2009年 03月 25日
上海旅行記 2008年8月 [2日目] |
[旅行日程メモ]
(はじめに)
(1日目旅行記) 2008(平成20)年8月22日
(2日目旅行記) 2008(平成20)年8月23日 この記事
(3日目旅行記) 2008(平成20)年8月24日
(余話)
2008年8月23日(土) ⇒ 写真2-①~24
1 起床、朝食(7:30~8:15)
もともとレストランはB1階にあったらしいが、12階に変更されたとのこと。ここでの朝食は1人20元を払って食べるバイキングで、特別豪華ではないが実質的にはこれで十分。ちなみに、食事しながら窓の外の景色を見たり、部屋の中を観察していると、あることに気づいた。それは、この12階のレストランはもともと屋上だったところに簡易な部屋を増築しているらしいこと。エレベーターで11階までしか上がれず、12階へは階段を使わなければならないことをはじめ、この部屋の状況をよく観察すればそれは明らかだが、私が興味を持ったのはこの増築は適法なのかどうかということ。もちろん、そんな問題意識を直接突っ込んで聞くことはできなかったが、これは多分・・・?
2 ホテル出発、タクシーで本屋さんへ(9:05)
(1)朝食中はえらく曇っているなという感じだったが、いざ出発という段階になってかなりの雨が降ってきた。「晴れ男」の私にとって旅行中雨に降られるのは珍しいが、昨日の太陽の光線がベストの時間帯にプロカメラマンの陸震偉さんによる写真撮影は完了しているため、今日の雨は差し支えなし。
(2)そこで、午前中の豫園見学の予定を変更して、旅をテーマとした本と映画をテーマとした本の扱い方についてのリサーチのためタクシーで本屋さんに行くことに。今回の出版のために打合せするのは上海文芸出版社だが、毛先生が旅の他にもう1つ力を入れている分野が日本語教育。昨日一緒に夕食をした蘇靖さんは華東理工大学出版社の人で、ここは日本語教育の教材をつくっている出版社。毛先生の『感悟日本』は、日本語と中国語の両方で教科書的に使われるように出版されており、私もなるほどと感心させられたものだ。さあ、上海のデッカイ本屋さんの売れ筋は・・・?
3 本屋「上海書城」探索(9:20~10:30)(毛丹青、王淑敏、坂和、細谷)
(1)ここ「上海書城」は上海で最大の本屋さん(写真2-①)で、7階まである。そして1階には、旅をテーマとした本がたくさんのコーナーに山ほど平積みされている姿を目撃(写真2-②)。これに対して、7階にある映画をテーマとしたコーナーでは、平積みされている本もあるが、基本的に端っこの書棚に並べられているだけ。これを見ただけで、旅をテーマとした本のニーズ・売れ行きと映画をテーマとした本のニーズ・売れ行きが、10対1、100対1ほど違うことを実感。
ちなみに、これは、私がジュンク堂で映画の本探索をした時に感じたことと全く同じだ。
(2)「上海書城」の7階で私は自分の勉強のために、王先生は邦題と原題のチェックを含む中国映画全体の復習のために、『中国影視游』を購入(38元)。また時節がら(?)、6階では北京オリンピック開会式のDVDを購入(50元)したが、ここで閉会式のDVDが25元で予約販売されていることを知りビックリ。
4 タクシーでホテルへ(10:30~10:50)
11時半からホテル近くのレストランで昼食の予定となっているため、とりあえずタクシーでホテルへ戻り、ひと休み後、11時半にフロントで待ち合わせることに。ちなみに、ホテルから上海書城までのタクシー代は、行きも帰りも16元。
5 昼食(老洋房)(11:30~2:00)(毛丹青、王淑敏、森岡正樹、坂和、細谷)
(1)「老洋房」は上海文芸出版社のすぐ近くにあるレストラン(写真2-③、④)。ここは、かつて上海暗黒街の帝王といわれた杜月笙の邸宅をレストランとして改装し、2004年にオープンしたとのこと。また、この店の名物料理は小籠蝦餃とのことなので、メイン料理が終わった後、ご飯の代わりにこれを食べることに。
ちなみに、五木寛之が上海で対談した時の会場として使われたのがこことのこと。
(2)仕事が忙しかったため、昨日の夕食のメンバーとして1人欠けていたのが、日本の小学館から上海駐在員として上海に来ているという森岡正樹氏。今年4月から上海に赴任した彼は大学時代にしばらく中国に留学していたこともあり、今年4月からの特訓で今や中国語はペラペラ・・・?
私たちが席に着いてお茶を飲みながら待っていると、ほどなく森岡氏が到着(写真2-⑤、⑥)。小学館がつい先日出した、創刊号となる女性向け月刊誌『美的』を見せてもらいながら、上海の出版事情を拝聴。さらに、彼は事前に毛先生から私の情報を聞いていたらしく、日本人ではじめて北京電影学院の本科を卒業し、『北京の恋ー四郎探母ー』(04年)で主演した女優前田知恵の『北京ナビ手帳』を私へのプレゼントとして持参してくれていた。
(3)おいしい料理を食べながらの話題の中で、さかんに登場していた人物の1人が泉京鹿さん。彼女は私が2005年5月から愛読している『人民中国』の翻訳家の1人だ。そして、もう1人は産経新聞の中国総局の福島香織さん。毛先生も森岡氏も彼女たちと日常的に親しく接触しているらしいから、また機会があれば紹介してもらい、意見交換をしなければ・・・。
6 ホテルのロビーに集合(3:00)
昼食後ホテルへ戻り、3時までひと休みした後、上海老街・豫園商場の見学に出かけることに。毛先生はひと休みし、王先生と坂和(私)と細谷の3人でタクシーに乗って上海老街と豫園商場見学へ。タクシー料金は16元。
7 上海老街および豫園商場見学(3:15~5:30)(王淑敏、坂和、細谷)
(1)昼食中に雨は完全にあがり快晴となったため、3時から王さんと共に私たちが訪れたのは、上海老街(写真2-⑦)と豫園商場(写真2-⑧)。『週刊 中国悠悠紀行』NO19によると、「南京路を新宿、淮海路を銀座とするなら、豫園商場は下町情緒たっぷりの浅草といった雰囲気の場所」と書かれていたが、まさにピッタリの表現。
(2)2006年3月の上海・杭州・烏鎮・無錫・鎮江・揚州・蘇州・周庄のツアー旅行では、最後の日にわずかに豫園商場の見学をしただけだったが、今日はたっぷりと上海老街と豫園商場の見学を。心ゆくまでその雰囲気を楽しんでいる様子はいっぱい撮影した写真を見れば明らか。
上海老街には、王先生が子供の頃に読んでいたマンガを売っているお店(写真2-⑨)や、中国らしく『毛沢東語録』を売っているお店も(写真2-⑩)。
(3)中国の買い物で面白いのは、何といっても値切り交渉。ここで購入したのは、五香豆(36元)、キャスター付リュック(150元)、小銭入れ(35元)(写真2-⑪)、ネクタイ(15元)(写真2-⑫)、くし(20元)(写真2-⑬)等々。
今回の値切り交渉の圧巻は、450元という値札のついたキャスター付リュック。いくら何でも、450元のものを最初から150元というのは無茶かもしれないが、売り子は300元、250元と下げてきて、最後は遂に200元まで。しかし、私はあくまで150元でなければいらないと主張し、何度も帰りかけた。そして本気で帰りかけたところ、5mほど追いかけてきて「オーケー、オーケー」となったわけだ(写真2-⑭)。
やはり、中国での買い物はあくまで買い手主導かつ毅然としたスタンスでいかなくっちゃ・・・。
(4)さらに屋台では、かわいいお嬢ちゃんの説明に惹かれて指人形を操ったり(写真2-⑮)、8月10日の毛先生のお茶会の時に詳しく説明してもらった瓢箪笛を吹いたり(写真2-⑯、⑰)、牛皮製の影絵人形にチャレンジしたり(写真2-⑱)と大活躍・・・?また、お茶屋では例によって(?)かわいいお嬢さんと2ショット写真(写真2-⑲)も。
(5)ビックリしたのは、絵をいっぱい並べている店の中で、『胡同のひまわり』(05年)で描かれていた画家張暁剛(ジャ・シャオガン)の絵を発見したこと。私が指差している絵がそれだから、しっかりお勉強を(写真2-⑳)。
また、私が無邪気に顔にあてて喜んでいるのは、チベット族がつくっているさまざまなお面(写真2-21)。北京五輪の閉幕後、チベット問題がいかなる展開になるかを心配しつつ、今日はしっかりはしゃぐことに・・・。
(6)こんな風に歴史的建物を見学し、まちの雰囲気を味わい、そしてみやげ物店で値切りを楽しんだ時間は、タップリ1時間30分間。足も疲れ、のども渇いた状態で、ビールを楽しみに今日の夕食に合流することに・・・。
8 上海老街からタクシーでレストランへ(5:40~6:00)
夕方になると、豫園商場ではタクシーを拾うのに少し手間どったが、うまくゲット。タクシー料金は17元。
9 レストラン「山間堂」で夕食(6:00~8:00)(毛丹青、王淑敏、夏青根、坂和、細谷)
(1)土曜日なのに、今日の夕食にも上海文芸出版社の編集長の夏青根さんが来てくれるとのこと。タクシーに乗って指定された「山間堂」といういかにも高級そうなレストランに着くと、毛先生は先に到着しており、ほどなくすると夏さんも到着。後で地図を調べたところ、このレストランの所在地は上海市徐匯区淮海中路1008号2階(襄陽路付近)だから、ホテルから歩いて15~20分くらいのところ。
昨日の夕食も今日の昼食も豪華だったが、今日の夕食はさらに豪華。まずは青島ビールで乾杯した後、高級中華料理が次々と(写真2-22)。
(2)今日も話題は、出版の話の他はオリンピックネタが多い。夏さんと毛先生の人脈の広さと情報の多さには驚くばかり。開会式での少女の口パク事件や56の少数民族の子供たちの多くが漢民族だったという問題、そして110メートル障害の劉翔選手が試合直前に棄権したことに対する中国人のブーイングなど、私も入っていける話題については私の意見も述べたが、それ以外に私が全然知らない情報がドッサリ。毛先生と王先生の通訳を介しながら、タップリと夏さんの意見を拝聴することに。
10 待ち合わせのホテル(錦江飯店)へ(8:20)
(1)「山間堂」での夕食で、今回の上海旅行における「打合せ」および「人的交流」は終了・・・。そう思っていたら、そうではなく、毛先生は上海のナイトクラブ(カラオケ?)でもう1人、上海電視台のルー〔罒夕〕さんとの出会いをセットしてくれていた。
(2)行くのは、私が2005年10月の曲阜・泰山・済南・青島旅行の最後の日、青島ではじめて行った日本人がよく利用するカラオケ店らしいが、そこへ行くためルーさんの車と待ち合わせたのが「錦江飯店」。ここはガイド本にも出ている上海で1番古いホテルらしい(写真2-23)。
11 クラブ「愛ゆらり」で熱唱(8:30~11;30)(毛丹青、ルー、坂和、細谷)
(1)「錦江飯店」での待ち合わせに成功し、ルーさんの車に乗り込むと、ほどなく到着したのがクラブ(カラオケ?)「愛ゆらり」。さあ、上海のラストナイトをルーさんと話ながらタップリ歌わなければ・・・(写真2-24)。
(2)ルーさんが全然歌わなかったのは残念だったが、毛先生は持ち歌の『青葉城恋唄』を。そして私は、松田聖子の『あなたに逢いたくて~Missing You~』に始まり、興が乗ってくると、また勧められる(?)ままに、中国語の『月亮代表我的心』を含めて、ZARD、BoA、プリプリから谷村新司、冠二郎まで、さらに7月25日の天神祭パーティーでみんなで合唱した『蘇州夜曲』まで10数曲を熱唱。青島の時と同様、上海の夜はナイトクラブの中で、美女と共に次第に更けていくことに・・・。
12 ホテル着、就寝(11:50)
今晩の予定としては、昨夜の足ツボマッサージにもう1度行くつもりだったが、既に12時近くになっているため断念。シャワーをして早めに寝ることに。
(はじめに)
(1日目旅行記) 2008(平成20)年8月22日
(2日目旅行記) 2008(平成20)年8月23日 この記事
(3日目旅行記) 2008(平成20)年8月24日
(余話)
2008年8月23日(土) ⇒ 写真2-①~24
1 起床、朝食(7:30~8:15)
もともとレストランはB1階にあったらしいが、12階に変更されたとのこと。ここでの朝食は1人20元を払って食べるバイキングで、特別豪華ではないが実質的にはこれで十分。ちなみに、食事しながら窓の外の景色を見たり、部屋の中を観察していると、あることに気づいた。それは、この12階のレストランはもともと屋上だったところに簡易な部屋を増築しているらしいこと。エレベーターで11階までしか上がれず、12階へは階段を使わなければならないことをはじめ、この部屋の状況をよく観察すればそれは明らかだが、私が興味を持ったのはこの増築は適法なのかどうかということ。もちろん、そんな問題意識を直接突っ込んで聞くことはできなかったが、これは多分・・・?
2 ホテル出発、タクシーで本屋さんへ(9:05)
(1)朝食中はえらく曇っているなという感じだったが、いざ出発という段階になってかなりの雨が降ってきた。「晴れ男」の私にとって旅行中雨に降られるのは珍しいが、昨日の太陽の光線がベストの時間帯にプロカメラマンの陸震偉さんによる写真撮影は完了しているため、今日の雨は差し支えなし。
(2)そこで、午前中の豫園見学の予定を変更して、旅をテーマとした本と映画をテーマとした本の扱い方についてのリサーチのためタクシーで本屋さんに行くことに。今回の出版のために打合せするのは上海文芸出版社だが、毛先生が旅の他にもう1つ力を入れている分野が日本語教育。昨日一緒に夕食をした蘇靖さんは華東理工大学出版社の人で、ここは日本語教育の教材をつくっている出版社。毛先生の『感悟日本』は、日本語と中国語の両方で教科書的に使われるように出版されており、私もなるほどと感心させられたものだ。さあ、上海のデッカイ本屋さんの売れ筋は・・・?
3 本屋「上海書城」探索(9:20~10:30)(毛丹青、王淑敏、坂和、細谷)
(1)ここ「上海書城」は上海で最大の本屋さん(写真2-①)で、7階まである。そして1階には、旅をテーマとした本がたくさんのコーナーに山ほど平積みされている姿を目撃(写真2-②)。これに対して、7階にある映画をテーマとしたコーナーでは、平積みされている本もあるが、基本的に端っこの書棚に並べられているだけ。これを見ただけで、旅をテーマとした本のニーズ・売れ行きと映画をテーマとした本のニーズ・売れ行きが、10対1、100対1ほど違うことを実感。
ちなみに、これは、私がジュンク堂で映画の本探索をした時に感じたことと全く同じだ。
(2)「上海書城」の7階で私は自分の勉強のために、王先生は邦題と原題のチェックを含む中国映画全体の復習のために、『中国影視游』を購入(38元)。また時節がら(?)、6階では北京オリンピック開会式のDVDを購入(50元)したが、ここで閉会式のDVDが25元で予約販売されていることを知りビックリ。
4 タクシーでホテルへ(10:30~10:50)
11時半からホテル近くのレストランで昼食の予定となっているため、とりあえずタクシーでホテルへ戻り、ひと休み後、11時半にフロントで待ち合わせることに。ちなみに、ホテルから上海書城までのタクシー代は、行きも帰りも16元。
5 昼食(老洋房)(11:30~2:00)(毛丹青、王淑敏、森岡正樹、坂和、細谷)
(1)「老洋房」は上海文芸出版社のすぐ近くにあるレストラン(写真2-③、④)。ここは、かつて上海暗黒街の帝王といわれた杜月笙の邸宅をレストランとして改装し、2004年にオープンしたとのこと。また、この店の名物料理は小籠蝦餃とのことなので、メイン料理が終わった後、ご飯の代わりにこれを食べることに。
ちなみに、五木寛之が上海で対談した時の会場として使われたのがこことのこと。
(2)仕事が忙しかったため、昨日の夕食のメンバーとして1人欠けていたのが、日本の小学館から上海駐在員として上海に来ているという森岡正樹氏。今年4月から上海に赴任した彼は大学時代にしばらく中国に留学していたこともあり、今年4月からの特訓で今や中国語はペラペラ・・・?
私たちが席に着いてお茶を飲みながら待っていると、ほどなく森岡氏が到着(写真2-⑤、⑥)。小学館がつい先日出した、創刊号となる女性向け月刊誌『美的』を見せてもらいながら、上海の出版事情を拝聴。さらに、彼は事前に毛先生から私の情報を聞いていたらしく、日本人ではじめて北京電影学院の本科を卒業し、『北京の恋ー四郎探母ー』(04年)で主演した女優前田知恵の『北京ナビ手帳』を私へのプレゼントとして持参してくれていた。
(3)おいしい料理を食べながらの話題の中で、さかんに登場していた人物の1人が泉京鹿さん。彼女は私が2005年5月から愛読している『人民中国』の翻訳家の1人だ。そして、もう1人は産経新聞の中国総局の福島香織さん。毛先生も森岡氏も彼女たちと日常的に親しく接触しているらしいから、また機会があれば紹介してもらい、意見交換をしなければ・・・。
6 ホテルのロビーに集合(3:00)
昼食後ホテルへ戻り、3時までひと休みした後、上海老街・豫園商場の見学に出かけることに。毛先生はひと休みし、王先生と坂和(私)と細谷の3人でタクシーに乗って上海老街と豫園商場見学へ。タクシー料金は16元。
7 上海老街および豫園商場見学(3:15~5:30)(王淑敏、坂和、細谷)
(1)昼食中に雨は完全にあがり快晴となったため、3時から王さんと共に私たちが訪れたのは、上海老街(写真2-⑦)と豫園商場(写真2-⑧)。『週刊 中国悠悠紀行』NO19によると、「南京路を新宿、淮海路を銀座とするなら、豫園商場は下町情緒たっぷりの浅草といった雰囲気の場所」と書かれていたが、まさにピッタリの表現。
(2)2006年3月の上海・杭州・烏鎮・無錫・鎮江・揚州・蘇州・周庄のツアー旅行では、最後の日にわずかに豫園商場の見学をしただけだったが、今日はたっぷりと上海老街と豫園商場の見学を。心ゆくまでその雰囲気を楽しんでいる様子はいっぱい撮影した写真を見れば明らか。
上海老街には、王先生が子供の頃に読んでいたマンガを売っているお店(写真2-⑨)や、中国らしく『毛沢東語録』を売っているお店も(写真2-⑩)。
(3)中国の買い物で面白いのは、何といっても値切り交渉。ここで購入したのは、五香豆(36元)、キャスター付リュック(150元)、小銭入れ(35元)(写真2-⑪)、ネクタイ(15元)(写真2-⑫)、くし(20元)(写真2-⑬)等々。
今回の値切り交渉の圧巻は、450元という値札のついたキャスター付リュック。いくら何でも、450元のものを最初から150元というのは無茶かもしれないが、売り子は300元、250元と下げてきて、最後は遂に200元まで。しかし、私はあくまで150元でなければいらないと主張し、何度も帰りかけた。そして本気で帰りかけたところ、5mほど追いかけてきて「オーケー、オーケー」となったわけだ(写真2-⑭)。
やはり、中国での買い物はあくまで買い手主導かつ毅然としたスタンスでいかなくっちゃ・・・。
(4)さらに屋台では、かわいいお嬢ちゃんの説明に惹かれて指人形を操ったり(写真2-⑮)、8月10日の毛先生のお茶会の時に詳しく説明してもらった瓢箪笛を吹いたり(写真2-⑯、⑰)、牛皮製の影絵人形にチャレンジしたり(写真2-⑱)と大活躍・・・?また、お茶屋では例によって(?)かわいいお嬢さんと2ショット写真(写真2-⑲)も。
(5)ビックリしたのは、絵をいっぱい並べている店の中で、『胡同のひまわり』(05年)で描かれていた画家張暁剛(ジャ・シャオガン)の絵を発見したこと。私が指差している絵がそれだから、しっかりお勉強を(写真2-⑳)。
また、私が無邪気に顔にあてて喜んでいるのは、チベット族がつくっているさまざまなお面(写真2-21)。北京五輪の閉幕後、チベット問題がいかなる展開になるかを心配しつつ、今日はしっかりはしゃぐことに・・・。
(6)こんな風に歴史的建物を見学し、まちの雰囲気を味わい、そしてみやげ物店で値切りを楽しんだ時間は、タップリ1時間30分間。足も疲れ、のども渇いた状態で、ビールを楽しみに今日の夕食に合流することに・・・。
8 上海老街からタクシーでレストランへ(5:40~6:00)
夕方になると、豫園商場ではタクシーを拾うのに少し手間どったが、うまくゲット。タクシー料金は17元。
9 レストラン「山間堂」で夕食(6:00~8:00)(毛丹青、王淑敏、夏青根、坂和、細谷)
(1)土曜日なのに、今日の夕食にも上海文芸出版社の編集長の夏青根さんが来てくれるとのこと。タクシーに乗って指定された「山間堂」といういかにも高級そうなレストランに着くと、毛先生は先に到着しており、ほどなくすると夏さんも到着。後で地図を調べたところ、このレストランの所在地は上海市徐匯区淮海中路1008号2階(襄陽路付近)だから、ホテルから歩いて15~20分くらいのところ。
昨日の夕食も今日の昼食も豪華だったが、今日の夕食はさらに豪華。まずは青島ビールで乾杯した後、高級中華料理が次々と(写真2-22)。
(2)今日も話題は、出版の話の他はオリンピックネタが多い。夏さんと毛先生の人脈の広さと情報の多さには驚くばかり。開会式での少女の口パク事件や56の少数民族の子供たちの多くが漢民族だったという問題、そして110メートル障害の劉翔選手が試合直前に棄権したことに対する中国人のブーイングなど、私も入っていける話題については私の意見も述べたが、それ以外に私が全然知らない情報がドッサリ。毛先生と王先生の通訳を介しながら、タップリと夏さんの意見を拝聴することに。
10 待ち合わせのホテル(錦江飯店)へ(8:20)
(1)「山間堂」での夕食で、今回の上海旅行における「打合せ」および「人的交流」は終了・・・。そう思っていたら、そうではなく、毛先生は上海のナイトクラブ(カラオケ?)でもう1人、上海電視台のルー〔罒夕〕さんとの出会いをセットしてくれていた。
(2)行くのは、私が2005年10月の曲阜・泰山・済南・青島旅行の最後の日、青島ではじめて行った日本人がよく利用するカラオケ店らしいが、そこへ行くためルーさんの車と待ち合わせたのが「錦江飯店」。ここはガイド本にも出ている上海で1番古いホテルらしい(写真2-23)。
11 クラブ「愛ゆらり」で熱唱(8:30~11;30)(毛丹青、ルー、坂和、細谷)
(1)「錦江飯店」での待ち合わせに成功し、ルーさんの車に乗り込むと、ほどなく到着したのがクラブ(カラオケ?)「愛ゆらり」。さあ、上海のラストナイトをルーさんと話ながらタップリ歌わなければ・・・(写真2-24)。
(2)ルーさんが全然歌わなかったのは残念だったが、毛先生は持ち歌の『青葉城恋唄』を。そして私は、松田聖子の『あなたに逢いたくて~Missing You~』に始まり、興が乗ってくると、また勧められる(?)ままに、中国語の『月亮代表我的心』を含めて、ZARD、BoA、プリプリから谷村新司、冠二郎まで、さらに7月25日の天神祭パーティーでみんなで合唱した『蘇州夜曲』まで10数曲を熱唱。青島の時と同様、上海の夜はナイトクラブの中で、美女と共に次第に更けていくことに・・・。
12 ホテル着、就寝(11:50)
今晩の予定としては、昨夜の足ツボマッサージにもう1度行くつもりだったが、既に12時近くになっているため断念。シャワーをして早めに寝ることに。
by sakawa-ryokou
| 2009-03-25 12:58
| 海外旅行(中国)