2009年 10月 19日
上海旅行記 2009年9月 [4日目] |
[旅行日程メモ]
(はじめに)
(1日目旅行記) 2009(平成21)年9月17日
(2日目旅行記) 2009(平成21)年9月18日
(3日目旅行記) 2009(平成21)年9月19日
(4日目旅行記) 2009(平成21)年9月20日 この記事
(後記)
2009(平成21)年9月20日(日) ⇒ 写真4ー①~⑭(準備中)
1 起床(6:30)、朝食(7:00~7:40)
2 チェックアウト、沈亜明さんがお迎え(8:45~9:15)
今日は虹口地区を観光する予定だが、上海で海運会社を営んでいる友人の沈亜明さんが午前9時に迎えに来てくれることになっている。チェックアウトを済ませ、トランクをホテルに預け、少し早い目にロビーで待っていると、ドライバーと共に7人乗りのオデッセイで沈さんが到着。私たちはカメラなど手荷物だけ持って車内へ。今日も昨日に続いて快晴。快晴すぎて暑いくらいだが、今日は地図とガイド本だけを頼りに、魯迅公園周辺をしっかり見学しなければ。
3 虹口区観光(9:15~11:45)
(1)魯迅公園
虹口区は上海の北東、虹口足球場駅の周辺で、ここは魯迅公園が有名(写真4ー①)。魯迅公園は上海市内最大の公園だ。ここが魯迅に縁のある地であるため、かつての虹口公園から魯迅公園に名前が変わったらしい。私たちは魯迅公園の南側の入口から入ったが、公園内ではダンスや太極拳を楽しむ市民たちでいっぱい(写真4ー②)。また設置された大舞台では市民合唱団(?)が大きな声で練習しており、その観客もいっぱいだ。そんな様子を見ればここが多くの上海市民の憩いの場となっていることがよくわかる。
(2)上海魯迅記念館
虹口区には上海魯迅記念館があるため、ここは絶対見学しなければと計画していたが、公園内にある目の前に見る上海魯迅記念館はかなり立派なもの(写真4ー③)。上海魯迅記念館は1951年に開館し、1956年に現在の魯迅公園内に移設されたうえ、1999年に改築されて現在の2階建ての建物になったらしいが、入場料はタダ。もっとも、免費と書かれているチケットをもらって入ったから、もともとは入場料をとっていたのだろう。そう思って、帰国後ネットを調べてみるとそこでは入場料は大人8元と書かれていた。
それはともかく、1階ロビーの階段を上がると、2階の展覧ホールには「魯迅の一生の事跡」を示す6枚のパネルが展示されており、中国人ガイドが日本語で団体客に対して説明をしていた。しめしめ、昨日の豫園見学と同じく、このガイドについていけば魯迅記念館の説明はバッチリ。そう決め込んで、このガイドから着かず離れずの状態で約1時間しっかり魯迅の足跡を勉強することに(写真4ー④)。
魯迅(1881~1936年)が日本へ留学したのは1902年。もともと医学を志していた彼が、その後文学に転じたのは一体ナゼ?それが魯迅を語るうえでの最大のポイントだ。1909年に帰国した魯迅は日本人の内山完造との親交を深めながら、『阿Q正伝』をはじめとするさまざまな執筆活動を行いつつ、革命家としての危険な道も歩み始めた。私は魯迅の文学者としての側面しか知らなかったが、革命家としても多くの足跡を残してきたことがこの魯迅記念館を見てよくわかったのは大収穫。また魯迅が着ていた外套が展示されていたが、それを見ると魯迅がいかに小柄だったかがよくわかる。あの外套なら身長150cm程度の私の妻にピッタリ?
(3)魯迅の墓
次の目的は魯迅のお墓の見学。魯迅公園内を北に約5分歩くと、それがあった。お墓の前には座っている魯迅の銅像が置かれていた(写真4ー⑤)が、それをバックに写真を撮ればそれでおしまい。ちなみに、帰国後ネットを調べたところ、墓碑の揮毫は毛沢東によるものとのことだ。
(4)魯迅故居
魯迅故居は、魯迅公園南口を出てしばらく歩いたところにある。とはいっても、地図だけではなかなかわからなかったが、沈さんが道を尋ねてくれたため、スムーズに目的地に到着。魯迅故居は、山陰路を右に入った3階建てのアパート郡の一番奥にあった(写真4ー⑥、⑦)。魯迅故居という看板は出ているが、沈さんが確認したところ、何人か集まる団体ごとに見物客を入れ説明をしてくれるらしい。
建物がつくられたのは1931年、魯迅がここで過ごしたのは1933年から死亡する36年までの3年間とのことだ。レンガづくり3階建てのアパートの外観はとても立派だし、部屋の中に入ると天井も高い。当時としてはかなり立派な建物だったらしい。1階は手前が客間で、応接セット等が置かれている。その奥が食堂でさらにその奥が台所らしいが、これは公開されていない。階段を上ると中2階があり、バスタブや洗面台が完備された洋風の浴室がある。2階に上がってすぐの小さな部屋は物置とのこと。2階の奥が魯迅の書斎兼寝室で、机、本棚、小テーブル、ベッドが置かれている。3階は手前が客用の寝室で、ベッド、机、書棚が置かれ、書棚にはたくさんの本が。奥の広い部屋は子供部屋で、妻は子供と共にここで寝ていたとのことだ。
約15分間の見学だったが、魯迅の当時の生活を知ることができ、収穫は十分。
(5)多倫路文化名人街
魯迅故居を出て四川北路という大通りを沈さんの案内で南へ歩いていくと、右側に多倫路文化名人街という大きな門が見えた(写真4ー⑧)。ここから先が1998年に再開発されて多くの文化人たちの活動の記録が集約された多倫路文化名人街だ。もっとも、事前にきちんと資料で勉強していなかったため、「ここは昔の上海がいっぱい残っている」と聞かされていただけで、一体何があるのかよくわからないまま歩くことに。
門を入るとすぐ左手に上海多倫現代美術館があったが、現代アートはあまりわからないうえ時間的に余裕がないので前を素通り。タイル敷きの道は綺麗だし、左右に並んでいるたくさんの店も骨董品を売る店や古い喫茶店など珍しいものばかり。目についたのは、あちこちで俳優たちを集めて撮影していること。これから豪華な車に乗って新婚旅行に出かけようとしているシーンの撮影や、着飾った美人モデルがじっとポーズをとっている撮影風景など、まさにタイムスリップ感覚だ。一軒だけ骨董品の店に入ったが、そこには昔の時計やそろばんなどホントにいろいろな品物がいっぱい置かれていた。
途中右にカーブしているノスタルジーあふれる散歩道を歩き切るのに約20分。ちょうど昼食時となったので車で軽い昼食と、次の目的地である浦東(プートン)の名物、上海環球金融中心の見学に。
3 「喜扇」で昼食(12:20~13:15)
「軽く昼食を」と沈さんに言うと、沈さんが予約してくれたのが上海環球金融中心近くにある立派な建物の2階の日本料理店「喜扇」。虹口区からここまで車で約40分だが、途中抜けたトンネルは黄浦江の下を通っているトンネル。喜扇では軽く済ませるつもりだったが、軽くビールを飲みうどんと握りのセット(68元)、サーモンといくら丼セット(50元)、サーモンロールセット(45元)を注文し、美味しく食べていると、既に13時を過ぎていた。15時にはホテルに集合しなければならないので、上海環球金融中心の見学は約50分。上海環球金融中心の最上階まで登ると一人150元かかることもあり、どうしても行きたいというのは私と家内の2人だけ。そこで沈さんたちは近くの喫茶店で一休みすることとし、私たち2人だけ150元払って駆け足で上海環球金融中心の見学へ。
4 上海環球金融中心(上海ヒルズ)展望台へ(13:20~14:00)
下から見上げると、上部に小さな空洞を持った独特のフォルムをした上海環球金融中心は実に美しい(写真4ー⑨)。1階の入り口を入ると、展望台へのエントランスはB1階にあるらしい。エスカレーターで下っていくと、薄暗い雰囲気で構成されたそこはまるで異次元空間。チケットを購入し列に従って歩いていくと、入ったのが真ん中に大きなモニターのある小さな部屋。まさかこれがそのままエレベーターではないだろうと近くの人と話しながら待っていると、まずは3分間ほどモニターで上海環球金融中心の解説が。時間が気になる私たちは少しイライラしながらこれを見ていたが、解説が終わるといよいよエレベーターに分乗して上層階へ。その所要時間は約1分ほどだから、東京タワーのエレベーターと比べてそのスピードにビックリ。
スカイウォーク94、スカイウォーク97、スカイウォーク100と、展望台は3フロアに分かれており、474mのスカイウォーク100がもっとも値段の高い150元。まずは97階で降りてその展望台からの眺めに一驚きした後、スカイウォーク100までエスカレーターで昇ったが、時間を気にしている私たちはこのエスカレーターも小走りで。長方形の広々としたスカイウォーク100からの眺望は、まさに別世界(写真4ー⑩)。浦東地区にある何本もの超高層ビルが一望の下に見渡せるうえ(写真4ー⑪、⑫)、東方明珠電視塔さえ目の下に(写真4ー⑬)。車で走っている時ずっと見えていた赤い屋根のマンション群はホントにマッチ箱のよう(写真4ー⑭)。大きな驚きと感動の中で写真を撮りまくっていると既に帰りの時間が迫ってきたから急いでエレベーターに乗り込み、待ち合わせの14時に滑り込みセーフ。
5 上海環球金融中心からホテルへ(14:10~14:50)
上海環球金融中心の展望台からの見学が終わると、以上で午前9時から始まった今日の充実した観光はすべて終わり。あとは車に乗ってホテルへ帰るだけだ。お腹もいっぱいだし、朝から歩きづめの身体は疲れている。おまけに、当然ながらトンネルの中は渋滞気味。そのため運転手以外は全員うつらうつら状態だったから、約50分の車の中は疲労回復にピッタリ。ホテルの前でお世話になった沈さんと運転手にお礼を言って別れると、あとは預けていたトランクを受け取って空港へ送り届けてくれるJTBのバスを待つだけだ。
6 上海浦東国際空港へ(15:20~16:15)
ホテルから上海浦東国際空港へはバスで約1時間の予定。先月8月17日から20日に来た時、夏さんの車で毛さんも一緒に送ってもらった時と同じ風景が左右に広がっていたが、バスの上からだと少し視点が高いのでもっとわかりやすい。黄浦江にかかる橋を渡ると、左側にほぼ完成した2010年上海万博用の会場が姿をみせ、右側には工事に取りかかったばかりのもう1つの会場があった。これらが来年4月にはすべて完成しているわけだ。また、途中新たに大規模な道路工事をしている所があったのは8月と同じだったが、これも来年4月には完成しているはず。そんなことを考えながら風景をみていると、バスは予定どおり約1時間で上海浦東国際空港に到着。
7 上海浦東国際空港(18:20発ANA0154便)から関西国際空港(20:20着)(日本時間21:20着)へ
帰りの荷物は重い。トランクの重量制限は20kgと聞いていたが、ガイドの話によると団体の総枠で制限がかかるらしい。帰りはツアー客としては私たち一行を含めて6人だったので、6人合計で120kg。『取景中国』20冊とカメラ、ビデオの機材などが入った私のトランクが1番重く30kgを少し超えていたが、そんなわけで何とかセーフ。搭乗手続も出国手続もスイスイと進んだから、あとは搭乗口で待つだけだ。
そこでの待ち時間を有効活用できたのが、テレビでくり返しやっていた中国語学習のためのビデオ。これはインフルエンザの防止をテーマとした曲を練習させることによって中国語を覚えさせようとするものだが、初心者の私にはまるで早口言葉のよう。それでも少しずつわかる単語があるから、くり返し聞いているとリズム感は体得できるようになってくる。靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ、ストレッチ体操をしながらこれをくり返し見て発音練習をしていると大いに勉強になる。もっとも広いスペースで周りも空いているからいいようなものの、あまり目立つと「変なおっさんが・・・」と白い目で見られること間違いなし。
こんな形で時間待ちをしていると、あっという間に搭乗の時刻に。飛行機に乗って席に座れば、新聞各紙を読みビールとワインをたらふく飲み食事をすれば、2時間半で関西国際空港だ。
8 南海電車で自宅へ(23:00着)
中国から関西国際空港へ帰ってくるといつも思うのは、関西国際空港の小ささ。はじめて関西国際空港から韓国旅行に行った1998年には、何とでかい空港だろうとビックリしたが、北京首都国際空港や上海虹橋国際空港、上海浦東国際空港の広さに慣れてくると、その違いが歴然としてくる。ここまで国力の相違が顕著になっているのだから、いくら政権交代が実現しても彼我の力関係が大きく変わらないのは当たり前。そうは思いつつ、今回の上海旅行の間に鳩山民主党新政権がどんな動きをしたのかについて、今日(20日)の新聞だけではなくこの3日間の新聞5紙に目を通してきちんと分析しなければ。
明日21日から23日まではシルバーウィークと称する大型連休の後半だが、私にはそんなものは無縁。新聞5紙の整理、『カムイ外伝』などの鑑賞、旅行記の執筆、そして4日間できなかった中国語のラジオ講座の勉強など、お仕事(?)は山積みだ。23日は連休中にもかかわらず事務員が一人出勤予定。21、22日の間に彼女に打たせる原稿をしっかり完成させておかなければ。
関空からの南海電車は要特急券の特急ラピートが先発だったため、清水の舞台から飛び下りる決心(?)でそれに乗車。電車の中でうとうとしながらそんなことを考えていると、いつの間にか頭の中は上海バージョンから坂和弁護士の日常バージョンへと転換。とりあえず今日は自宅でシャワーをして眠ることになるが、さて体重は何kg増えているだろう。
(はじめに)
(1日目旅行記) 2009(平成21)年9月17日
(2日目旅行記) 2009(平成21)年9月18日
(3日目旅行記) 2009(平成21)年9月19日
(4日目旅行記) 2009(平成21)年9月20日 この記事
(後記)
2009(平成21)年9月20日(日) ⇒ 写真4ー①~⑭(準備中)
1 起床(6:30)、朝食(7:00~7:40)
2 チェックアウト、沈亜明さんがお迎え(8:45~9:15)
今日は虹口地区を観光する予定だが、上海で海運会社を営んでいる友人の沈亜明さんが午前9時に迎えに来てくれることになっている。チェックアウトを済ませ、トランクをホテルに預け、少し早い目にロビーで待っていると、ドライバーと共に7人乗りのオデッセイで沈さんが到着。私たちはカメラなど手荷物だけ持って車内へ。今日も昨日に続いて快晴。快晴すぎて暑いくらいだが、今日は地図とガイド本だけを頼りに、魯迅公園周辺をしっかり見学しなければ。
3 虹口区観光(9:15~11:45)
(1)魯迅公園
虹口区は上海の北東、虹口足球場駅の周辺で、ここは魯迅公園が有名(写真4ー①)。魯迅公園は上海市内最大の公園だ。ここが魯迅に縁のある地であるため、かつての虹口公園から魯迅公園に名前が変わったらしい。私たちは魯迅公園の南側の入口から入ったが、公園内ではダンスや太極拳を楽しむ市民たちでいっぱい(写真4ー②)。また設置された大舞台では市民合唱団(?)が大きな声で練習しており、その観客もいっぱいだ。そんな様子を見ればここが多くの上海市民の憩いの場となっていることがよくわかる。
(2)上海魯迅記念館
虹口区には上海魯迅記念館があるため、ここは絶対見学しなければと計画していたが、公園内にある目の前に見る上海魯迅記念館はかなり立派なもの(写真4ー③)。上海魯迅記念館は1951年に開館し、1956年に現在の魯迅公園内に移設されたうえ、1999年に改築されて現在の2階建ての建物になったらしいが、入場料はタダ。もっとも、免費と書かれているチケットをもらって入ったから、もともとは入場料をとっていたのだろう。そう思って、帰国後ネットを調べてみるとそこでは入場料は大人8元と書かれていた。
それはともかく、1階ロビーの階段を上がると、2階の展覧ホールには「魯迅の一生の事跡」を示す6枚のパネルが展示されており、中国人ガイドが日本語で団体客に対して説明をしていた。しめしめ、昨日の豫園見学と同じく、このガイドについていけば魯迅記念館の説明はバッチリ。そう決め込んで、このガイドから着かず離れずの状態で約1時間しっかり魯迅の足跡を勉強することに(写真4ー④)。
魯迅(1881~1936年)が日本へ留学したのは1902年。もともと医学を志していた彼が、その後文学に転じたのは一体ナゼ?それが魯迅を語るうえでの最大のポイントだ。1909年に帰国した魯迅は日本人の内山完造との親交を深めながら、『阿Q正伝』をはじめとするさまざまな執筆活動を行いつつ、革命家としての危険な道も歩み始めた。私は魯迅の文学者としての側面しか知らなかったが、革命家としても多くの足跡を残してきたことがこの魯迅記念館を見てよくわかったのは大収穫。また魯迅が着ていた外套が展示されていたが、それを見ると魯迅がいかに小柄だったかがよくわかる。あの外套なら身長150cm程度の私の妻にピッタリ?
(3)魯迅の墓
次の目的は魯迅のお墓の見学。魯迅公園内を北に約5分歩くと、それがあった。お墓の前には座っている魯迅の銅像が置かれていた(写真4ー⑤)が、それをバックに写真を撮ればそれでおしまい。ちなみに、帰国後ネットを調べたところ、墓碑の揮毫は毛沢東によるものとのことだ。
(4)魯迅故居
魯迅故居は、魯迅公園南口を出てしばらく歩いたところにある。とはいっても、地図だけではなかなかわからなかったが、沈さんが道を尋ねてくれたため、スムーズに目的地に到着。魯迅故居は、山陰路を右に入った3階建てのアパート郡の一番奥にあった(写真4ー⑥、⑦)。魯迅故居という看板は出ているが、沈さんが確認したところ、何人か集まる団体ごとに見物客を入れ説明をしてくれるらしい。
建物がつくられたのは1931年、魯迅がここで過ごしたのは1933年から死亡する36年までの3年間とのことだ。レンガづくり3階建てのアパートの外観はとても立派だし、部屋の中に入ると天井も高い。当時としてはかなり立派な建物だったらしい。1階は手前が客間で、応接セット等が置かれている。その奥が食堂でさらにその奥が台所らしいが、これは公開されていない。階段を上ると中2階があり、バスタブや洗面台が完備された洋風の浴室がある。2階に上がってすぐの小さな部屋は物置とのこと。2階の奥が魯迅の書斎兼寝室で、机、本棚、小テーブル、ベッドが置かれている。3階は手前が客用の寝室で、ベッド、机、書棚が置かれ、書棚にはたくさんの本が。奥の広い部屋は子供部屋で、妻は子供と共にここで寝ていたとのことだ。
約15分間の見学だったが、魯迅の当時の生活を知ることができ、収穫は十分。
(5)多倫路文化名人街
魯迅故居を出て四川北路という大通りを沈さんの案内で南へ歩いていくと、右側に多倫路文化名人街という大きな門が見えた(写真4ー⑧)。ここから先が1998年に再開発されて多くの文化人たちの活動の記録が集約された多倫路文化名人街だ。もっとも、事前にきちんと資料で勉強していなかったため、「ここは昔の上海がいっぱい残っている」と聞かされていただけで、一体何があるのかよくわからないまま歩くことに。
門を入るとすぐ左手に上海多倫現代美術館があったが、現代アートはあまりわからないうえ時間的に余裕がないので前を素通り。タイル敷きの道は綺麗だし、左右に並んでいるたくさんの店も骨董品を売る店や古い喫茶店など珍しいものばかり。目についたのは、あちこちで俳優たちを集めて撮影していること。これから豪華な車に乗って新婚旅行に出かけようとしているシーンの撮影や、着飾った美人モデルがじっとポーズをとっている撮影風景など、まさにタイムスリップ感覚だ。一軒だけ骨董品の店に入ったが、そこには昔の時計やそろばんなどホントにいろいろな品物がいっぱい置かれていた。
途中右にカーブしているノスタルジーあふれる散歩道を歩き切るのに約20分。ちょうど昼食時となったので車で軽い昼食と、次の目的地である浦東(プートン)の名物、上海環球金融中心の見学に。
3 「喜扇」で昼食(12:20~13:15)
「軽く昼食を」と沈さんに言うと、沈さんが予約してくれたのが上海環球金融中心近くにある立派な建物の2階の日本料理店「喜扇」。虹口区からここまで車で約40分だが、途中抜けたトンネルは黄浦江の下を通っているトンネル。喜扇では軽く済ませるつもりだったが、軽くビールを飲みうどんと握りのセット(68元)、サーモンといくら丼セット(50元)、サーモンロールセット(45元)を注文し、美味しく食べていると、既に13時を過ぎていた。15時にはホテルに集合しなければならないので、上海環球金融中心の見学は約50分。上海環球金融中心の最上階まで登ると一人150元かかることもあり、どうしても行きたいというのは私と家内の2人だけ。そこで沈さんたちは近くの喫茶店で一休みすることとし、私たち2人だけ150元払って駆け足で上海環球金融中心の見学へ。
4 上海環球金融中心(上海ヒルズ)展望台へ(13:20~14:00)
下から見上げると、上部に小さな空洞を持った独特のフォルムをした上海環球金融中心は実に美しい(写真4ー⑨)。1階の入り口を入ると、展望台へのエントランスはB1階にあるらしい。エスカレーターで下っていくと、薄暗い雰囲気で構成されたそこはまるで異次元空間。チケットを購入し列に従って歩いていくと、入ったのが真ん中に大きなモニターのある小さな部屋。まさかこれがそのままエレベーターではないだろうと近くの人と話しながら待っていると、まずは3分間ほどモニターで上海環球金融中心の解説が。時間が気になる私たちは少しイライラしながらこれを見ていたが、解説が終わるといよいよエレベーターに分乗して上層階へ。その所要時間は約1分ほどだから、東京タワーのエレベーターと比べてそのスピードにビックリ。
スカイウォーク94、スカイウォーク97、スカイウォーク100と、展望台は3フロアに分かれており、474mのスカイウォーク100がもっとも値段の高い150元。まずは97階で降りてその展望台からの眺めに一驚きした後、スカイウォーク100までエスカレーターで昇ったが、時間を気にしている私たちはこのエスカレーターも小走りで。長方形の広々としたスカイウォーク100からの眺望は、まさに別世界(写真4ー⑩)。浦東地区にある何本もの超高層ビルが一望の下に見渡せるうえ(写真4ー⑪、⑫)、東方明珠電視塔さえ目の下に(写真4ー⑬)。車で走っている時ずっと見えていた赤い屋根のマンション群はホントにマッチ箱のよう(写真4ー⑭)。大きな驚きと感動の中で写真を撮りまくっていると既に帰りの時間が迫ってきたから急いでエレベーターに乗り込み、待ち合わせの14時に滑り込みセーフ。
5 上海環球金融中心からホテルへ(14:10~14:50)
上海環球金融中心の展望台からの見学が終わると、以上で午前9時から始まった今日の充実した観光はすべて終わり。あとは車に乗ってホテルへ帰るだけだ。お腹もいっぱいだし、朝から歩きづめの身体は疲れている。おまけに、当然ながらトンネルの中は渋滞気味。そのため運転手以外は全員うつらうつら状態だったから、約50分の車の中は疲労回復にピッタリ。ホテルの前でお世話になった沈さんと運転手にお礼を言って別れると、あとは預けていたトランクを受け取って空港へ送り届けてくれるJTBのバスを待つだけだ。
6 上海浦東国際空港へ(15:20~16:15)
ホテルから上海浦東国際空港へはバスで約1時間の予定。先月8月17日から20日に来た時、夏さんの車で毛さんも一緒に送ってもらった時と同じ風景が左右に広がっていたが、バスの上からだと少し視点が高いのでもっとわかりやすい。黄浦江にかかる橋を渡ると、左側にほぼ完成した2010年上海万博用の会場が姿をみせ、右側には工事に取りかかったばかりのもう1つの会場があった。これらが来年4月にはすべて完成しているわけだ。また、途中新たに大規模な道路工事をしている所があったのは8月と同じだったが、これも来年4月には完成しているはず。そんなことを考えながら風景をみていると、バスは予定どおり約1時間で上海浦東国際空港に到着。
7 上海浦東国際空港(18:20発ANA0154便)から関西国際空港(20:20着)(日本時間21:20着)へ
帰りの荷物は重い。トランクの重量制限は20kgと聞いていたが、ガイドの話によると団体の総枠で制限がかかるらしい。帰りはツアー客としては私たち一行を含めて6人だったので、6人合計で120kg。『取景中国』20冊とカメラ、ビデオの機材などが入った私のトランクが1番重く30kgを少し超えていたが、そんなわけで何とかセーフ。搭乗手続も出国手続もスイスイと進んだから、あとは搭乗口で待つだけだ。
そこでの待ち時間を有効活用できたのが、テレビでくり返しやっていた中国語学習のためのビデオ。これはインフルエンザの防止をテーマとした曲を練習させることによって中国語を覚えさせようとするものだが、初心者の私にはまるで早口言葉のよう。それでも少しずつわかる単語があるから、くり返し聞いているとリズム感は体得できるようになってくる。靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ、ストレッチ体操をしながらこれをくり返し見て発音練習をしていると大いに勉強になる。もっとも広いスペースで周りも空いているからいいようなものの、あまり目立つと「変なおっさんが・・・」と白い目で見られること間違いなし。
こんな形で時間待ちをしていると、あっという間に搭乗の時刻に。飛行機に乗って席に座れば、新聞各紙を読みビールとワインをたらふく飲み食事をすれば、2時間半で関西国際空港だ。
8 南海電車で自宅へ(23:00着)
中国から関西国際空港へ帰ってくるといつも思うのは、関西国際空港の小ささ。はじめて関西国際空港から韓国旅行に行った1998年には、何とでかい空港だろうとビックリしたが、北京首都国際空港や上海虹橋国際空港、上海浦東国際空港の広さに慣れてくると、その違いが歴然としてくる。ここまで国力の相違が顕著になっているのだから、いくら政権交代が実現しても彼我の力関係が大きく変わらないのは当たり前。そうは思いつつ、今回の上海旅行の間に鳩山民主党新政権がどんな動きをしたのかについて、今日(20日)の新聞だけではなくこの3日間の新聞5紙に目を通してきちんと分析しなければ。
明日21日から23日まではシルバーウィークと称する大型連休の後半だが、私にはそんなものは無縁。新聞5紙の整理、『カムイ外伝』などの鑑賞、旅行記の執筆、そして4日間できなかった中国語のラジオ講座の勉強など、お仕事(?)は山積みだ。23日は連休中にもかかわらず事務員が一人出勤予定。21、22日の間に彼女に打たせる原稿をしっかり完成させておかなければ。
関空からの南海電車は要特急券の特急ラピートが先発だったため、清水の舞台から飛び下りる決心(?)でそれに乗車。電車の中でうとうとしながらそんなことを考えていると、いつの間にか頭の中は上海バージョンから坂和弁護士の日常バージョンへと転換。とりあえず今日は自宅でシャワーをして眠ることになるが、さて体重は何kg増えているだろう。
by sakawa-ryokou
| 2009-10-19 15:16
| 海外旅行(中国)