2012年 09月 04日
上海・合肥・南京・上海旅行記 2012年8月 [7日目] |
[旅行日程メモ]
(はじめに)
(1日目旅行記)2012(平成24)年8月16日
(2日目旅行記)2012(平成24)年8月17日
(3日目旅行記)2012(平成24)年8月18日
(4日目旅行記)2012(平成24)年8月19日
(5日目旅行記)2012(平成24)年8月20日
(6日目旅行記)2012(平成24)年8月21日
(7日目旅行記)2012(平成24)年8月22日 この記事
(8日目旅行記)2012(平成24)年8月23日
(9日目旅行記)2012(平成24)年8月24日
2012(平成24)年8月22日(水) ⇒ 写真7ー①~38
今日のメイン
①朝、合肥から南京へ
②9時から南京見学
1 起床(5:00)、出発(6:40)
(1)合肥万达威斯汀酒店(THE WESTIN)をチェックアウトし、出発(6:40)。
(2)毛先生は合肥空港から北京へ行くためここで別れ、李君、李宏社長はその見送り
として1台の車に。
(3)南京へは坂和、員子、松本君、孫君の4人で一緒に移動するため、もう1台の車に。
(4)合肥駅へ到着(7:10)
駅構内にあるファーストフード店「八仙桥」にて朝の定食(ラーメンのようなもの)(50
~60元)を食べる(7:15~7:40)。松本君は睡眠不足で食べたくないらしく食べなか
った。
(5)心配していた台風による雨の心配は全くないようだ。しかもラッキーなことに台風の
せいか、気温が急に10度近く下がったため、真夏にしては涼しいくらい。南京は中国
でも1番暑い都市だし、今日は観光のため外を歩き回るから涼しいのはありがたい。
2 合肥から南京へ、列車(1等席、1人73元)で移動(所要時間1時間14
分)(写真7ー①)
「合肥」7:55発→「南京南」9:09着。
途中停止した駅は、「肥东」と「全椒」。
3 1日チャーター車の手配(9:35)
改札を出たところで、観光ガイドの女性からガイド+チャーター車を薦められる。そこ
で、4人がゆっくり乗れるワゴン車で、本来6時まで800元のところ、8時までで1000
元ということで契約。契約が成立し駅を出て待ったが、約1時間近く車が遅れた。これも
中国流か・・・?
4 南京見学その1 侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館(侵华日军南京大屠杀遇难同胞纪念馆)(11:05~12:15)
(1)ホテルに入る前に、侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館(侵华日军南京大屠杀遇
难同胞纪念馆)を見学することに(写真7ー②)。
(2)ここは、1937年12月に日本軍が南京に侵攻し南京城を占領した時の「30万人大
虐殺」を含む多くの悲劇を語りつぐための記念館。2007年12月改装工事を終え、3
倍の大きさになったとのこと。ここは愛国教育のため入場は無料だ。
(3)巨大な敷地の外側には壁に沿ってたくさんの像が置かれているが、これらはいずれ
も悲惨な目にあった中国人たちの姿(写真7ー③)。また構内に入ると、そこには遇难
者300000という数字が数カ所大きく書かれている(写真7ー④)。
(4)史料陈列厅の中に入ると、南京大虐殺の歴史を物語る数々の資料が展示されてい
る(写真7ー⑤)。「万人坑」遺跡には人骨を残したままの姿が(写真7ー⑥、⑦)。史
料陈列厅を出ると、そこには平和の塔が建つ広場があり、和平という文字が刻まれて
いたのが印象的だった(写真7ー⑧)。
(5)1時間あまりの見学で考えたことはいろいろあるが、書けばきりがないので、ここでは
一切ノーコメント。ただ、過去を学ぶことの必要性と、それを恨みつらみと受け止める
のではなく、未来への平和志向にしていくことの大切さを痛感。
5 チャーター車でホテルへ移動(12:35~12:50)
孫君が予約していた南京のホテル「蘇寧環球套房飯店」に到着。チェックイン(12:5
0~1:15)。今日はまともな昼食を省略して、観光に集中することに。
6 ホテルから総統府へ移動中に、裁判所(南京市中級人民法院)を発見。
その前で写真撮影 (写真7ー⑨)
7 南京見学その2 総統府見学(1:40~3:00)
チャーター車で総統府へ到着(写真7ー⑩)。
松本君は北京で毛先生と合流するため、ここで別れた。
(1)ここは1911年に辛亥革命を起こした孫文が、初代臨時大統領として1912年1月1
日に「中華民国」の建国を宣言した時に総統府を置いたところ。それ以外にも、以下の
とおり時代の流れの中で多くの権力者がここを政府の庁舎として使用してきた。
(2)すなわち、ここは、1853年に清国に抵抗して太平天国を起こした洪秀全が南京を
天京と改称するとともに、天王府を置いたところ(写真7ー⑪)。また清の時代は両江
(江南省(現江蘇省、安徽省)・江西省)の総督府が置かれたところ(写真7ー⑫)。大
統領の地位はその後、孫文から袁世凱に移ったため、孫文はわずか91日だけの大統
領に終わった。その後、北伐に成功した蒋介石が1927年3月に南京を首都と定め、こ
こに「国民政府」の看板が掲げられた。しかし1937年、日本軍が南京に侵攻し陥落す
ると、汪兆銘の日本「傀儡政府」が誕生した。1945年日本軍が降伏すると、1946年
蒋介石が南京に再入城を果たし、再び「国民政府」の看板が掲げられた。1948年に
蒋介石が中華民国総統に就任して再び「総統府」の看板が復活した。しかし1949年4
月23日に人民解放軍が南京を占領すると「総統府」の看板が下ろされ、中華民国の
「青天白日旗」から、中華人民共和国の「五星紅旗」にかわった。
(3)その広大な敷地にはさまざまな建物があり、太平天国に関する資料陳列館や中華
民国に関する資料陳列館がある。また、孫文の執務室、蒋介石の執務室(写真7ー
⑬)、さらに国務会議を行うための会議室や休憩室(写真7ー⑭)などがそのまま保管
されている。ちなみに私にとって最も印象的だったのは、「天下為公」の文字の下、国
父孫文を中心に多くの革命家たちが従っている大きな絵だった(写真7ー⑮)。
(4)チャーター車で移動(3:00~3:20)。
8 南京見学その3 中山陵(3:20~5:05)
(1)中山陵の陵園
中山陵は孫文の陵墓で、孫文の遺体は南京市の中心部から北東に位置する広大な
紫金山という山の奥の祭堂にある。チャーター車は中山陵のふもとまでしか行けず、そ
こからは70人くらいを乗せて引っ張る電動の車で陵墓のふもとまで行くことに(写真7
ー⑯)。
三民主義(民族主義・民権主義・民生主義)を唱えた孫文を祭る陵園の入口には「天
下為公」の言葉が掲げられている。また、青い瓦屋根と白い壁は中華民国の国旗、青
天白日旗の青天白日を表している(写真7ー⑰)。
(2)中山陵の祭堂、墓室
中山陵と聞くと小高い丘をイメージするが、はるか上に仰ぎ見る陵墓までの階段は
392段もあるそうで、こりゃかなりの高さ。足の弱い人はとても上れない高さだ(写真7
ー⑱、⑲)。この階段を汗をかきかき上っていくと、上の祭堂の入口には民族、民生、
民権の文字があり(写真7ー⑳)、中には孫文の像があった(写真7ー21)。もっとも、
これは05年3月の台湾旅行の際に見学した台北の中正紀念堂で見た蒋介石の巨大
なブロンズ像に比べるとかなり小さかったのが印象的。また、像のある建物内から出る
と、すぐ隣に孫文の死体を安置した墓室があるが、その中には入れない。しかし、その
中をカメラで撮影している写真を2元払うと双眼鏡のようなものを通して見ることができ
るというので、それにチャレンジ。わずか1分ほどで写真も5枚ほどだが、なるほど、な
るほど(写真7ー22、23)。
9 途中、車の中から城門を撮影
(1)ガイド本によると南京には明の時代に築かれた巨大な城壁の門として中華門が有名
だが、これは一瞬見ればそれで終わり。他方、南京は昔城壁で囲まれていたが、そ
れが数々の戦乱で壊されたのは当然。したがって、残っている城壁や門はそれなりの
価値がある。
(2)しかして、車で移動中に見えた城壁や門を瞬間的に撮影!(写真7ー25)
10 南京見学その4 夫子廟(夫子庙)(5:40~6:50)
(1)夫子廟
夫子廟は南京市内の秦淮河北岸の貢院街に位置し、孔子を祭っているところ。
「夫子」はもともと儒学者に対する尊称で、孔夫子などと呼ばれていたこともあり、夫子
廟は、一般に孔子廟のことを意味する。
(2)孔子廟
まずは孔子を祭った孔子廟を見学。大成門を入るとすぐ孔子の像がある。胸の前で
左手を前に右手を後ろに両手を合わせているが、左手の4指は四書(「論語」「大学」
「中庸」「孟子」)のことを、右手の5指は五経(「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春
秋」)のことを意味していることをはじめて教えてもらった(写真7ー26~29)。
(3)江南貢院
続いて「江南貢院」へ。これは南宋の時代に、科挙の試験場としてつくられたもの
で、明の太祖朱元璋(しゅげんしょう)が首都を南京に定めてから、国レベルの科挙
の試験場として重要になった(写真7ー30)。ここには科挙の試験を合格した才人たち
の像がたくさん建てられている(写真7ー31)と共に、合格者の氏名が記載されてい
る。
(4)跨龙門
日本では登龍門という言葉が有名だが、ここには跨龙門があり、この龍を何回か跨
げばそれなりの功用があるらしい。書かれたとおり、最大の回数を跨いだから私にも
それなりの功用が・・・(写真7ー32)。
(5)書のプレゼント
門の側では名前の字をトップにすえた詩(?)を書いてくれる人がいて、孫君がこれ
をプレゼントしてくれた(写真7ー33)。
11 「夫子廟」の歩行者天国を散策
秦淮河には船着き場があり、たくさんの小船が浮かんでいた(写真7ー34)。文德桥
は夫子廟を流れる秦淮河に架かる橋。秦淮河の南側の岸には、龍が描かれている
「大照壁」がある(写真7ー35)。
12 「秦准人家」にて夕食(7:00~8:00)
(1)移動中に孫君が運転手に聞いたところ、夫子廟には秦淮河沿いで、劇を見ながら
南京名物の小吃料理を出してくれるおいしくて安い店があるとのことだった。たしかに、
そこには「品小吃、看皮影、賞夜景」という看板が(写真7ー36)。期待をしてその店に
入ったが、残念ながら満席。
(2)そこで隣の店へ。ここも南京小吃の店だが、秦淮河が見られないテーブル席しかな
かったのが残念。南京小吃はすべてセットになっており、約30種類の小吃が次々と出
てくるもので很好吃(写真7ー37)。しかも、3人で654元だから安いものだ。チャータ
ー車のラストが8時なので、8時前に夕食を終え、車に乗り込んでホテルへ(8:00~
8:45)。
13 蘇寧環球套房飯店へ戻るとハプニングが!(8:45~0:00)
(1)チェックインできてない??
部屋に入ってシャワーを浴び荷物を整理していると、孫君が大皿に載せたフルーツ
の盛り合わせを持って部屋に入ってきたのでビックリ。聞くところによると、何かの手違
いで孫君の部屋がチェックインできていなかったらしい。そこで窮余の策としてホテル側
が提案したのは、現在一部改修中のスイートルームである2522号室を提供するという
ことだったらしい。さらに、お詫びとして冷蔵庫内の飲み物は自由に飲んでもらっていい
と言われているらしい。
(2)スイートルームと交換!
それを受けての孫君の提案は、自分1人でそんな広い部屋に泊まっても仕方ないの
で、坂和夫妻の部屋と交換しようということ。「そりゃラッキー」と考え、部屋を交代した
が、2522号室は大きなリビングに、台所設備までついた立派なスイートルームだっ
た。もっとも、改修中のためスリッパがない、一部の内線電話がつながらないなど若干
の不備はあったが、普通なら一切使用しない部屋の冷蔵庫内からビールやコーラを出
し、豪華なフルーツを食べながらリビングのソファに座って3人で談笑(写真7ー38)。
(3)話は尽きなかったが・・・
明日は午前中引き続き南京市内の見学をした後、日本の新幹線に相当する高速鉄
道の特等席(商务座)に乗って、上海に戻ることになっているため、今日までの旅を振り
返りながらいろいろと話が広がった。話はいつまでも尽きなかったが、ほどほどの時間
でお開きに。私はシャワーだけで十分だが、員子はスイートルームの豪華な湯船につ
かって、ゆっくり疲れを癒すことに。
(はじめに)
(1日目旅行記)2012(平成24)年8月16日
(2日目旅行記)2012(平成24)年8月17日
(3日目旅行記)2012(平成24)年8月18日
(4日目旅行記)2012(平成24)年8月19日
(5日目旅行記)2012(平成24)年8月20日
(6日目旅行記)2012(平成24)年8月21日
(7日目旅行記)2012(平成24)年8月22日 この記事
(8日目旅行記)2012(平成24)年8月23日
(9日目旅行記)2012(平成24)年8月24日
2012(平成24)年8月22日(水) ⇒ 写真7ー①~38
今日のメイン
①朝、合肥から南京へ
②9時から南京見学
1 起床(5:00)、出発(6:40)
(1)合肥万达威斯汀酒店(THE WESTIN)をチェックアウトし、出発(6:40)。
(2)毛先生は合肥空港から北京へ行くためここで別れ、李君、李宏社長はその見送り
として1台の車に。
(3)南京へは坂和、員子、松本君、孫君の4人で一緒に移動するため、もう1台の車に。
(4)合肥駅へ到着(7:10)
駅構内にあるファーストフード店「八仙桥」にて朝の定食(ラーメンのようなもの)(50
~60元)を食べる(7:15~7:40)。松本君は睡眠不足で食べたくないらしく食べなか
った。
(5)心配していた台風による雨の心配は全くないようだ。しかもラッキーなことに台風の
せいか、気温が急に10度近く下がったため、真夏にしては涼しいくらい。南京は中国
でも1番暑い都市だし、今日は観光のため外を歩き回るから涼しいのはありがたい。
2 合肥から南京へ、列車(1等席、1人73元)で移動(所要時間1時間14
分)(写真7ー①)
「合肥」7:55発→「南京南」9:09着。
途中停止した駅は、「肥东」と「全椒」。
3 1日チャーター車の手配(9:35)
改札を出たところで、観光ガイドの女性からガイド+チャーター車を薦められる。そこ
で、4人がゆっくり乗れるワゴン車で、本来6時まで800元のところ、8時までで1000
元ということで契約。契約が成立し駅を出て待ったが、約1時間近く車が遅れた。これも
中国流か・・・?
4 南京見学その1 侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館(侵华日军南京大屠杀遇难同胞纪念馆)(11:05~12:15)
(1)ホテルに入る前に、侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館(侵华日军南京大屠杀遇
难同胞纪念馆)を見学することに(写真7ー②)。
(2)ここは、1937年12月に日本軍が南京に侵攻し南京城を占領した時の「30万人大
虐殺」を含む多くの悲劇を語りつぐための記念館。2007年12月改装工事を終え、3
倍の大きさになったとのこと。ここは愛国教育のため入場は無料だ。
(3)巨大な敷地の外側には壁に沿ってたくさんの像が置かれているが、これらはいずれ
も悲惨な目にあった中国人たちの姿(写真7ー③)。また構内に入ると、そこには遇难
者300000という数字が数カ所大きく書かれている(写真7ー④)。
(4)史料陈列厅の中に入ると、南京大虐殺の歴史を物語る数々の資料が展示されてい
る(写真7ー⑤)。「万人坑」遺跡には人骨を残したままの姿が(写真7ー⑥、⑦)。史
料陈列厅を出ると、そこには平和の塔が建つ広場があり、和平という文字が刻まれて
いたのが印象的だった(写真7ー⑧)。
(5)1時間あまりの見学で考えたことはいろいろあるが、書けばきりがないので、ここでは
一切ノーコメント。ただ、過去を学ぶことの必要性と、それを恨みつらみと受け止める
のではなく、未来への平和志向にしていくことの大切さを痛感。
5 チャーター車でホテルへ移動(12:35~12:50)
孫君が予約していた南京のホテル「蘇寧環球套房飯店」に到着。チェックイン(12:5
0~1:15)。今日はまともな昼食を省略して、観光に集中することに。
6 ホテルから総統府へ移動中に、裁判所(南京市中級人民法院)を発見。
その前で写真撮影 (写真7ー⑨)
7 南京見学その2 総統府見学(1:40~3:00)
チャーター車で総統府へ到着(写真7ー⑩)。
松本君は北京で毛先生と合流するため、ここで別れた。
(1)ここは1911年に辛亥革命を起こした孫文が、初代臨時大統領として1912年1月1
日に「中華民国」の建国を宣言した時に総統府を置いたところ。それ以外にも、以下の
とおり時代の流れの中で多くの権力者がここを政府の庁舎として使用してきた。
(2)すなわち、ここは、1853年に清国に抵抗して太平天国を起こした洪秀全が南京を
天京と改称するとともに、天王府を置いたところ(写真7ー⑪)。また清の時代は両江
(江南省(現江蘇省、安徽省)・江西省)の総督府が置かれたところ(写真7ー⑫)。大
統領の地位はその後、孫文から袁世凱に移ったため、孫文はわずか91日だけの大統
領に終わった。その後、北伐に成功した蒋介石が1927年3月に南京を首都と定め、こ
こに「国民政府」の看板が掲げられた。しかし1937年、日本軍が南京に侵攻し陥落す
ると、汪兆銘の日本「傀儡政府」が誕生した。1945年日本軍が降伏すると、1946年
蒋介石が南京に再入城を果たし、再び「国民政府」の看板が掲げられた。1948年に
蒋介石が中華民国総統に就任して再び「総統府」の看板が復活した。しかし1949年4
月23日に人民解放軍が南京を占領すると「総統府」の看板が下ろされ、中華民国の
「青天白日旗」から、中華人民共和国の「五星紅旗」にかわった。
(3)その広大な敷地にはさまざまな建物があり、太平天国に関する資料陳列館や中華
民国に関する資料陳列館がある。また、孫文の執務室、蒋介石の執務室(写真7ー
⑬)、さらに国務会議を行うための会議室や休憩室(写真7ー⑭)などがそのまま保管
されている。ちなみに私にとって最も印象的だったのは、「天下為公」の文字の下、国
父孫文を中心に多くの革命家たちが従っている大きな絵だった(写真7ー⑮)。
(4)チャーター車で移動(3:00~3:20)。
8 南京見学その3 中山陵(3:20~5:05)
(1)中山陵の陵園
中山陵は孫文の陵墓で、孫文の遺体は南京市の中心部から北東に位置する広大な
紫金山という山の奥の祭堂にある。チャーター車は中山陵のふもとまでしか行けず、そ
こからは70人くらいを乗せて引っ張る電動の車で陵墓のふもとまで行くことに(写真7
ー⑯)。
三民主義(民族主義・民権主義・民生主義)を唱えた孫文を祭る陵園の入口には「天
下為公」の言葉が掲げられている。また、青い瓦屋根と白い壁は中華民国の国旗、青
天白日旗の青天白日を表している(写真7ー⑰)。
(2)中山陵の祭堂、墓室
中山陵と聞くと小高い丘をイメージするが、はるか上に仰ぎ見る陵墓までの階段は
392段もあるそうで、こりゃかなりの高さ。足の弱い人はとても上れない高さだ(写真7
ー⑱、⑲)。この階段を汗をかきかき上っていくと、上の祭堂の入口には民族、民生、
民権の文字があり(写真7ー⑳)、中には孫文の像があった(写真7ー21)。もっとも、
これは05年3月の台湾旅行の際に見学した台北の中正紀念堂で見た蒋介石の巨大
なブロンズ像に比べるとかなり小さかったのが印象的。また、像のある建物内から出る
と、すぐ隣に孫文の死体を安置した墓室があるが、その中には入れない。しかし、その
中をカメラで撮影している写真を2元払うと双眼鏡のようなものを通して見ることができ
るというので、それにチャレンジ。わずか1分ほどで写真も5枚ほどだが、なるほど、な
るほど(写真7ー22、23)。
9 途中、車の中から城門を撮影
(1)ガイド本によると南京には明の時代に築かれた巨大な城壁の門として中華門が有名
だが、これは一瞬見ればそれで終わり。他方、南京は昔城壁で囲まれていたが、そ
れが数々の戦乱で壊されたのは当然。したがって、残っている城壁や門はそれなりの
価値がある。
(2)しかして、車で移動中に見えた城壁や門を瞬間的に撮影!(写真7ー25)
10 南京見学その4 夫子廟(夫子庙)(5:40~6:50)
(1)夫子廟
夫子廟は南京市内の秦淮河北岸の貢院街に位置し、孔子を祭っているところ。
「夫子」はもともと儒学者に対する尊称で、孔夫子などと呼ばれていたこともあり、夫子
廟は、一般に孔子廟のことを意味する。
(2)孔子廟
まずは孔子を祭った孔子廟を見学。大成門を入るとすぐ孔子の像がある。胸の前で
左手を前に右手を後ろに両手を合わせているが、左手の4指は四書(「論語」「大学」
「中庸」「孟子」)のことを、右手の5指は五経(「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春
秋」)のことを意味していることをはじめて教えてもらった(写真7ー26~29)。
(3)江南貢院
続いて「江南貢院」へ。これは南宋の時代に、科挙の試験場としてつくられたもの
で、明の太祖朱元璋(しゅげんしょう)が首都を南京に定めてから、国レベルの科挙
の試験場として重要になった(写真7ー30)。ここには科挙の試験を合格した才人たち
の像がたくさん建てられている(写真7ー31)と共に、合格者の氏名が記載されてい
る。
(4)跨龙門
日本では登龍門という言葉が有名だが、ここには跨龙門があり、この龍を何回か跨
げばそれなりの功用があるらしい。書かれたとおり、最大の回数を跨いだから私にも
それなりの功用が・・・(写真7ー32)。
(5)書のプレゼント
門の側では名前の字をトップにすえた詩(?)を書いてくれる人がいて、孫君がこれ
をプレゼントしてくれた(写真7ー33)。
11 「夫子廟」の歩行者天国を散策
秦淮河には船着き場があり、たくさんの小船が浮かんでいた(写真7ー34)。文德桥
は夫子廟を流れる秦淮河に架かる橋。秦淮河の南側の岸には、龍が描かれている
「大照壁」がある(写真7ー35)。
12 「秦准人家」にて夕食(7:00~8:00)
(1)移動中に孫君が運転手に聞いたところ、夫子廟には秦淮河沿いで、劇を見ながら
南京名物の小吃料理を出してくれるおいしくて安い店があるとのことだった。たしかに、
そこには「品小吃、看皮影、賞夜景」という看板が(写真7ー36)。期待をしてその店に
入ったが、残念ながら満席。
(2)そこで隣の店へ。ここも南京小吃の店だが、秦淮河が見られないテーブル席しかな
かったのが残念。南京小吃はすべてセットになっており、約30種類の小吃が次々と出
てくるもので很好吃(写真7ー37)。しかも、3人で654元だから安いものだ。チャータ
ー車のラストが8時なので、8時前に夕食を終え、車に乗り込んでホテルへ(8:00~
8:45)。
13 蘇寧環球套房飯店へ戻るとハプニングが!(8:45~0:00)
(1)チェックインできてない??
部屋に入ってシャワーを浴び荷物を整理していると、孫君が大皿に載せたフルーツ
の盛り合わせを持って部屋に入ってきたのでビックリ。聞くところによると、何かの手違
いで孫君の部屋がチェックインできていなかったらしい。そこで窮余の策としてホテル側
が提案したのは、現在一部改修中のスイートルームである2522号室を提供するという
ことだったらしい。さらに、お詫びとして冷蔵庫内の飲み物は自由に飲んでもらっていい
と言われているらしい。
(2)スイートルームと交換!
それを受けての孫君の提案は、自分1人でそんな広い部屋に泊まっても仕方ないの
で、坂和夫妻の部屋と交換しようということ。「そりゃラッキー」と考え、部屋を交代した
が、2522号室は大きなリビングに、台所設備までついた立派なスイートルームだっ
た。もっとも、改修中のためスリッパがない、一部の内線電話がつながらないなど若干
の不備はあったが、普通なら一切使用しない部屋の冷蔵庫内からビールやコーラを出
し、豪華なフルーツを食べながらリビングのソファに座って3人で談笑(写真7ー38)。
(3)話は尽きなかったが・・・
明日は午前中引き続き南京市内の見学をした後、日本の新幹線に相当する高速鉄
道の特等席(商务座)に乗って、上海に戻ることになっているため、今日までの旅を振り
返りながらいろいろと話が広がった。話はいつまでも尽きなかったが、ほどほどの時間
でお開きに。私はシャワーだけで十分だが、員子はスイートルームの豪華な湯船につ
かって、ゆっくり疲れを癒すことに。
by sakawa-ryokou
| 2012-09-04 17:49
| 海外旅行(中国)