まし、蘇寧環球套房飯店を出発(7:40)。孫君は少し朝寝坊
したため朝食は食べていないらしい。
2 南京博物院(朝天宮)(8:05~9:30)
(1)博物館はどこに?
ガイド本による事前学習では、南京博物院は中山東路321号にあるはず。また、こ
こは北京故宮博物院、台北故宮博物院に次いで3番目の博物館らしいから、多くの
観光客が訪れているはず。そう思って朝1番の観光先にしようとタクシーに乗ったが、何
と運転手はこれを知らないらしい。そんなバカな!と思いつつ、孫君が2台目、3台目の
タクシーに聞いてもみんな知らないと言っている。そこで、ホテルのフロントで調べても
らい、そのメモを持って次のタクシーに聞くと、やっと乗せてくれた。そこで到着したの
が、国家AAAA級旅游景区(点)朝天宮导游图にある「南京市博物館(朝天宮景区)」
(写真8ー①)。ここは現在「圣塔佛光」特別展をやっているらしく、入場料は合わせて6
0元(写真8ー②)。
(2)内容はタップリ!
朝8時からの開場だが、観光客は誰もいないのでビックリ。もっとも、団体客の予定
はあったらしく、8:30頃からは賑わい始め、私たちが帰る9:30頃には入口付近は駐
車しているバスでいっぱいになっていた。ここにもまず孔子の像があり、大成門を入ると
さまざまな展示館があった(写真8ー③)。こんな時は団体客を率いるガイドの話を聞く
のが手っ取り早いので、それに従って歩くと「六朝南京城市建设大事记」の歴史がよく
わかった(写真8ー④)。
(3)南京は古い都!
南京は古くは『三国志』で有名な孫権が西暦229年に都をつくったところで、『三国志』
でおなじみの諸葛孔明と孫権が並ぶ蝋人形もあった(写真8ー⑤)。また明の時代に
はじめて大船団を仕立てて海外に進出した郑和の像もあった(写真8ー⑥)。さらに、
博物館らしく「博愛」(写真8ー➆)と書いた孫文自筆の書や「中華民国元年元旦 孫
文」と記した「大総統誓詞」(写真8ー⑧)なども保管されていた。
ここでは入口の門に書かれてある「徳配天地」と「江寧府学」の文字の意味をしっかり
理解することが大切だ(写真8ー⑨、⑩)。
3 太平天国歴史博物館(太平天国历史博物馆)
(1)洪秀全とは?
次の目的地は、ガイド本にもあった太平天国歴史博物館。清国に抵抗して1851年
に洪秀全が太平天国という国を建国したことは中国史の勉強で知っている。天王を自
称した洪秀全は1852年に広西から湖南へと進出し、1853年に南京を占領。ここを天
京と改称し太平天国の首都に定めた。しかし、その勢力は長く続かず、1862年には天
京付近の拠点は清軍に奪回され、洪秀全は1864年に病没した。
(2)ここも内容はタップリ!
しかして、昨日行った夫子廟のすぐ近くの瞻園(せんえん)内にある太平天国歴史博
物館は太平天国に関する中国で唯一の専門博物館だ(写真8ー⑪~⑭)。館内には
太平天国に関する史料がたくさん展示されている。入るとすぐに洪秀全の像が(写真8
ー⑮)。そして館内には興味深いさまざまな史料が(写真8ー⑯~⑱)。ここはもとは
太平天国の指導者の1人だった楊秀清の王府だったところ。また隣にある瞻園には、
太平天国の乱で南京が陥落した時に、太平天国の指導者であった洪秀全が住んでい
たらしい。門には「瞻園」の文字が刻まれているが、これは清の6代目皇帝、乾隆帝の
直筆らしい。乾隆帝が「瞻望玉堂」と記したことによって、「瞻園」に改名されたそうだ。
(3)孫文と毛沢東の評価は?
最後に、孫文と毛沢東による太平天国に対する評価が書かれてあった(写真8ー
⑲、⑳)が、さてその内容は?
4 夫子廟(9:40~11:05)
(1)昨日の夕方から見学し、夕食に南京小吃を食べた夫子廟も情緒があったが、昼間に
見る明るい夫子廟は活気がいっぱい(写真8ー21)。昨日と同じように、5元で買った
カンの青島ビールを飲みながら今日はお土産店に入り、お土産を物色(写真8ー22、
23)。
(2)南京では「香辣鸭翅」が有名なので、それを購入(写真8ー24)。張藝謀監督の映
画『金陵十三釵(The Flowers Of War)』には大きなショックを受けたが、金
陵とはもともと南京を指す言葉。『金陵十二釵』は曹雪芹の小説だが、それを同じ名前のお菓子
があったのでそれを購入(写真8ー25)。さらに「怪味胡豆」や「奶香葵仁」などの豆類
がたくさんあるのを見て(写真8ー26)、私が抱いた疑問は、日本にある「南京豆」は
なぜ南京豆というのだろう?ということ。それについてはさすがに孫君からも明確な回
答はなかった。
(3)以上で南京見学をすべて終え、タクシーでホテルへ(11:05~11:25)。
5 蘇寧環球套房飯店をチェックアウト(12:10)、南京南駅へ(12:15~12:45)
(1)孫君がフロントで聞いたところによると、駅への道路の一部が工事中のため渋滞
するらしい。案の定工事中の道路は全く動かない状態だったが、孫君が運転手に頼む
と、そこからは俄然暴走運転(?)に。渋滞中の道路も、とにかく先に先にと割り込んで
いったことでようやく脱し、その後3~4車線の高架道路に入ると、カーレースのように
自在に車線を変更しながらぶっ飛ばしたことによって、余裕を持って南京南駅に到着。
タクシー代に若干のお礼分を上乗せして料金を払ったのは当然だが、こんな神業的運
転に、しばし快感!
(2)手荷物検査を終えて待合所に行くと、何とそこには特等席専用のVIPルームがあり、
ペットボトル類はもちろんホットコーヒーのサービスまであり、すべて飲み放題。さらにス
ナック類もたくさん置いてあり、いくらでも食べることができるからすごい。日本の新幹線
ではこんなサービスは考えられないから、これを見て完全に中国の高速鉄道のサービ
スの方が日本の新幹線のそれより上回っていることを実感!(写真8ー27、28)
6 高速鉄道(商务座)で上海へ(1時間21分)
(1)「南京南駅」13:08発、「上海虹桥駅」14:29着の「和谐号」に乗車(時速308
キロメートル)(写真8ー29、30)。
途中停車駅は「常州北駅」「苏州北駅」のみ。
(2)ここではじめて、日本の新幹線に相当する中国の高速鉄道のしかも特等席(商务座)
に乗ることに。速度は308km(写真8ー31)。日本の新幹線のグリーン車は2列×2で
高速鉄道の1等席と同じだが、特等席は1列+2列で1車両8席だから、1車両の定員
がわずか24名(写真8ー32)。座席の前はバカ長く空いているうえ、自動で座席を倒
すことができ、全部横にすると完全なベッドになる(写真8ー33)。その長さは長身の
外国人対応らしく2mは優にある。
(3)また、孫君が弁当を買おうとすると、何と昼食時は無料らしい。もっとも、残念ながら
今回はその時間を過ぎていたので、有料だった。ちなみに料金は1人430元(約6000
円)だから、やはり列車に比べると非常に高い。
(4)上海虹桥駅に到着後、タクシーでブックフェアの間泊まっていたホテル上海中星君亭
酒店へ(12:45~3:30)。
7 上海中星君亭酒店へ到着(3:30)
(1)チェックイン(3:30)。部屋に入り、シャワーを浴びて、しばし休憩。
(2)孫君を通じて、上海文芸出版社の夏青根さんの代理の人から、孫君経由で日本へ
手荷物で持ち帰る『电影如歌 一个人的银幕笔记』の本50冊を受領。
(3)孫君から日本へのお土産として「虎斑蝶」や「高山绢蝶」などの標本を受領(写真8
ー34)。
(4)6時に約束している季衛東・駱美化先生との会食のため、ホテルを早目に出発。タク
シーで移動(5:00~5:20)。
8 季衛東・駱美化と会食(5:20~9:00)
(1)5:20頃、坂和、員子、孫晨俊の3人がレストラン「申粤轩酒楼」に到着。
(2)5:30頃、8月19日昼に会食した俞蕾、许胜、高啓方の3人が到着。
(3)6:00少し前に、季衛東・駱美化先生到着。
(4)6:00から夕食会が開始。参加者は私たち夫婦、季衛東、駱美化、孫晨俊、俞蕾、
许胜、高啓方の計8名。
(5)私はもちろん季衛東・駱美化先生とは初対面だが、これまでにメールや資料のやりと
りがあったためすぐに溶け込むことができた。そして、互いの経験談や法教育の現状、
弁護士としての活動分野などに関して話題が盛り上がり、あっという間に時間が経過し
た。俞蕾、许胜、高啓方の3人と孫晨俊も季衛東・駱美化先生とは初対面だったが、互
いに上海を根拠に活動しているうえ全員が日本への留学経験があるので共通の話題
が多く、こちらもすぐに溶け込んだ。
興味深かったのは、この食事会では最初に乾杯はしたものの、その後乾杯を重ね、
酒を強引に勧めることが全くなかったこと。これは車で来ていることもあるが、何よりも
全員が日本での留学経験があるため日本流の会食に慣れているためだ。いくらでも酒
を飲めるのは私くらいのものだったから、私だけはビールをぐいぐい飲みながら3時間
弱の楽しい会食をすることができた。今度季衛東・駱美化先生が日本に来られる時に
は、是非お返しの場を設けなければ・・・(写真8ー35、36)。
(6)会合終了後は皆さんと別れて、坂和、員子、孫君はタクシーでホテルへ(9:00~9:
30)。
9 上海中星君亭酒店へ戻り、就寝(9:30~0:00)
孫君は明日午前中の私たちの観光につき合うためホテルに宿泊する予定だったが、
明日の午前中は坂和と員子の2人だけで博物館へ行くことができることを説明し、孫君
には自宅に帰ってもらうことに。孫君、今日はゆっくり自宅で休んでください。
(はじめに)
(1日目旅行記)2012(平成24)年8月16日
(2日目旅行記)2012(平成24)年8月17日
(3日目旅行記)2012(平成24)年8月18日
(4日目旅行記)2012(平成24)年8月19日
(5日目旅行記)2012(平成24)年8月20日
(6日目旅行記)2012(平成24)年8月21日
(7日目旅行記)2012(平成24)年8月22日
(8日目旅行記)2012(平成24)年8月23日 この記事
(9日目旅行記)2012(平成24)年8月24日
2012(平成24)年8月23日(木) ⇒ 写真8ー①~36
今日のメイン
①午前中南京見学
②昼から上海へ
③6時から季衛東先生らと会食
1 起床(6:15)、朝食(6:30~7:05)
いつものように朝食を済まし、蘇寧環球套房飯店を出発(7:40)。孫君は少し朝寝坊
したため朝食は食べていないらしい。
2 南京博物院(朝天宮)(8:05~9:30)
(1)博物館はどこに?
ガイド本による事前学習では、南京博物院は中山東路321号にあるはず。また、こ
こは北京故宮博物院、台北故宮博物院に次いで3番目の博物館らしいから、多くの
観光客が訪れているはず。そう思って朝1番の観光先にしようとタクシーに乗ったが、何
と運転手はこれを知らないらしい。そんなバカな!と思いつつ、孫君が2台目、3台目の
タクシーに聞いてもみんな知らないと言っている。そこで、ホテルのフロントで調べても
らい、そのメモを持って次のタクシーに聞くと、やっと乗せてくれた。そこで到着したの
が、国家AAAA級旅游景区(点)朝天宮导游图にある「南京市博物館(朝天宮景区)」
(写真8ー①)。ここは現在「圣塔佛光」特別展をやっているらしく、入場料は合わせて6
0元(写真8ー②)。
(2)内容はタップリ!
朝8時からの開場だが、観光客は誰もいないのでビックリ。もっとも、団体客の予定
はあったらしく、8:30頃からは賑わい始め、私たちが帰る9:30頃には入口付近は駐
車しているバスでいっぱいになっていた。ここにもまず孔子の像があり、大成門を入ると
さまざまな展示館があった(写真8ー③)。こんな時は団体客を率いるガイドの話を聞く
のが手っ取り早いので、それに従って歩くと「六朝南京城市建设大事记」の歴史がよく
わかった(写真8ー④)。
(3)南京は古い都!
南京は古くは『三国志』で有名な孫権が西暦229年に都をつくったところで、『三国志』
でおなじみの諸葛孔明と孫権が並ぶ蝋人形もあった(写真8ー⑤)。また明の時代に
はじめて大船団を仕立てて海外に進出した郑和の像もあった(写真8ー⑥)。さらに、
博物館らしく「博愛」(写真8ー➆)と書いた孫文自筆の書や「中華民国元年元旦 孫
文」と記した「大総統誓詞」(写真8ー⑧)なども保管されていた。
ここでは入口の門に書かれてある「徳配天地」と「江寧府学」の文字の意味をしっかり
理解することが大切だ(写真8ー⑨、⑩)。
3 太平天国歴史博物館(太平天国历史博物馆)
(1)洪秀全とは?
次の目的地は、ガイド本にもあった太平天国歴史博物館。清国に抵抗して1851年
に洪秀全が太平天国という国を建国したことは中国史の勉強で知っている。天王を自
称した洪秀全は1852年に広西から湖南へと進出し、1853年に南京を占領。ここを天
京と改称し太平天国の首都に定めた。しかし、その勢力は長く続かず、1862年には天
京付近の拠点は清軍に奪回され、洪秀全は1864年に病没した。
(2)ここも内容はタップリ!
しかして、昨日行った夫子廟のすぐ近くの瞻園(せんえん)内にある太平天国歴史博
物館は太平天国に関する中国で唯一の専門博物館だ(写真8ー⑪~⑭)。館内には
太平天国に関する史料がたくさん展示されている。入るとすぐに洪秀全の像が(写真8
ー⑮)。そして館内には興味深いさまざまな史料が(写真8ー⑯~⑱)。ここはもとは
太平天国の指導者の1人だった楊秀清の王府だったところ。また隣にある瞻園には、
太平天国の乱で南京が陥落した時に、太平天国の指導者であった洪秀全が住んでい
たらしい。門には「瞻園」の文字が刻まれているが、これは清の6代目皇帝、乾隆帝の
直筆らしい。乾隆帝が「瞻望玉堂」と記したことによって、「瞻園」に改名されたそうだ。
(3)孫文と毛沢東の評価は?
最後に、孫文と毛沢東による太平天国に対する評価が書かれてあった(写真8ー
⑲、⑳)が、さてその内容は?
4 夫子廟(9:40~11:05)
(1)昨日の夕方から見学し、夕食に南京小吃を食べた夫子廟も情緒があったが、昼間に
見る明るい夫子廟は活気がいっぱい(写真8ー21)。昨日と同じように、5元で買った
カンの青島ビールを飲みながら今日はお土産店に入り、お土産を物色(写真8ー22、
23)。
(2)南京では「香辣鸭翅」が有名なので、それを購入(写真8ー24)。張藝謀監督の映
画『金陵十三釵(The Flowers Of War)』には大きなショックを受けたが、金
陵とはもともと南京を指す言葉。『金陵十二釵』は曹雪芹の小説だが、それを同じ名前のお菓子
があったのでそれを購入(写真8ー25)。さらに「怪味胡豆」や「奶香葵仁」などの豆類
がたくさんあるのを見て(写真8ー26)、私が抱いた疑問は、日本にある「南京豆」は
なぜ南京豆というのだろう?ということ。それについてはさすがに孫君からも明確な回
答はなかった。
(3)以上で南京見学をすべて終え、タクシーでホテルへ(11:05~11:25)。
5 蘇寧環球套房飯店をチェックアウト(12:10)、南京南駅へ(12:15~12:45)
(1)孫君がフロントで聞いたところによると、駅への道路の一部が工事中のため渋滞
するらしい。案の定工事中の道路は全く動かない状態だったが、孫君が運転手に頼む
と、そこからは俄然暴走運転(?)に。渋滞中の道路も、とにかく先に先にと割り込んで
いったことでようやく脱し、その後3~4車線の高架道路に入ると、カーレースのように
自在に車線を変更しながらぶっ飛ばしたことによって、余裕を持って南京南駅に到着。
タクシー代に若干のお礼分を上乗せして料金を払ったのは当然だが、こんな神業的運
転に、しばし快感!
(2)手荷物検査を終えて待合所に行くと、何とそこには特等席専用のVIPルームがあり、
ペットボトル類はもちろんホットコーヒーのサービスまであり、すべて飲み放題。さらにス
ナック類もたくさん置いてあり、いくらでも食べることができるからすごい。日本の新幹線
ではこんなサービスは考えられないから、これを見て完全に中国の高速鉄道のサービ
スの方が日本の新幹線のそれより上回っていることを実感!(写真8ー27、28)
6 高速鉄道(商务座)で上海へ(1時間21分)
(1)「南京南駅」13:08発、「上海虹桥駅」14:29着の「和谐号」に乗車(時速308
キロメートル)(写真8ー29、30)。
途中停車駅は「常州北駅」「苏州北駅」のみ。
(2)ここではじめて、日本の新幹線に相当する中国の高速鉄道のしかも特等席(商务座)
に乗ることに。速度は308km(写真8ー31)。日本の新幹線のグリーン車は2列×2で
高速鉄道の1等席と同じだが、特等席は1列+2列で1車両8席だから、1車両の定員
がわずか24名(写真8ー32)。座席の前はバカ長く空いているうえ、自動で座席を倒
すことができ、全部横にすると完全なベッドになる(写真8ー33)。その長さは長身の
外国人対応らしく2mは優にある。
(3)また、孫君が弁当を買おうとすると、何と昼食時は無料らしい。もっとも、残念ながら
今回はその時間を過ぎていたので、有料だった。ちなみに料金は1人430元(約6000
円)だから、やはり列車に比べると非常に高い。
(4)上海虹桥駅に到着後、タクシーでブックフェアの間泊まっていたホテル上海中星君亭
酒店へ(12:45~3:30)。
7 上海中星君亭酒店へ到着(3:30)
(1)チェックイン(3:30)。部屋に入り、シャワーを浴びて、しばし休憩。
(2)孫君を通じて、上海文芸出版社の夏青根さんの代理の人から、孫君経由で日本へ
手荷物で持ち帰る『电影如歌 一个人的银幕笔记』の本50冊を受領。
(3)孫君から日本へのお土産として「虎斑蝶」や「高山绢蝶」などの標本を受領(写真8
ー34)。
(4)6時に約束している季衛東・駱美化先生との会食のため、ホテルを早目に出発。タク
シーで移動(5:00~5:20)。
8 季衛東・駱美化と会食(5:20~9:00)
(1)5:20頃、坂和、員子、孫晨俊の3人がレストラン「申粤轩酒楼」に到着。
(2)5:30頃、8月19日昼に会食した俞蕾、许胜、高啓方の3人が到着。
(3)6:00少し前に、季衛東・駱美化先生到着。
(4)6:00から夕食会が開始。参加者は私たち夫婦、季衛東、駱美化、孫晨俊、俞蕾、
许胜、高啓方の計8名。
(5)私はもちろん季衛東・駱美化先生とは初対面だが、これまでにメールや資料のやりと
りがあったためすぐに溶け込むことができた。そして、互いの経験談や法教育の現状、
弁護士としての活動分野などに関して話題が盛り上がり、あっという間に時間が経過し
た。俞蕾、许胜、高啓方の3人と孫晨俊も季衛東・駱美化先生とは初対面だったが、互
いに上海を根拠に活動しているうえ全員が日本への留学経験があるので共通の話題
が多く、こちらもすぐに溶け込んだ。
興味深かったのは、この食事会では最初に乾杯はしたものの、その後乾杯を重ね、
酒を強引に勧めることが全くなかったこと。これは車で来ていることもあるが、何よりも
全員が日本での留学経験があるため日本流の会食に慣れているためだ。いくらでも酒
を飲めるのは私くらいのものだったから、私だけはビールをぐいぐい飲みながら3時間
弱の楽しい会食をすることができた。今度季衛東・駱美化先生が日本に来られる時に
は、是非お返しの場を設けなければ・・・(写真8ー35、36)。
(6)会合終了後は皆さんと別れて、坂和、員子、孫君はタクシーでホテルへ(9:00~9:
30)。
9 上海中星君亭酒店へ戻り、就寝(9:30~0:00)
孫君は明日午前中の私たちの観光につき合うためホテルに宿泊する予定だったが、
明日の午前中は坂和と員子の2人だけで博物館へ行くことができることを説明し、孫君
には自宅に帰ってもらうことに。孫君、今日はゆっくり自宅で休んでください。
by sakawa-ryokou
| 2012-09-04 18:11
| 海外旅行(中国)