2012年 08月 16日
上海旅行記 2011年11月 [2日目] |
[旅行日程メモ]
(はじめに)
(1日目旅行記)2011(平成23)年11月3日
(2日目旅行記)2011(平成23)年11月4日 この記事
(3日目旅行記)2011(平成23)年11月5日
(4日目旅行記)2011(平成23)年11月6日
2011(平成23)年11月4日(金) ⇒ 写真2ー①~26
1 起床(7:00)、朝食(7:20~8:00)
7時に起床し、豪華なバイキングの朝食をタップリと(写真2ー①)。その後、26階にあるフィットネスクラブを見学。ここには大きなプールとフィットネス施設とサウナがある。日本のホテルでは宿泊客がフィットネスを使うのに利用料をとることが多いが、それを聞くと、ここは「すべて無料」とのこと。昨日は足ツボマッサージをしたが、立派なホテルの立派なサウナに入れるのなら、それで十分。夜は11時までオーケーと言うから、今夜は必ずこのサウナに入らなければ。
2 同済大学へ(9:30~10:10)
同済大学の訪問は、毛先生が同済大学の国際文化交流学院から、今後何らかの協力をしてもらいたいとの要請を受けたことによるものらしい。私は同済大学の名前を聞いたことはなかったが、調べてみるとかなり伝統のある名門大学で、場所は上海市四平路1239号、つまりホテルから黄浦江を浦西に渡って北に上がったところにある(写真2ー②、③)。9:30にロビーに集合し、4人でタクシーに乗っていくと時間にして約40分、料金は45元(約700円)。校門をくぐっていくと、すぐ近くに国際文化交流学院があった(写真2ー④)。
3 会議室で話(10:30~:11:20)
1)私たち4人は10:30に同済大学国際交流学院の会議室に入り、名刺交換をした後、まずは毛先生の著書や私の著書を贈呈しながら互いに自己紹介。こんな時『取景中国』という中国語の本があると便利だ(写真2ー⑤、⑥、⑦)。
2)それが一段落すると、今度は少し改まって陳強国際文化交流学院長から同済大学と国際文化交流学院の概要が紹介された。その概要は次のとおり。
①同済大学はドイツ人が中心となって作られ、104年の歴史がある。
②当初はドイツ語と医学、1949年までに文学、そして1952年に建築、土木が中心になった。そして医学は武漢へ、法学は交通大学へ移り、同済大学に残ったのは建築と土木。
③1978年に同済大学は大きく変身し、農業と軍事以外すべて30以上の学院ができた。
④現在教職員6000名、学生5万5000人。ここがメインキャンパスで郊外にもある。進んでいる科目は、建築と土木。
⑤国際交流学院は1998年に設立され、学生は100以上の国から集まっている。日本人留学生も多い。春、秋2回に分けて学生を募集する。
⑥400弱ある孔子学院ともコラボを組んでいる。国際交流学院の職員は40名くらいで、学生は600名。
3)概要の説明を終えた後、なごやかな雰囲気の中で質疑応答が続き、最後には陳強院長から同済大学の青花瓦が私たちに贈呈された。これは美しい青翠でつくられたブックマーカーとキーホルダーだったので、大切に事務所で使いたい。
4 会議室から大学内レストランへ構内を散策しながら移動(約10分)
公式の話し合いが終わると、陳強院長主催の昼食会に向けて構内を散策しながら大学内のレストランへ移動。中国の大学はどこもとにかく広いから、この移動だけで約10分かかった。途中運河や川があり、その浮島には白い鳥が浮かんでいた(写真2ー⑧、⑨)。そこで「あれは白鳥か鴨か」、と議論になったが、実はがちょうとのこと。昨日「今一靚湯」で北京ダックに似た肉を食べたが、どうもそれががちょうの肉だったらしい。
5 昼食(11:30~1:20)陳強院長主催の昼食会(写真2ー⑩、⑪)
構内にある立派なレストラン棟(?)3階の個室に集合したのは、陳強院長以下合計9名(陳強院長、毛丹青夫妻、程曄副院長、楊さん、朱さん、張さん、坂和夫婦)。丸テーブルに次々と並ぶおいしい料理を食べ、ビールを飲みながら(特に私だけが)さまざまな情報交換と楽しい会話がはずんだが、残念ながら私の中国語能力ではほとんど理解できなかった。毛先生の通訳と関西学院大学と関西大学に98年から05年まで留学した経験のある程曄副院長の通訳によって何とか会話に参加できたが、もっと中国語の勉強をしなければと痛感!
6 タクシーで上海市南绍兴路74号の上海文芸出版社へ(1:20~1:50)
昼食を終え、同済大学の皆さんに別れを告げた後は、今回の上海旅行の主たるテーマである上海文芸出版社での打ち合わせに臨むべくタクシーで上海文芸出版社へ。車中では、今後きっと毛先生と同済大学との関係が密接になっていくはずだから、私の出版物の発表会と講演会を兼ねて同済大学でやろうというアイデアを話し合った。私の最初の中国語の本である『取景中国 跟着电影去旅行』は09年夏に上海展覧中心で開催された「上海ブックフェア」で発表されたが、2冊目の中国語本の発表はいつ、どこで?
7 上海文芸出版社で打ち合わせ(2:30~3:30)
1)お馴染みの南绍兴路にある上海文芸出版社に到着すると、そこには「最新消息」として莫言の『蛙』が中国の第8回茅盾文学賞を受賞したことを知らせる看板が立てられていた(写真2ー⑫)。日本では「これは禁書だ」、「現代中国根源の禁忌に莫言が挑む」と宣伝されている、「アジアで最もノーベル文学賞に近い」と言われている作家・莫言の最新作『蛙鳴』はかなりの大作で読むのにひと苦労だったが、そりゃものすごい世界観が描かれた傑作だから、ぜひ御一読を。
2)打ち合わせの参加者は、毛丹青、夏青根社長、王剛(編集)、王伟(写真・デザイン)、曹元勇(編集員)、坂和夫婦の7名(写真2ー⑬)。中国語に翻訳された『名作映画には「生きるヒント」がいっぱい!』のゲラはすでに完成し、各映画の画像も挿入されていたが、日本語版より版が大きくかつ字が小さいため、ページ数を増やす必要があるらしい。そこで相談されたのは、7月26日に実施された莫言VS坂和対談の内容を盛り込むことと、毛丹青VS坂和対談を入れること。莫言VS坂和対談の様子は、事前に準備した各種レジメとテープ起こしした対談をまとめたものをホームページに公表しているから、これをうまく利用すれば使うことができる。また、毛丹青VS坂和対談は、きっと今回の上海旅行中に実現できるはずだ。
8 モデル役になっての绍兴路散策
09年に出版した『取景中国 跟着电影去旅行』に使用する写真については、北京では女性カメラマンの佐渡多真子さんに、上海の田子坊では陸震偉さんに撮ってもらった。そして、『取景中国』では1頁目に陸震偉さんの写真を、2頁目には佐渡多真子③の写真を、そして『シネマルーム23』では陸震偉さんの写真を使用した。しかして、今回のカメラマンは王伟さん。そこで、編集方針打ち合わせの合間に、私たち夫婦と王伟さんは外へ出て写真撮影に。私は微笑みながら王伟さんの指示通りに绍兴路をゆっくり歩いたり、道路上や書店の前でポーズをとったりと、慣れてきた(?)モデルの役割をしっかりと。『名作映画には「生きるヒント」がいっぱい!』で、これらの写真がどのように使われるか楽しみだ(写真2ー⑭、⑮、⑯、⑰)。
9 社長室で、編集・デザインの打ち合わせ(3:30~4:00)
写真撮影を終了した後は、夏青根社長、王伟さん、毛先生に私たち夫婦の5人で社長室(編集長室)に入り、編集とデザインの打ち合わせ(写真2ー⑱、⑲)。王伟さんのパソコンには『名作映画には「生きるヒント」がいっぱい!』の本文と画像がすべて入っているから、それを見ながらの打ち合わせになった。そのポイントは、王伟さんが入手した画像で私が日本で見たことのないもののチェックと、中国では馴染みの少ない邦画の画像のチェック。『名作映画には「生きるヒント」がいっぱい!』に収録されている50本の映画すべてについてその作業をやったから30分以上かかったが、充実した打ち合わせをすることができた。これから数カ月後、この作業がどんな形で実を結ぶか、大いに楽しみだ。
10 喫茶店でひと休み(4:00~5:30)
绍兴路にある上海文芸出版社のすぐ近くには、「漢源書屋」という有名かつ一風変わった喫茶店がある(写真2ー⑳、21)。ここのオーナーは、何十年も前から上海のまちを航空機で写真撮影し、それを1冊の本にまとめた地元の有力者とのこと。また、アメリカのビル・クリントン大統領が大統領在職中にこの喫茶店を訪れたことがあるとのことで、店の中にはその写真が飾られていた。毛先生と私たち夫婦は夏社長の仕事が終わるまでの時間待ちを兼ねて、この喫茶店でいろいろな打ち合わせをすることに。とは言っても時間があると毛先生はすぐにアイパッドに手がいくから、話は必然的にその方向に。また、この自由な時間を利用して私は事務所への事務連絡や東京で動いている案件について事務連絡をすることに。
11 夕食(6:00~8:30)
上海文芸出版社で毛先生と一緒に夏青根社長と打ち合わせをした日の晩は、必ず夏社長主催の夕食会。何度か上海に来ている間にそんなイメージが私の中に定着していたが、そのイメージ通り、本日の夜は夏社長主催の夕食会となった。参加者は夏社長、毛丹青夫妻、蘇靖(華東理工大学の出版社の担当者)、坂和夫婦の他、「アエラ」に登場したアイドルスター郭敬明氏をマネジメントしている会社ZUIの美人副社長陳佳を含む計7名。場所は「圓苑」という一流のレストランだ(写真2ー22)。
3日の「今一靚湯」での夕食も、今日の同済大学での昼食もおいしかったが、さすがに上海の高級レストランの中華料理は格別。夏社長が次々と注文してくれる高級食材の味に舌鼓を(写真2ー23)。そして、食事が終わる頃には、毛先生や夏社長そして陳佳副社長を囲んだ写真撮影会の様相に(写真2ー24、25、26)。
12 ホテルに戻り、26階フィットネスクラブのサウナへ(9:30~10:30)
お腹がいっぱいかつホロ酔い気分で部屋に戻った後は、約1時間のサウナタイムに。今朝視察をした26階にあるフィットネスクラブの受付でルームナンバーを言ってロッカーキーをもらったが、サウナ室の位置がわからず、再度受付に戻って確認。すると、運動のためのマシーンは26階にあるが、眼下に見えるプールは実質25階で、サウナやフロもそのフロアにあるらしい。私は大阪の一流ホテルのフィットネスクラブはいくつも体験しているが、それに比べてもこのホテルのプールを含むフィットネスクラブの設備は一流。日本のようにズラリと並んだ「洗い場」がないのは当然だが、それに代わって、1人1人に区切られ、入口にはイスまで置いてある大きなシャワールームがある。そのうえ、大きな浴槽や水風呂もあった。
たまたま私が入った時、男性用は数人の子供たちや2人組の西洋人が入っていたが、女性用は妻1人だけだったらしい。毎日でもサウナに入りたい私は、上海に来てこんな豪華なサウナにゆっくり入れたことに大満足。これで今日はゆっくり眠れること間違いなし。明日もまた必ずここに来なければ。
13 部屋に戻り就寝(0:00)
(はじめに)
(1日目旅行記)2011(平成23)年11月3日
(2日目旅行記)2011(平成23)年11月4日 この記事
(3日目旅行記)2011(平成23)年11月5日
(4日目旅行記)2011(平成23)年11月6日
2011(平成23)年11月4日(金) ⇒ 写真2ー①~26
1 起床(7:00)、朝食(7:20~8:00)
7時に起床し、豪華なバイキングの朝食をタップリと(写真2ー①)。その後、26階にあるフィットネスクラブを見学。ここには大きなプールとフィットネス施設とサウナがある。日本のホテルでは宿泊客がフィットネスを使うのに利用料をとることが多いが、それを聞くと、ここは「すべて無料」とのこと。昨日は足ツボマッサージをしたが、立派なホテルの立派なサウナに入れるのなら、それで十分。夜は11時までオーケーと言うから、今夜は必ずこのサウナに入らなければ。
2 同済大学へ(9:30~10:10)
同済大学の訪問は、毛先生が同済大学の国際文化交流学院から、今後何らかの協力をしてもらいたいとの要請を受けたことによるものらしい。私は同済大学の名前を聞いたことはなかったが、調べてみるとかなり伝統のある名門大学で、場所は上海市四平路1239号、つまりホテルから黄浦江を浦西に渡って北に上がったところにある(写真2ー②、③)。9:30にロビーに集合し、4人でタクシーに乗っていくと時間にして約40分、料金は45元(約700円)。校門をくぐっていくと、すぐ近くに国際文化交流学院があった(写真2ー④)。
3 会議室で話(10:30~:11:20)
1)私たち4人は10:30に同済大学国際交流学院の会議室に入り、名刺交換をした後、まずは毛先生の著書や私の著書を贈呈しながら互いに自己紹介。こんな時『取景中国』という中国語の本があると便利だ(写真2ー⑤、⑥、⑦)。
2)それが一段落すると、今度は少し改まって陳強国際文化交流学院長から同済大学と国際文化交流学院の概要が紹介された。その概要は次のとおり。
①同済大学はドイツ人が中心となって作られ、104年の歴史がある。
②当初はドイツ語と医学、1949年までに文学、そして1952年に建築、土木が中心になった。そして医学は武漢へ、法学は交通大学へ移り、同済大学に残ったのは建築と土木。
③1978年に同済大学は大きく変身し、農業と軍事以外すべて30以上の学院ができた。
④現在教職員6000名、学生5万5000人。ここがメインキャンパスで郊外にもある。進んでいる科目は、建築と土木。
⑤国際交流学院は1998年に設立され、学生は100以上の国から集まっている。日本人留学生も多い。春、秋2回に分けて学生を募集する。
⑥400弱ある孔子学院ともコラボを組んでいる。国際交流学院の職員は40名くらいで、学生は600名。
3)概要の説明を終えた後、なごやかな雰囲気の中で質疑応答が続き、最後には陳強院長から同済大学の青花瓦が私たちに贈呈された。これは美しい青翠でつくられたブックマーカーとキーホルダーだったので、大切に事務所で使いたい。
4 会議室から大学内レストランへ構内を散策しながら移動(約10分)
公式の話し合いが終わると、陳強院長主催の昼食会に向けて構内を散策しながら大学内のレストランへ移動。中国の大学はどこもとにかく広いから、この移動だけで約10分かかった。途中運河や川があり、その浮島には白い鳥が浮かんでいた(写真2ー⑧、⑨)。そこで「あれは白鳥か鴨か」、と議論になったが、実はがちょうとのこと。昨日「今一靚湯」で北京ダックに似た肉を食べたが、どうもそれががちょうの肉だったらしい。
5 昼食(11:30~1:20)陳強院長主催の昼食会(写真2ー⑩、⑪)
構内にある立派なレストラン棟(?)3階の個室に集合したのは、陳強院長以下合計9名(陳強院長、毛丹青夫妻、程曄副院長、楊さん、朱さん、張さん、坂和夫婦)。丸テーブルに次々と並ぶおいしい料理を食べ、ビールを飲みながら(特に私だけが)さまざまな情報交換と楽しい会話がはずんだが、残念ながら私の中国語能力ではほとんど理解できなかった。毛先生の通訳と関西学院大学と関西大学に98年から05年まで留学した経験のある程曄副院長の通訳によって何とか会話に参加できたが、もっと中国語の勉強をしなければと痛感!
6 タクシーで上海市南绍兴路74号の上海文芸出版社へ(1:20~1:50)
昼食を終え、同済大学の皆さんに別れを告げた後は、今回の上海旅行の主たるテーマである上海文芸出版社での打ち合わせに臨むべくタクシーで上海文芸出版社へ。車中では、今後きっと毛先生と同済大学との関係が密接になっていくはずだから、私の出版物の発表会と講演会を兼ねて同済大学でやろうというアイデアを話し合った。私の最初の中国語の本である『取景中国 跟着电影去旅行』は09年夏に上海展覧中心で開催された「上海ブックフェア」で発表されたが、2冊目の中国語本の発表はいつ、どこで?
7 上海文芸出版社で打ち合わせ(2:30~3:30)
1)お馴染みの南绍兴路にある上海文芸出版社に到着すると、そこには「最新消息」として莫言の『蛙』が中国の第8回茅盾文学賞を受賞したことを知らせる看板が立てられていた(写真2ー⑫)。日本では「これは禁書だ」、「現代中国根源の禁忌に莫言が挑む」と宣伝されている、「アジアで最もノーベル文学賞に近い」と言われている作家・莫言の最新作『蛙鳴』はかなりの大作で読むのにひと苦労だったが、そりゃものすごい世界観が描かれた傑作だから、ぜひ御一読を。
2)打ち合わせの参加者は、毛丹青、夏青根社長、王剛(編集)、王伟(写真・デザイン)、曹元勇(編集員)、坂和夫婦の7名(写真2ー⑬)。中国語に翻訳された『名作映画には「生きるヒント」がいっぱい!』のゲラはすでに完成し、各映画の画像も挿入されていたが、日本語版より版が大きくかつ字が小さいため、ページ数を増やす必要があるらしい。そこで相談されたのは、7月26日に実施された莫言VS坂和対談の内容を盛り込むことと、毛丹青VS坂和対談を入れること。莫言VS坂和対談の様子は、事前に準備した各種レジメとテープ起こしした対談をまとめたものをホームページに公表しているから、これをうまく利用すれば使うことができる。また、毛丹青VS坂和対談は、きっと今回の上海旅行中に実現できるはずだ。
8 モデル役になっての绍兴路散策
09年に出版した『取景中国 跟着电影去旅行』に使用する写真については、北京では女性カメラマンの佐渡多真子さんに、上海の田子坊では陸震偉さんに撮ってもらった。そして、『取景中国』では1頁目に陸震偉さんの写真を、2頁目には佐渡多真子③の写真を、そして『シネマルーム23』では陸震偉さんの写真を使用した。しかして、今回のカメラマンは王伟さん。そこで、編集方針打ち合わせの合間に、私たち夫婦と王伟さんは外へ出て写真撮影に。私は微笑みながら王伟さんの指示通りに绍兴路をゆっくり歩いたり、道路上や書店の前でポーズをとったりと、慣れてきた(?)モデルの役割をしっかりと。『名作映画には「生きるヒント」がいっぱい!』で、これらの写真がどのように使われるか楽しみだ(写真2ー⑭、⑮、⑯、⑰)。
9 社長室で、編集・デザインの打ち合わせ(3:30~4:00)
写真撮影を終了した後は、夏青根社長、王伟さん、毛先生に私たち夫婦の5人で社長室(編集長室)に入り、編集とデザインの打ち合わせ(写真2ー⑱、⑲)。王伟さんのパソコンには『名作映画には「生きるヒント」がいっぱい!』の本文と画像がすべて入っているから、それを見ながらの打ち合わせになった。そのポイントは、王伟さんが入手した画像で私が日本で見たことのないもののチェックと、中国では馴染みの少ない邦画の画像のチェック。『名作映画には「生きるヒント」がいっぱい!』に収録されている50本の映画すべてについてその作業をやったから30分以上かかったが、充実した打ち合わせをすることができた。これから数カ月後、この作業がどんな形で実を結ぶか、大いに楽しみだ。
10 喫茶店でひと休み(4:00~5:30)
绍兴路にある上海文芸出版社のすぐ近くには、「漢源書屋」という有名かつ一風変わった喫茶店がある(写真2ー⑳、21)。ここのオーナーは、何十年も前から上海のまちを航空機で写真撮影し、それを1冊の本にまとめた地元の有力者とのこと。また、アメリカのビル・クリントン大統領が大統領在職中にこの喫茶店を訪れたことがあるとのことで、店の中にはその写真が飾られていた。毛先生と私たち夫婦は夏社長の仕事が終わるまでの時間待ちを兼ねて、この喫茶店でいろいろな打ち合わせをすることに。とは言っても時間があると毛先生はすぐにアイパッドに手がいくから、話は必然的にその方向に。また、この自由な時間を利用して私は事務所への事務連絡や東京で動いている案件について事務連絡をすることに。
11 夕食(6:00~8:30)
上海文芸出版社で毛先生と一緒に夏青根社長と打ち合わせをした日の晩は、必ず夏社長主催の夕食会。何度か上海に来ている間にそんなイメージが私の中に定着していたが、そのイメージ通り、本日の夜は夏社長主催の夕食会となった。参加者は夏社長、毛丹青夫妻、蘇靖(華東理工大学の出版社の担当者)、坂和夫婦の他、「アエラ」に登場したアイドルスター郭敬明氏をマネジメントしている会社ZUIの美人副社長陳佳を含む計7名。場所は「圓苑」という一流のレストランだ(写真2ー22)。
3日の「今一靚湯」での夕食も、今日の同済大学での昼食もおいしかったが、さすがに上海の高級レストランの中華料理は格別。夏社長が次々と注文してくれる高級食材の味に舌鼓を(写真2ー23)。そして、食事が終わる頃には、毛先生や夏社長そして陳佳副社長を囲んだ写真撮影会の様相に(写真2ー24、25、26)。
12 ホテルに戻り、26階フィットネスクラブのサウナへ(9:30~10:30)
お腹がいっぱいかつホロ酔い気分で部屋に戻った後は、約1時間のサウナタイムに。今朝視察をした26階にあるフィットネスクラブの受付でルームナンバーを言ってロッカーキーをもらったが、サウナ室の位置がわからず、再度受付に戻って確認。すると、運動のためのマシーンは26階にあるが、眼下に見えるプールは実質25階で、サウナやフロもそのフロアにあるらしい。私は大阪の一流ホテルのフィットネスクラブはいくつも体験しているが、それに比べてもこのホテルのプールを含むフィットネスクラブの設備は一流。日本のようにズラリと並んだ「洗い場」がないのは当然だが、それに代わって、1人1人に区切られ、入口にはイスまで置いてある大きなシャワールームがある。そのうえ、大きな浴槽や水風呂もあった。
たまたま私が入った時、男性用は数人の子供たちや2人組の西洋人が入っていたが、女性用は妻1人だけだったらしい。毎日でもサウナに入りたい私は、上海に来てこんな豪華なサウナにゆっくり入れたことに大満足。これで今日はゆっくり眠れること間違いなし。明日もまた必ずここに来なければ。
13 部屋に戻り就寝(0:00)
by sakawa-ryokou
| 2012-08-16 11:12
| 海外旅行(中国)